第二の問題点は、七四年から七六年にかけて払い出された架空名義の定期預金は九千六百万円ではなく、私はもっと多かったのではないかといういろいろの調査結果を持っています。この点も大蔵、警察、調査をしておいてもらいたいと思うんですが、よろしいですか。
第二の問題点は、七四年から七六年にかけて払い出された架空名義の定期預金は九千六百万円ではなく、私はもっと多かったのではないかといういろいろの調査結果を持っています。この点も大蔵、警察、調査をしておいてもらいたいと思うんですが、よろしいですか。
本題に入らしてもらいますが、まず大蔵大臣、先週の閣議後の記者会見で、防衛費を聖域扱いにしないとしながらも特別扱いをするように示唆されたと四月十七日の日経が伝えていますが、その真意をお聞かせください。
四月十七日の日本経済新聞。
五十七年度。
防衛費も他の予算と同じく全く白紙である、よろしいですか。
私は、最近の政府の財政再建論議を聞いていてどうも不思議でならないわけでありますが、政府は財政再建というものをどのようにお考えになっているのか。財政再建とは、端的に言って特例公債、赤字国債をなくすことそれだけなのか、これは大蔵大臣いかがですか。
赤字国債をなくすることは、それ自体は悪いことではないわけですが、それを行う姿勢はどうなんだというところが問題であります。赤存国債をやめるのはなぜか。財政運営にとって都合が悪いからやめるわけでしょうけれども、この赤字国債の害毒というものはこれは大蔵大臣、何なんでしょうか。
国が借金するということを家計になぞらえて倫理的に間違っているという説明は、これは古典派以来の論理といいますか、説明の仕方でありますが、この財政インフレについて貨幣数量説の影響が出ているのかどうかわかりませんけれども、政策当局の姿勢が私は大変甘いような気がするんです。 で、最近はやりのブキャナンなどの書いた、訳されたものを読んでみますと、赤字財政は必ずルーズなマネーサプライをもたらすというふうに言っていますね。ブキャナンの考え方と私の考え方とは、かなり読んだ限りでは違いますけれども、長期的に見た場合に、赤字財政というのはやっぱりインフレを呼び起こすということは理論的には正しいのではないだろうかと思うんですが、これは大蔵大臣、どうお
それでは公債発行がクラウディングアウトを引き起こすという考え方ですがね、これはどうでしょうか、民間資金の枯渇、投資の減退を引き起こすということが言えそうな気がしますがね。現にクラウディングアウトというのは起こっていると見るわけですかね。
従来から公債歯どめ論というのが絶えず繰り返されてまいりました。大変繰り返しの議論がたくさんあります。たとえば一九六七年の十二月の財政制度審議会の報告を読んでみますと、「公債政策を弾力的に行なうためには、現在の公債依存度を極力引き下げていかなければならないが、このことは、健全にして弾力性に富む財政にとって不可欠の前提である。従って公債依存度は、ここ数年の間に五%以下に引き下げることを目標とすべきである」、こういうふうに言っているわけです。すでに六七年の段階でこうした警告がされているわけであります。十年以上この警告は財政当局によって無視され、ほごにされてきた。で、なぜそういうふうになったんでしょうか。
それじゃ一九七六年、七七年度にも公債歯どめ論が展開されましたね。で、このときには、公債依存度を三〇%というふうにされたわけです。ところが七七年から八〇年度までは三〇%を超えたと、これはなぜですか。この時期の経済というのは回復基調にあったわけですね。で、減らそうと思えば減らすことができたと私たちは考えているから、たくさんの論議が——ここに国会論議案持っていますけれどもね、わが党の木村禧八郎さんを初めとして、有能な論理が展開されていますよ。それにもかかわらず、政府はその努力を怠った——怠ったと言ったらあなた方怒るかもしれないけれどもね、客観的、結果的に見ればそういうことになる。そういうふうに私たちは考えるのですがね、これは大臣いかがです
