それからこの補償の問題ですが、これは伊藤委員からも質問があつたかと記憶いたしますが、刑事補償についてはこれは問題はございません。ところがこの行政処分による損害については何らの補償の考えもない或いは規定もないわけですが、これはどういう工合に考えておられますか。
それからこの補償の問題ですが、これは伊藤委員からも質問があつたかと記憶いたしますが、刑事補償についてはこれは問題はございません。ところがこの行政処分による損害については何らの補償の考えもない或いは規定もないわけですが、これはどういう工合に考えておられますか。
この法律について濫用が非常に心配をせられるわけでありますが、そこで例えば説明を聞いて参りますというと、「ヌ」の点について従来指摘せられたことは問題ございませんが、「リ」の項のごときは私は削除して然るべきものだというふうに考えるのでありますが、その例えば伊藤委員が質問せられた或いは濱職罪の問題についてもこれは七十三條だけでしたか……、もつともつと濫用を防止するために強い規定を設けてはどうか、或いは賠償の点についてもそうでありましよう。或いは條文の点でいいますならば、その「ヌ」は別にいたしますならば、「リ」のごときは従来から言いまして例えば凶器というのを、凶器は人を殺すに足る凶器として考えておられたのでありますけれども、実際に過去におい
それからこれは法全体の問題でありますが、判例は刑法解釈の有権的解釈として確立せられて参るわけでありますが、説明をずつと聞いて参りますというと裁判は裁判だ、或いは刑法は刑法だ、これは行政法であつて行政的な観点からする点は別だ、こういうことになりますと、例えば凶器のごときも、判例上それが凶器であるかという問題が問題ではなくて行政官による判断、それが凶器であるかということが判例とは別にこれは取扱われる、これは一応今までの説明からしても考え得るところであります。その行政権による、いわば違法性と言いますか、或いは違法性というところまで行かなくとも、違法性の意味が行政法規に違反するかどうかという判断の基準が別になつておる。その点に大きな心配をす
先ほど賠償問題についてお尋ねをいたしましたが、はつきりしない点もございましたし、それから昨日でしたか中山委員の御質問に答えて国家賠償法が適用されるかのような御答弁もございました。後で伊藤委員から文句が出てそのままになつているのでありますが国家賠償法の適用はこれはできんことは明らかであります。そこで行政処分によつて団体が解散された、或いは機関紙が停刊された云々という、こういうまあ法の濫用と申しますか、或いはたとえ刑事処分でなくても行政処分によつて不当な被害を受けたという場合、救済の方法は全然ない。これはほかの行政法或いは行政処分によつても別にないのだから、こういう御趣旨の御答弁であつたようでありますが、よく言われておりますように、半年
考慮して行きたいということは今後法上にはつきり出して行く、こういう御意向なんでありますか、その点承わりたいと思います。それからもう一つ故意又は過失によればこれは国家賠償法の適用がございましようけれども、故意又は過失でない場合、無過失の場合がこれは多い。少くとも何と申しますか、行政権としては考えられるでしよう。そうするとこの法の適用はないと結局考えるとこういうことになりますが、その考え方というのは今後法上別の法律か或いはこの法文になるかどうか知りませんが、入れて参りたい、こういう御趣旨なんでしようか。
そうする国家賠償法の問題として、或いは国家賠償法の改正といいますか、こういうことで考えておるということなんでしようか。
そうすると考えようというこの場限りの御答弁のようにしかまあ伺われないわけです。考えてみよう、考えるのが何年かかるかわかりませんが、それではこの法律によつてそういう救済が必要になる場合が考えられるが、その救済はどうするのだ、こういう具体的なこの法の救済という問題が出て来んわけです。この法律による救済の必要については一応これで行つて、問題が起つてもそれは規定がないし、それから行政処分についての無過失責任はとる建前になつておらんから、知らぬ。こういうことになるのじやないですか。
