その警察行政の中で、あとの点が答弁が抜けたのでありますが、これは治安という言葉が説明その他出ておりますし、治安警察ではないかという点を伺いたいと思います。
その警察行政の中で、あとの点が答弁が抜けたのでありますが、これは治安という言葉が説明その他出ておりますし、治安警察ではないかという点を伺いたいと思います。
それでは治安警察更に思想警察になりはせんかという点は、これはあとで質疑を重ねて参りませんと、抽象的に治安警察、思想警察と申しましても論議にならんと思いますので、あとで質疑を具体的にして参りたいと思います。 それでは法文の中心につきまして、法文についてお尋ねをいたしますが、警察或いは……私はこれを治安警察と呼びますが、その治安警察を規定しました條文は、しばしば質疑せられましたように第三條とそれから四條は定義でありますけれども、これに基きます六條、団体の規制という点が中心であるということは、これは説明で明らかになつて参つたと思うのであります。その団体の規制の前提と申しますか、論理的な前提でありますが、三條と六條、この三條の中で内乱と
ちよつと少し把握しかねるところがありましたけれども、先ほど第一にお尋ねいたしましたように、この法案の中心的なものは警察法的なものである。言換えますと、たしか六章だつたと思いますが、刑罰規定は、これは刑法の特例のようなものであつて、これはこの法案の中心ではない。これは刑事訴訟法に従つて措置せられるわけであります。この法案の中心的なものは団体の規制であり、その団体の規制の條件というものが三條に掲げられておる。そうするとその三條の條件の中心をなすものは、或いは内乱、或いは二号のイからリに至るものはこれは刑罰規定で以て賄われているし、実際に事前段階の危険な行動を防止するという考え方であるならば、その一号のイ、ロではなくして、ハに、それから二
佐藤長官の言われることは私も否定するわけではありません。その規制の中心的な狙い、それを事前段階で規制する、危險を予防するというか、こういうあれから言うならば、三條の一号のイ、ロ或いは二号のイからリでなくて、ハなり或いはヌというものが論理的にも或いは実際的にも中心になるのではないか、こういうことを申上げておるのであります。
一番最初にこの三法案の中心は何かとお尋ねして、そのときには行政関係或いは警察法であるという点をお認め願つた。今になつて、いやそのほかに刑罰的な規定の根拠になる、ですから一番最初の御質問を申上げたわけです。刑罰的な規定なり或いは刑罰的な手続があるということを私が否定しておるわけではございません。この法案の中心的な狙いからするならば団体の規制が中心、その団体の規制の前提と申しますか、條件になる点からいうならば、第三條の中の一号で言えばハ、二号で言えばヌが中心になりはせんか。それは事前段階と申しますか、或いは危險の予防、こういう説明からしても、論理的にもそれから実際的にも今後行われるという点について、それが中心に事実上なるのではないか、こ
刑罰規定があることを否定するわけではございません。ただ旧治安維持法に比べまして、旧治安維持法はこれは刑罰規定の特別法、この破壞活動防止法は刑罰規定も入つておる、それがないということを言つておるわけではない。併し今までの説明を聞いて来ておると、警察法的な団体の規制が中心に考えられておる。或いは公安調査庁なり公安審査委員会というものがやるものも、これは団体規制が中心である。その事前活動もありますけれども、これはもう明らかだと思う。そういう意味において警察法が中心になつているんじやないか、警察法が中心になつておるということになると、第二章の四條なり六條ということになりましよう。その手続、これは手続と申しますか、規制の條文は四條、六條が中心
どうも隔靴掻痒の感があるのですが、刑罰法規を規定してそして処罰だけで取締つて行こうというならば、それは刑罰規定が中心でありましよう。併し団体の規制が中心であるというならば、その内乱なら内乱が起つて、それでそれを処罰する。それで予防するというのじやなくて、その内乱の危險性がある団体を規制する、こういう建前をとつているならば、その内乱が起る前の要するに事前段階で云々という説明なんであります。そうすると実際的にも論理的にも先ほど申上げました一号のハ或いは二号のヌというものが実際に中心になるのじやないか、或いは論理的な前提ということにならなくても、今までの、できるだけ事前段階で抑える云々、或いは問題が起つて処罰する、それだけで治安を維持する
それではその点はその程度にとめておきまして、一番問題になるのは少くともそういうところだということ、それから今後の運営の面において一番心配されるのはそこだ、この点を指摘するにとめたいと思います。 で、それは木村法務総裁は殺人、放火、強盗等の危險中の危險の行為と、こう言われますけれども、その危險の行為が出たらそれは刑法で取締るのだ。その前にその予備、陰謀、教唆、扇動としてこういう行政処分をするというところに問題が起つて来る。或いは例えば内乱というけれども、内乱の暴動が起つたらこれは刑罰問題になりましよう。それは行政処分の点になるかも知れませんが、今の特審局長のお話ですと、そういう問題は、朝憲紊乱なら朝憲紊乱の目的、或いはその正当性、
余り細かく議論、質疑をするつもりはないのでございますが、問題の点だけを指摘して先に参りたいと思います。 これはその仮案、それから今の御答弁からしましても、日本国憲法という問題を離れて朝憲紊乱という問題は考えられない、これは自明の理だと思う。そうしますと、皆さんの考えのような公共の福祉のためには基本的な人権も制限し得るというような考え方、これは私は朝憲紊乱のような考え方だと思う。それはとにかくとしまして、朝憲紊乱ということが裁判ではなくて行政権の判断によつて行われている、既成の事由となつて行くというところに非常な問題があるということを考えておる。この問題はあとで具体的な條文の個々の質問の際に明らかにして参りたいと思いますが、この破
