国税は五万九千九百九十七円、約六万でございます。地方税が二万七千八百四十三円ということでございます。合計で八万七千八百四十円で、それに対応いたします一人当たり国民所得は四十四万六千八百二十九円ということになっております。
国税は五万九千九百九十七円、約六万でございます。地方税が二万七千八百四十三円ということでございます。合計で八万七千八百四十円で、それに対応いたします一人当たり国民所得は四十四万六千八百二十九円ということになっております。
この法律案の施行期日は、予定は昭和四十四年四月一日からということにいたしておりますが、国税不服審判所に関する分につきましては、昭和四十五年一月一日から、これは御指摘のように準備その他の点がございますので、一月一日からにいたしているわけでございます。
御指摘の点、さような御意見も一応はあるわけでございますが、ただ問題は、その考え方自体は、御承知のように税制調査会の答申でございまして、私どもがかってにつくったわけではないのでございます。(竹本委員「大蔵省の責任において出しているでしょう」と呼ぶ)しかして国税庁の中に付属機関として審判所を設けることにつきましては、再三申し上げておりますように、今回の考え方が準司法機関的な第三者機関というところをねらったわけではなくて、あくまでも行政不服制度の範囲内において最も進んだ制度を考えるというところにあったようであります。毎々申し上げますが、わが国の行政不服審査制度におきましては、抗告争訟については、常にその行政権限を有する最高の人間のところで
私は、準司法機関的なものが不可能であると申し上げているのではないのでございまして、わが国の実定法秩序では、行政行為に対する抗告争訟的なものは準司法機関的なもので処断するということがありません。行政委員会で準司法機関があることは当然でございますけれども、その準司法機関というものは、私人間の権利関係を確定するとか、いわば始審的な行政行為を司法的な手続で進めるという、行政の分野に属する事項を司法的な手続によって慎重にやるという、行政、司法混淆の組織としてアメリカから継受したものだと思うのでございます。したがって、一つの行政権限を有する行政機関がやった行政行為を、他の行政機関が批判をするという意味の純粋の、これこそ準司法機関だと思いますが、
異議申し立てでございますので、税務署長の決定に対する異議申し立てのときは税務署長ということになります。それから国税局長がやった処分に対する異議申し立てであれば国税局長、まれに国税庁長官が一、二権限を持っておりまして直接決定いたします場合には国税庁長官ということになるわけでございます。
この場合の異議審理庁は官庁そのものでございますので、構成員というよりも税務署長そのものが異議審理庁になるというたてまえでございます。
行政不服を審査いたします場合に、直ちに上級庁にいく従来の訴願の形をとる場合もあります。それから一応当該官庁の反省を促して、誤謬のある場合にはこれを訂正する作用を営ましめるという意味で、当該官庁にもう一回再審査を考えさせるという制度と、二つあると思います。ことに税務署長の場合は減額更正という手段がございますし、税務署長がみずから認めれば、異議申し立てがなくても減額更正を行なったりあるいは更正処分の取り消しを行なったりするわけでございます。その機能をまず第一義的に、簡易に発揮させる意味で異議申し立てという制度を従来から置いたわけでございます。その限りにおいては今回のこの改正は上級庁の審査決定、いわば上級庁は従来はこれを第三者と考えていた
まず帳簿書類でございますが、当然にこの審査請求人との関係する取引というものを記載した帳簿書類というのが前提になると思います。 それから、物件を留め置くという点は、これはあくまでも本来強制処分ではございません、間接強制ではございますけれども強制処分ではない。正当な理由があればその留め置く期間を当然制限をし、また、場合によっては留め置かないこともできると思います。正当な理由なくて拒否したときに拒否するという拒否権が成立をするわけでございますから、これはあくまでも一般の行政常識で解決すべき問題であるかと思います。それから、理由なく留め置くについては罰則もございません、そういう意味では任意の処分でございますから、正当な理由があれば当然こ
道府県、市町村の場合は上級庁がないというような関係で異議申し立ての手続によっておるわけでございます。これについて国税不服審判所と同じような制度を設けるべきではないかという意見は、税制調査会でも非常に多くあったわけでございます。ただ遺憾ながら、三千市町村につきましてこのような制度をつくることは、実際上市町村の規模等から申しましても無理があるわけでございます。また一方、市町村の重要な税目でございまするところの法人税、法人あるいは個人に対する住民税、それから事業税等につきましては、その課税標準については原則として国税の課税標準を採用することといたしておりますので、むしろその課税標準に対する異議というのはまず国税については起こり、その決定が
確かにそのほかにも固定資産税あるいは料理飲食等消費税というように執行の非常にむずかしい税目があることは事実でございます。それだけにこういう制度をつくれという御要求が非常にあることも事実でございます。ただ、先ほど申し上げましたように、都道府県となればかなり整っておりますけれども、市町村段階になりますと、市町村の機構そのものの中にこれだけのものを抱くだけの余裕がないという面もございます。そういう面で、将来この制度ができてからの運用その他を考えて地方として独自の考え方を検討するということで、現在のところはまだ結論が出ておりませんのが実情でございます。