余り実りのない論議をしてもしょうがありませんからあれですが……。実はわが党は六五年の不況以来政府が公債を発行することに反対をして、さまざまな根拠を挙げて反論をしてきました。一九六五年十二月二十二日の衆議院の大蔵委員会で、社会党の武藤現政審会長がこういう質問をしているんですね。「特例法をつくれば、大蔵省の都合のいいように、あるいは政府の都合のいいように、国債発行でもどんどんこう簡単にやれるんだ、こういう考え方は財政法を無視してしまう結果になると私は思います。こういう方法をとるということは、まことに私は許され得ない財政法の侵犯であると思います」、こう言っているわけです。この質問に、当時の大蔵大臣はどう答えたと思われますか。
当時の福田大蔵大臣は、「特に特例として本年度限りの措置としてお願いする、」と言っているわけです。または十二月の二十一日の参議院本会議において亡き木村禧八郎さんは、「赤字に対する処理は一体どうされるのか。これは公債発行によってまかなったら、これは財政法四条の違反であります。」とただしているわけです。福田大蔵大臣はこれに対して、「今日は申すまでもなく、もう日本の国力は相当発展してきております。世界第五の生産をあげる地位まできております。こういう時点において、幾らか政府が借金をした、そういうことは、信用上、私は何の支障もないと思う。」、こういう姿勢なんですよ。で、これどう思うんでしょう、大蔵大臣。当時は世界第五位で、いまは世界第二位だから
私はきょう少し振り返って論議をしておかなければならないと思ったのは、必ずしもそういう認識に立たないからなんですよ。われわれはちゃんと一九七〇年度の後半、最終段階まで見通して、私も出てきたときから論議に参加させてもらいましたが、十年、十五年後を見通しながら私たちは物を言ってきましたよ。そうしてちゃんとわれわれが指摘したとおりの結果に財政危機的な状態という面から見ればなっていることは間違いがないわけです。したがって、過去を少し振り返ってもう一遍論議をしてみたい、こういう気持ちでいま謙虚にやっているのですが、当時の佐藤総理大臣は、六七年の五月四日の参議院予算委員会で「公債政策に踏み切りました場合に、財政の弾力性を保ち、しかも、公債を発行し
ちょっと確認しますが、さっきの三原則はいまでも生きているというふうに見ていいんですか。
一九六七年三月の参議院予算委員会で水田大蔵大臣は、建設公債というのは社会資本の蓄積になると言っているわけですね。「この資産は将来長く国民経済に寄与する、貢献するものでございますので、」「そういう長きにわたって国民経済に役に立つ資産を税金だけでやっていくか、それとも、民間に蓄積された中からこれを活用していくという方法で対処していったらいいかということになりますと、公債というものを発行することは決して悪いことじゃない」とおっしゃっておられるんです。これは渡辺大蔵大臣、当然反論があってしかるべきでしょうね。
ともかく私は、当時の政府というのはやっぱり国債に対する認識が甘かったんだというふうに思うんです。これはいまも言われましたが、建設国債であろうが赤字国債であろうが、同じく甘かった。そのツケがいまに回ってきているわけであります。 そこで、当時の議論として、私はきわめつきの議論と思うのでちょっと紹介をして過去を振り返ることの最後にしたいのでありますが、そして大蔵大臣の見解を伺いたいんですが、一九六九年二月十七日衆議院大蔵委員会で福田大蔵大臣は、「公債は全然なくすることがいいかというお話でございますが、私は二、三千億の程度の公債というものは残しておいたほうがいいと思う。つまり、今後財政が景気調整機能を持つ上においての弾力弁のその火を消し
私は大体いままでのことを振り返りながら、歴代政府の公債政策の甘さというものが客観的に見ればある意味では十分掘り下げられたと思っているんですが、八一年の国債引き受けでありますが、資金運用部による国債引き受けを一兆円増額して三兆五千億円となっているわけですね。シ団の引き受け、公募入札を減額しているわけですが、その理由というのは何でしょうか。
新規国債の保有状況を見てみますと、七四年度末では資金運用部シェアが四二・七%あった。そういうものが七九年度の末では一四・四%に落ちてきているわけですね。次に、市中金融機関の状態というものを見てみますと、これは今度は逆になりまして、一九・七%から四二%にふえてきているわけです。ちょうど逆転をしたわけでしょう。素直にこれを考えてみますと、運用部引き受けをもう少しふやしてもいいということになるんじゃないでしょうかね。どうでしょう、これは。
郵政大臣、どうでしょう、この辺は。同じ質問についてどういう御見解をお持ちですか。