木村法務総裁はどういう工合にお考えになりますか、一応出て来ました法律案は団体等規正令とは関係ないようになつておることは、今の佐藤長官のお言葉の通りであります。併し実際において立案の過程を見てみますというと、団体等規正令に代るべきものを作ろうとされたことは明らかだ。而もその団体等規正令の中での民主主義、平和主義を擁護推進しようという精神は失われていると思う、或いは忘れられていると言つても過言ではないかと思うのでありますが、この講和後の法律を作つて参ります場合には、過去の事実或いは過去の法令でなくて、憲法に還つて、その憲法の醇乎たる精神から法律を作るべきであるということは当然であると思う。この点についての考慮の不十分さを私どもは指摘して
民主主義を守るために必要止むを得ない措置、これは今までずつと聞いて参りました説明でございます。そこで民主主義の本質論になるのでありますが、それはあとにいたしまして、先ほど中山さんとの質疑の中に出ておりました、或いは羽仁委員或いは伊藤委員の質疑の中にも出ておりましたけれども、基本的に民主主義を守るためには民主主義的な方法で、言い換えますならば、或いは思想には思想ということになるかと思うのでありますが、その点についてこれは各委員と法務総裁とのお考えの間には大きな開きがございます。それは私についても言えるのでありますが、それは今論議しようとは思いません。その開きの点だけを指摘いたしまして、次の点をお尋ねしたいのであります。 それは過去
そうしますと、例えば治安維持法、治安警察法等についても同一の理由ありとお考えでありますか。
私は終戰後治安維持法或いは治安警察法、出版法、新聞紙法等、これらのものの廃止というものは、ひとり特高警察が思想警察として思想に介入したという点のみではないと思う。これは旧憲法によります警察のあり方或いは行政権のあり方もそうであつたと思うのでありますが、それが根本的に変つて、そうして新憲法によつて警察制度というものを、或いは行政権のあり方というものを根本的に変えたと思うのです。その認識がないからこそ、特高警察にならなければ何をやつてもよろしいのだ、こういう態勢をお考えになるのだと私は思うのであります。そこで行政法の基本原理についてお尋ねをいたしたいと思うのであります。手許にあります書物としては僅かに田中一郎氏の本しか部屋になかつたので
木村法務総裁の今の御答弁の中に、關さんがしばしば愛用せられます公共の福祉のためには基本的人権の制限又止むなし、こういう思想が入つておる。これは皆さんに共通した考え方だと思います。立法権、或いは或る場合においては司法権に対しても優位を持つておつた行政権、それを国民主権の構想の下に相当引下げて参りました。そして例えば内閣が国会を通じて間接に国民によつて選ばれる、或いは公務員を選ぶ権利を国民に賦與して、できるだけ直接選挙の制度をとつて参りました。或いは委員会制度等もございますが、民主的に引下げて、行政権まで、或いはなかんずく過去におきましては行政権の中心をなした警察、内務大臣を筆頭にしていわゆる内務官僚と申しますか、こういう行政権、その中
御参考に、この行政権の姿を民主的な或いは地方分権的な、或いは民主的のものにするか、或いは旧憲法下のような中央集権的な或いは官僚行政に、国家警察主義によるかどうかと、こういう議論の際に、法務総裁なり或いは皆さんが述べておられるような公益と関連いたしまして極めて面白い言葉を発見いたしまするので、一つ読み上げて御参考に供するのであります。それは「憲法義解」であります。旧憲法を解説いたしました伊藤博文公の「憲法義解」中の、これは何項であるかわかりませんが、極めて教訓的でありますので、読み上げることをお許しを頂きたいと思います。 「司法権ノ獨立ヲ要スルカ如ク行政權モ亦司法權ニ對シ均ク其ノ獨立ヲ要ス」、これは行政裁判を必要とする理由につい
そこで実は裁判所の側の意見を聞くつもりでありましたが、御退席になつたようでありますから、別の機会にいたしまして、今の佐藤意見長官の中にもございました行政権による審査或いは審判と申しましようか、これと、それから司法権の問題については別に論議することにいたしまして、少くとも私どもは行政裁判所というものをなくして、そして国民の権利義務に関する訴訟は、これを司法裁判所にやらせると、こういう精神でありますならば、裁判の余地は残してあつても、裁判に相当するようなものは、これは司法裁判所にやらせるのが新憲法の精神ではないか。成るほどそれは前審であつて、終審は司法裁判所にやらせる。併しながら行政事件訴訟特例法の十條二項による処分の実権はこれを残して
大体を伊藤委員長に伺がつたのですが、そうしますと法制意見局ですか、新らしい民事訴訟法をお作りになつている仕事も進められているんだろうと思うのですが、いつの機会に御提案願えるような運びになつておりますのか、その点を伺いたいと思います。
そうしますと、二年ですから、実際には、今法制意見局長官は次の通常国会とはつきり言明できないけれどもというお話ですけれども、実際問題としてはこの次の通常国会に出す以外には、期限の切れるまでに出すというと、そういうことになるんじやないですか。
それまでには出す、こういうお話でございますね。
伺つておりますと工場抵当法、或いは鉱業抵当法、随分古い法律で、修正をせられましても現在の経済情勢に合うのかどうかという疑問を持つのですが、これはまあ全体の問題ですし、個々に論議をしなければ、或いは抽象的な議論では仕方がないかと思いますが、先ほどちよつと承わつておりまして、財団の消滅の原因について、数個の財団を合併するときには消滅するかどうか、消滅とされるかどうかというお話でありましたが、例えば財団といい或いは法人といつても、会社の場合等については実際に殆んどまあ変りはない、会社の場合は合併によつてその会社はなくなる、これは人間を中心にして考える、こちらの場合には財産、施設を中心にして考えるということかも知れませんけれども、実態は餘り