ただいまお尋ねがございました現在の協議団を含む審査処理体系を新しい国税不服審判所による審査体系に直すことについてのメリットは何かというお話でございます。もちろん、こまかい点はいろいろございますけれども、基本的な問題といたしましては、従来の協議団はいわゆる裁決機関ではないのでございまして、国税局長に対する補助機関の形をとっております。国税局長は御案内のとおり直接税務署の調査決定を指揮監督いたしておりますし、また、調査課所管の法人につきましてみずから調査決定を行なうたてまえになっております。その仕事はそれぞれ直税部、調査査察部あるいは調査部というような補助機関によって行なわれるわけでございますけれども、協議団もその一つの補助機関として活
表現のしかただと思いますけれども、国税庁長官の付属機関である国税不服審判所長が裁決を行なうということが、最終の国税庁長官の権限を委任を受けてやるという意味では、国税庁長官の裁決権を行使しているとも言えますし、実質的にはみずから裁決を行なっておるという形では不服審判所長の裁決とも言えると思います。事実問題としては不服審判所長、法律的に申せばやはり国税庁長官の裁決権から生まれた独立の委任による裁決権の行使である、かように考えるわけであります。 ただ・その場合に通達に異なる決定をする場合で、国税庁長官がそれを容認しない、国税審査会もそれを認めたという場合だけが例外として国税庁長官の意による裁決が行なわれる。かような実質的な意味の裁決と
まさにその審査請求人の主張を容認するものであって、つまり処分を取り消すとか、要するに審査請求人の言うとおりにするという場合であり、しかも国税庁長官がそれがやはり正しいわいと考えるときを除いて、「意見を」という意味は、国税庁長官がこの当該、意見を相当と認めないとき、あるいは逆に、審査請求人よりも強いことをきめたという場合、その場合には必ず審査会に付さなければいかぬというわけでありまして、つまり国税庁長官が、不服審判所長の言うことが正しい、または審査請求人の要求にも合致していると思えばその場合は審査会にかけなくていい。長官がどうしても理論的にこれは承服できないというときにだけかける。そうしてそれは審査会の議に付するという意味でございます
認める場合はかけないのでございまして、「認める場合を除き、」でございますから、認めない場合、つまり不相当と認めたときにかける、こういうわけでございます。だから、長官と審判所長の意見が一致すればそれはもういい。長官がそこでわしが悪かったと思うわけでございます。しかし、どうもこれは承服できぬ、不服審判所長が行き過ぎだと思ったときだけかける、こういうことでございますから、かける場合は非常に制約されてくるわけでございます。
憲法の規定は、御承知のように従来の明治憲法と違いまして、わが国においては紛争の処理はすべて司法機関の専決権限であるということを論じたものだと思います。そういう意味では、従来行政裁判所が最終審として行政事件については最終決定を下しておったものを、行政権による最終決定というものを認めない、最後の法律上の紛争はすべて司法権のもとにおいて行なわなければならないということを宣明した規定だと思います。そういう意味では、行政段階におきまして行政不服処理というものを前置させましても、その前置によって司法権の救済が受けられなくなれば、それは憲法の精神に反すると思います、しかし、その行政不服の手段を経て最終的に司法の処理を受けられるということであれば、
ただいま申し上げましたように、わが国の新憲法のたてまえでは、最終的な司法の判断を受け得る体制であるということが根本原則であると思います。その場合に、行政段階でも当然見直しあるいは行政の監督的機能とあわせて権利救済を目的とする判断ができ得ることは行政として当然でございます。行政というものも本来合法的、合目的的なる処分をすることが目的でございますから、処分が間違っている場合に、それを合法的に直すということは行政の機能として当然のことでございます。その行政の機能を発揮することは何ら憲法に違反しているわけではございませんが、いま御指摘がございましたように、それを強制的に前置するためにそれが憲法の精神に違反するのではないかという御指摘でござい
訴願前置の規定を置く限り、その訴願を経ない訴訟というものは訴訟条件を欠くものでございますから、これは却下をされるということにならざるを得ない。やはり審査を行なって、その決定に対して出訴するというのが法律のたてまえになるわけでございますが、それがいわば訴願前置でございます。
さようでございます。
司法処分を受けることを回避するということは、逆に司法処分よりもより迅速に解決がはかられるということを意味すると思います。司法処分をどうしても受けたい人は審査を受けてさらに司法処分を受けようとするわけでございますから、この前置があるために司法処分を避けることになるという結果にはならない、そのように考えるわけでございます。 また、従来裁判所に出訴した者で判決を得た者につきまして、それが一体何年かかっているかというケースを調べてみましたが、大体二年半以上かかっております。その審査の前置がございましても、三カ月を経過すれば当然に出訴権を得るわけでございます。そういう意味では、審査の決定でいま九割八分くらいは満足すべき結果を得て出訴しない
お説のとおり形式的な手続を経させるのが目的でないことは明らかでございます。現在、御指摘のように、納税者が裁判所の判断を受けようという場合には、納税者に確信があるわけだと思います。確信がある限り税務署あるいは審査の段階で簡易にそれが正しいと認められるほうが、より結論としてはいいと思います。裁判所に、その審査機関があなたのおっしゃることは正しいといって認めた場合に、さらに訴訟を起こす実益はないわけです。納税者は訴訟を起こしたいのではなくて、問題は、自分の正しい意見どおり解決してほしいというところに希望があるわけであります。どうでもこうでも訴訟を起こしてやらなければいかぬということではないと思います。そういう意味ではそういう正しい確実な証