結局考えようという、或いは考えているというお話でございますけれども結論は得ておらん。そうすると国家賠償法の改正も実際問題として早急に行うというのではない。そうするとこの法律の運営によります救済については何ら考えられないと、こういうことになつて初めに返りまして、そういう事態が起つた場合にどうするのだということについては何もない、こういうことに実際問題として相成つて来るのです。それじや最初の質問についての答弁には結局ならんと思う。
そうするとこの法の運用について濫用なり或いは間違いのないように心がけたい、或いはしばしば言われましたような研修所を設けるとか、或いは委員会を作つて民主的にやるのだから間違いはなかろう、こういう御説明に還つてしまいます。それでは、この法律が私どもにとつてはしばしば濫用される慮れがあると考えますけれども、あなたの言葉で言うならば、万一そういうことが起つても救済の方法はない、こういうことになりますな。最初の質問にあります或いは活動が制限された、或いは解散させられた、そうして裁判が行われてそれが間違いであつた、或いは取消された、これについての救済の規定はないのじやないか、これはどうするのだという質問のお答えにはならぬと思います。運用の面で濫
それではこの事実上の救済については何ら規定を設ける必要がないと、こういう御意見に相成るかと思うのでありますが、この法の適用によりまして与える影響を考えて、私どもはこの法上に救済の措置を考えるべきだと思うのでありますが、これは主張になるかと思いますので、その程度にとどめたいと思います。それからもう一つこの法律の適用の右、左の問題でありまして、暴力行為等取締に関する法律は、これは特審局では考えたことはないと、こういうまあお話でありますが、ですから大正十何年かの法律がそのまま今日残つております。この法律の中には一番軽いので五十円の罰金というのがあつたと思うのですが明らかに右翼的な暴力行為については古い規定でそのまま残つておつて、そうして説
扇動の具体的な事例として、石川達三氏のあれが出たのですが、しまいのパチンコのところにこれは用心深く逃げてあるわけです。若しパチンコのことが書いてなくて、そうして自分の気持では国会も燒き払いたいくらいだと、こういうことで書き放しになりまするならば、これによつて例えば或る行為が起つたと、そうするとその石川達三氏の意思がどこにあつたかはともかくとしてこれはやはり行政行為の対象になる行為が起つてそうして石川氏が中正な判断を失わしめたかどうかと、こういうやはり結果責任になることは事実じやありませんか。そうすると石川達三氏の意思が本当にどこにあつたかはとにかく、その見当から責任を問われる、これはあり得ることだと思うのですが、どうですか。
扇動の概念については、いろいろ繰返して、中正の判断を失わしめるのだとか、或いは感情に訴えるとか、いろいろ言われますけれども、これは共産主義者の側から言いますならば、そういう言葉は勿論使いません。一番いい扇動は、事実を、こういうこともあつた、ああいうこともあつたと、これが一番いい扇動だと、こういう表現をたしかしたと思うのであります。そうすると中正の判断を失わしめたかどうかということは、これは今まででありますと、裁判所の判断、今後においては、これは行政機関で判断をせられるわけであります。そこでこの扇動なら扇動をやつた人間の気持と、それから扇動をやつたかどうかという判断をせられる行政機関とは、これは別であります。そうすると今犯意ということ
とてつもない判定は下されんと言われますけれども、説明を聞いておりますというと、裁判ではなくて行政処分でやられる。で裁判は裁判だ、それからこの治安警察の活動は別だと、こういうお話でございますので、例えば扇動になるかならんかということも、第一次的には調査官、或いはそれは長官ということに法文上はなつておりますけれども、実際問題としてはこれは殆んど調査官であろうと思います。そこに危険性を感ずるのでございます。その辺は押し問答をしても仕方がございませんから、その程度にいたしまして、先ほど国家賠償法の問題で、故意、過失によつて云々ということですか、その一條一項の、「公権力の行使に当る公務員」ということが表現されておりますが、調査官もそうでありま
