A表七十一、知念補給地区に陸軍混成サービス群がいまおるわけでございますが、このあと地はほかの部隊が使うと、こういうことを先方は同時に発表しております。御存じのとおり、われわれにとっては沖繩は非常に基地が多過ぎると、そういうことをしょっちゅう言っておるわけですが、米側にすれば、まだこれでも狭過ぎると、そこであと地も使えるものは使うと、こういうことを言っておるわけです。知念補給地区につきましても、先方はまだ解放しないと、こういうことを言っております。
A表七十一、知念補給地区に陸軍混成サービス群がいまおるわけでございますが、このあと地はほかの部隊が使うと、こういうことを先方は同時に発表しております。御存じのとおり、われわれにとっては沖繩は非常に基地が多過ぎると、そういうことをしょっちゅう言っておるわけですが、米側にすれば、まだこれでも狭過ぎると、そこであと地も使えるものは使うと、こういうことを言っておるわけです。知念補給地区につきましても、先方はまだ解放しないと、こういうことを言っております。
一般論といたしまして、これらの基地は、そこにおる部隊のために提供するものではなくて、一般的に沖繩に駐留する米軍に提供すると、こういうことになっておるわけでございます。もちろん先生の御主張はよくわかりますし、われわれも同じように考えてずっといままで交渉してきたわけでございます。また、今後もそのような趣旨で交渉をいたしたいと思います。しかしながら、何ぶん、いままでのところ米側は、ともかく基地が十分でない。彼らとしても部隊を入れかえたりしてフルに使っておる。したがって、知念補給地区はいまのところ返せない、これがこの問題に関する回答でございました。
まさに先生の言われたとおり、われわれもこれらのA表の基地を向こうに提供するにつきましては、この地域をどの部隊が、どういう目的に使うか、どの範囲で使うか、こういうことをはっきり確認いたしまして合意に入るわけでございます。しかしながら、御存じのとおり米側はC表に掲げてある地区を解放するわけでありますが、 〔委員長退席、理事西田信一君着席〕 それからB表に書いてある地区もそれぞれの条件によって解放する。したがって、彼らとしては、これだけの土地を実はわれわれの要求に従って解放し、あるいは、したんだと、そこで彼らとしては基地が足りないんだと、そこで、これらの地区から解放のためにわがほうに返した基地の部隊をこれから先方がこちらのほうに回
当時私の答弁は、沖繩におる防衛関係の専門家からの意見を聴取した上でお答えしたわけでございますが、その後、御質問がございましたから、さらに米側に対してこの旨を申し入れまして調査を依頼しております。まだ回答に接しておりませんですが、われわれの判断では、先ほど申し上げましたとおり、軍事専門家の言うとおり、これは普通の爆弾であると、こういうことだと思います。
米側では、経費節約の見地から、鑑艇の乗り組み員の家族を極東地域に移住させて、居住させて、そして経費を削減しようというような計画があるように聞いております。したがって、空母の乗り組み員をわが国に住まわせたいというような希望もあるやに聞いておりますが、正式には、いままで何らこのような提案が来ておりません。
御存じのとおり、ロランCは沖繩のみならず、硫黄島にもございますし、また十勝太の通信所にもございますし、南鳥島にもございますし、それから横浜ノース・ドッグにもございます。したがって、ロランCが単にポラリスのためのみならず、ポラリスはもちろんおそらく使われると思いますが、民間の、あるいはその他の軍事用の目的にも使われるわけです。で、軍事用と申しましても、普通の放送施設も、戦争になれば、飛行機が自分の位置を確かめるためにやはり使われるわけですから、結局平和的に利用されるものも軍事的には幾らも利用できると、あたかも灯台が軍艦も利用できるしそれから普通の船舶も利用できると同じわけです。ただ技術的に進歩しておりますから、ですから、ますます正確さ
当時の交渉は、非常にデリケートな、最も重要な段階にありましたから、われわれとしては一切そのような議事録というものはとっておりません。みな口頭で先方と話し合い、かつ口頭で関係者に伝える、こういうことで、一切そのような文書はとっておりません。
パリ会談は私自身がついてまいりましたから、当時の記憶をたどりますと、あらゆる重要なことは全部電話をもって本省と連絡いたしました。
いま先生がおっしゃったようなことは全然ございません。
そういうこともございません。御存じのとおり、パリの交渉は、先日も申し上げましたとおり、主として返還日をいつにするかということで、四月一日をわれわれとしては希望するということを申し、それからP3の撤去をひとつ早急にやってほしい、これがおもな議題でございました。
先ほど申し上げましたとおり、メモなるものは全然ございません。
先ほど御指摘のあった四月十日、ラオスのカンパン・パニヤ外務大臣代理、外相との会談録はございました。しかし、その他の三つにつきましては、まだいま調査中でございます。
先ほど申し上げました、われわれの確認した四月十日のカンパン・パニヤ外相代理との会談録は、極秘の判が押してあります。
先生の御指摘の文書は、われわれは持っておりません。しかしながら、いま御指摘の斜めに二本線が引いてあって極秘と書いてある、これは、その現物を見てみないとわれわれもはっきり申し上げることはできませんですが、電報の来電は、ある種のものは、そういう判こというのか、そういうしるしがついております。
お答たえいたします。 瑞慶覧基地から、一号線を通りまして、ハンビー飛行場から地先水域に入りまして、台湾のマコーレー基地まで行っております。
いまの海底電線は、四十四番のキャンプ瑞慶覧(ずけらん)からでございます。四十五番は瑞慶覧(ずけらん)通信所でございます。
三十四は平良(たいら)川、アメリカではデラ川と呼んでおります。三十五は波平(なみひら)ですが、アメリカはハンザといっています。
その辺の事情は各地名につきましてそれぞれ経緯があると思いますが、おそらく沖繩名前といいますか、そういうものをローマ字に直したときに、多少聞き間違いその他がありまして、それでズケランをスキランと書いてスキランといい、またローマ字で書いたために、またアメリカ人がその発音をアメリカ式に発音する、こういうようなことによって、起きたんじゃないかとわれわれは想像しております。
われわれといたしましてはあくまでも日本語のテキストを正文として使っておりますから、少なくともわれわれに関する限りこれで不都合はないわけでございますが、アメリカ側は従来の呼び名が彼らとしてもやはり便利である、こういうことで彼らの呼び名に固執していたわけでございます。この点につきましては、名前及び基地を区分けしたり統合したりするときにいろいろディスカスいたしましたが、結局現状のような形になったわけでございます。
先ほど御説明いたしましたように、たとえば平良(たいら)川をなぜデラ川と向こう側は呼んでおったかということから申し上げますと、やはりアメリカ人は、現地の方言というのか、その部落の人たちが使っていることばをそのまま耳でとりまして、そしてデラと書いたわけでございます。したがって正式にタイラと読む読み方もあるでしょうし、また現地の人たち、部落の人たちはデラと呼んでおりますから…… 〔発言する者あり〕