それでは重ねてお聞きしますが、七月の二十二日、六十六回の国会の参議院予算委員会で、増原当時の防衛庁長官は、私に、十三万二千坪の泡瀬ゴルフ場を基地リストA群からはずすべく再検討を私が迫りましたことに対して、具体的な問題として十分検討する、折衝したい、こう約束されましたが、その折衝の結果はどうなっておりますか。
それでは重ねてお聞きしますが、七月の二十二日、六十六回の国会の参議院予算委員会で、増原当時の防衛庁長官は、私に、十三万二千坪の泡瀬ゴルフ場を基地リストA群からはずすべく再検討を私が迫りましたことに対して、具体的な問題として十分検討する、折衝したい、こう約束されましたが、その折衝の結果はどうなっておりますか。
どうもいまの御答弁では、結局あの時点では、その場限りで、その場のがれのこういう答弁にしかすぎなかったという感触を受けるんですが、ほんとにまじめにあのゴルフ場をA群に含めることはどう考えても合点がいかない。しかも、あの運営がどのようになされておるか。そして、それからくるところの人道問題にまで発展しているということを御理解いただくならば、ただその場限りの、のがれの答弁では、私は承知なりません。もう一ぺんそれに対する外務大臣のはっきりしたひとつ決意を承りたい。
それと関連いたしまして、もう一件。先ほど私が、豊かな沖繩づくりということは基地の解放なくしては期待できぬと、こう申し上げたのは、豊かな村づくりで一生懸命になっている村がたくさんあるわけですが、その一つの例として北谷村、これは基地に接収された典型的な村でありますが、その代表が入れかわり立ちかわり本土に参って、政府にも折衝いたしております。そのことについても五月十七日の沖特の連合審査委員会で、この問題私がただしております。その後、北谷村の解放について、どうなっておりますか。折衝の経過をひとつお聞かせ願いたい。
どうもすっきりしない御答弁でありますが、私はそれをお聞きしながら思いますことは、典型的な基地の実態がこの北谷村になるわけですが、あのような特殊な実情を理解しますならば、せめてあの北谷村の解放だけでも私は実現さるべきだと、ここに日本政府の姿勢、また意欲というものが見い出し得る。沖繩県民が不安と不信感を持つことは、いまの答弁を聞いて納得するはずがありません、県民が。このような調子で沖繩が復帰した場合にどうなるのだろうかということを不安を持ち、疑惑を持ち、不信感を持つことは、これは理の当然であります。いかがでありますでしょうか、総理。
それじゃこの問題まあ努力していただく、決意をしていただく意味において再確認していただきたいのですが、この北谷村は七五%軍用地に接収されている。いま解放願っておるのを合わせても四四、五%になる。あと五十何%接収されるわけですがね。ところがその基地の実態は、不要不急の地域もあるんです。そういった遠慮した、謙虚な気持ちで、せめてこれだけは解放してもらいたいという、こういう願いを込めてお百度を踏んでいるわけですがね、そういう中で村が四散、分散、そうして学校も自分の村内につくれないでよそのコザ市に敷地を求めて他村に学校、今度一方では学校の子供を嘉手納村のよその村に小中学校の生徒を出している。こういうぐあいに、村自体が四分五裂している、こういう
いまの問題は、実現するまでは機会あるごとに追及いたしますから、ひとつそのおつもりでがんばっていただきたいと思います。 次に移ります。核撤去に関連して質問をいたします。 いままで核論争が一貫してなされたわけですが、私もいまだに核の問題にはすっきりしないものがあります。納得いきません。そこで、そういうことを前提にしまして、総理に確認いたしたいと思います。核は復帰の時点で完全になくなる、こうおっしゃいましたが、それを再確認いたしたいと思いますが、いかがですか。
それでは、あの核撤去費用に向けられるということになっております七千万ドルのその使途、内訳についてお聞かせ願いたい。
私がそれをあえてお聞きいたしますのは、返還時に核がなくなるという、ボタンを押したらぽっとなくなるはずはありません。返還時に核がなくなるという前提に立つならば、その前から計画されてそれが撤去しなければ、返還時にはなくならないと、私はこう理解いたします。なぜかというと、あの毒ガス撤去の事例を見ればはっきりいたします。あの毒ガス、一万三千トンの毒ガスが六十日近く、五十何日かかつてようやく最後に撤収したわけです。そうすると、核が復帰の時点でなくなるということであるならば、前もってそれが計画されなければ、運ばれなければその時点ではなくならない、こう思います。そこでいつからその撤去が始まるか、そのことをまず聞きたい。
私があえてきめこまかにお聞きしますのは、決して観念論で問うているのではない、また御答弁になってもこれは意味のないことなんです。問題は、具体的に煮詰めていく中から県民の、国民の納得というものがいくのでありましてね、観念論で議論のかみ合わない立場であっては、これは不信を生み疑惑を生むだけである、こう思います。 だから、納得するためには、まず核兵器はいつから撤去するか、その撤去のコースは一体どうなるのか、毒ガス撤去のあのコースを使うのであるか、それとも新しいコースを使うのであるか。それはどうですか。
それは、そういった御答弁をなさればもういたしかたないという思いもいたすわけですが、あえてそういうことを追及いたしますのは、具体的に県民が納得しなければ核に対する不安もますますこれは連鎖反応的に深まって、高まっていくだけである。だから、コースは一体どうなるのか、次にそれは公開されるのであるか、されぬのであるか、こういうことが明確にならなければいけないと思います。さらに、避難を必要とするのであるかどうか、こういうことも具体的にいまから進めていかなければ、いかに復帰の時点で核がなくなるんだと言ったところで、これは納得いたしません、承知いたしません。そういう点、いかがですか。