そうすると五名の委員が全部連帶して責任を負うと、こういうことになるのでしようか。
そうするとあとの賠償責任は国になりますが、公務員というのは、それでは個人の公務員ではなくて、五人なら五人の委員会が、この場合に言う公務員と、こういう解釈になりますか。
それでは時間も大分過ぎて参りましたし、終りたいと思うのでありますが、最後にやつぱりどうしてもこの行政機関による行為というものは、この法の概括的な規定からいたしましても、何と申しますか、説明されたような運用でなくして、濫用と申しますか、或いは現われて参る活動、或いは言論、出版、集会、そういうものに規制の対象が向くだけに、心配と申しますか、この法案の弊害というものはどうしても私ども拭い去るわけには参らんのであります。特に民主主義の原則に鑑みまして、公共の福祉のためであるけれども、基本的な人権が制限されることは止むを得ない。思想には思想をというものではなく、力で以て力を規制する。国の力を以て規制すると、これは納得で以て思想に対抗して行く、
これはこの前の委員会で伊藤委員から質問せられたことでありますが、昨年の定員法改正のときに人員を減らしてそのときにも念を押されたけれどもこれでやつて行けると、こういう御答弁。併しなおその時にも人員の問題については別に大蔵省との折衝がなされておつたと、こういう御答弁があつたと記憶いたしております。それで私はあの質疑を通じまして問題を何と申しますか、事務的に処理せられた点はわかります、併し問題を法律として国会の審議を仰ぎ、そうして一年もたたんこの国会に再び定員法の修正という要請をせられて参りましたことについては、これは裁判所なり或いは法務府として国会の審議権をどういう工合に考えておられるのか。法律制定ということについて極めて無責任だという
この前の伊藤委員の質疑で今のお話のような事務員だけでなかつたということは明らかになつております。それで問題は例えば他の各省の事務的な要請であるならばこれは別でありますが、問題は裁判所職員の定員ということで、法を守る、或いは立法の意思、或いは法律の意義というものについては十分御承知であり、最も強く考えておられなければならん裁判所から、昨年の暮には人間を減し、そうして半年たつかたたんかのうちに再び人員をふやして来る、而もその間に減すときにも人間を大蔵省にこれだけ減すのでは……、どうかふやしてもらいたいという話のあつたという御答弁はあつたのであります。そのときは鈴木局長であつたかと思うのですが、そういういきさつの中に裁判所ともあろうものが
この問題はこの程度でやめたいと思いますが、今のお話の中にもございましたけれども、大蔵省との折衝、そして一応できた案、それについてのとにかく審議を重んぜられて、国会で昨年定員法の修正、減員についての法律を出し、そしてこの国会に増員の法律を出す、こういう点がこれが最高裁判所じやなければともかくでありますが、問題は法律の権威について、或いは立法権の権威については最もよく考えらるべき裁判所が、そういう事務的なと申しますか、或いは大蔵省との折衝の責任を国会に措置を申込んで来る、こういう点について私は大いに反省せらるべき点がある、そこで立法権をもてあそんだという非難があつても云々という反省もございましたから、この程度で質問を私は終りたいと思いま
私はこの破壊活動防止法案その他三法律案の持つ重要性、それから日本の民主主義に與えます基本的な影響を考えますとき、この審議の重大性を強く感ずるものであります。或いは私どもとしては今日においては自由に質疑し、それから反対することができますけれども、民主主義を守る力が失われますならば、次の機会にはこういう自由な論議は困難になるのではないかと考えるのであります。この点については基本的な論議になりますけれども、これは質疑で順次明らかにして参りたいと考えております。 〔委員長退席、理事伊藤修君委員長席に着く〕 第一点は破壊活動防止法案その他三法案の中心的な狙いでありますが、或いは三法案の本質と申上げてもいいかと思いますが、これは団体