核論争は限りなく続くと思いまするが、あえて、結びをつけたいのですが、あやまちを繰り返すなという、あの毒ガス撤去をめぐって沖繩県民は、当然アメリカがこれを撤去するものと思っておったら、ところが一切その費用はかまわぬと、こういうことを言い出したもんだから、琉球政府屋良主席はあわてて日本政府に泣きついて、そして処置してもらった、こういういきさつがあるわけなんです。だからそれを事前の撤去の計画はアメリカまかせにするのであるか、あるいは日本政府も立ち会ってその撤去の具体的な詰めをするのであるか、それに対する費用は一体どうなるのであるか。そして住民の避難に対する一つの安全対策、補償対策あるいは道路対策、そういうことがどうなるのであるか、そういう
次に、返還協定について総理にお伺いいたします。 返還協定調印後、本土にもそうなんですが、もろもろの世論の表明があります。それは御承知だと思います。その沖繩における返還協定調印をめぐる世論をどのように判断しておられるか、ひとつお聞かせ願いたいと思います。
それではお聞きいたしますが、具体的にいうと返還協定やり直しという声もあるし、また賛成の声もあるわけですね。ところが、これをどう判断されますか。終戦以来いちずに祖国復帰を求めて、苦しくとも悲しくとも、歯を食いしばって即時復帰を願ってきて、その大衆運動の先頭に立ってやった復帰協を中心とする、このいちずに復帰を求めてきたこの層が、いざ復帰となるとやり直しという、こういう考え方を持っております。今度は終戦以来一貫して復帰には消極的であった、あまり積極的でなかったどころか反対もあった、あの時点では。そういった一貫した足あとをたどってみた場合に、復帰に消極的であった層が、いま返還協定調印に賛成、そしていちずに復帰を求めてきた県民がやり直しと言う
いまの御答弁にも問題があるということ。すなわち、立法院でもあれは強行採決していったいきさつがあるわけですがね、そこにも問題があるということを申し上げまして次に移りますが、総理にお聞きいたします。 総理はこの前の予算委員会で、復帰に向けての県民の明暗——明るさと暗さというこの立場から、豆記者にお会いになって、非常に明るかったと、こういう例を持ち出されて、そうしてそれは復帰が近づいたからだ、こういった結びつきで、豆記者が非常に明るくして復帰を喜んでおるという、こういう取り上げをしておられた。私はこれを全面的に否定するものではありませんが、しかし非常に大事なことを取り落としておられる、忘れておられるか、お気づきでありましょうか、いかが
賢明なる総理であられますので、ちゃんとお察し願えるものと思って申し上げたわけですが、それじゃ具体的に申し上げます。 それは、過ぐる戦争で、沖繩の教育者が、当時の教員の二五%、四分の一、戦争の犠牲になりました。生き残った教育者が何を叫び、何を考えたか。教育を守ろう、教育を守ろう、それが日本国民の教育なんだと、こう誓い合って教職員会という組織を結成し、そうしてその教職員会に四本柱を打ち立てて、復帰の実現を期す、平和教育を推進する、人権を守る、子らの仕合わせを願う、守ると、これを沖繩教職員会の四本柱として、ずっと四半世紀貫いてきている。そうしてその教育を守るとりでは、布令を撤廃さして——悪布令を撤廃さして、われわれの手によって教育を誕
もう一つ言わしていただきたいと思います。これもまた総理にお伺いいたします。 敵を知りおのれを知れば百戦危うからずと孫子の兵法は教えております。ところが、敵ということばを私好みません。だから相手を知りおのれを知れば百事なると、私はいつもそう申しております。ところが、私があえてこれを引例に持ち出しましたのは、備えあれば憂いなし、こうこの前総理はおっしゃいました。ところが、軍備の歴史からしますと、第四次防に関連した質問でありますが、軍備の歴史からしますと、必ず軍事競争、軍拡に発展しておる。そしてその行く末がどうなっておるかというと、これは世界の歴史の証明するところである。そこでこの理論でいきますならば、備えあれば憂いありということにも
第二院クラブの喜屋武眞榮であります。 激動する国際情勢の中で、東西の緊張は雪解けの方向へ進みつつあり、いま祖国に復帰しようとしている沖繩は、もろもろの不安にゆれ動いております。すなわち、復帰不安、異常干ばつと台風災害、ドルショック、目に余る外人犯罪の激増による生命の不安など枚挙にいとまがありません。第六十七回臨時国会は、いわゆる沖繩批准国会と銘打って開かれておりますが、わが国が当面する重要課題は、沖繩問題、そして中国をめぐる諸問題、国際経済問題にあることは論をまちません。 そこで私は、特に沖繩問題にしぼって佐藤総理に質問をいたします。 戦後、わが国の経済成長はまさに世界第二位を占め、バラ色の繁栄だと謳歌されておりますが、
時間が限られておりますので、お尋ねしておきたいことはたくさんありますけれども、二、三のことについて申し上げたいと思います。 核抜き・本土並みという発想からしますならば、私たちはもっと返還に向けて大幅に基地の撤去あるいは軍用地の解放があるべきだったと、こう期待しておったわけです。ところが、現実は全く裏切られておる。ところが、「豊かな沖繩県づくり」というこの政治姿勢からしますならば、沖繩の軍用地の解放なくしては沖繩の経済開発も絵にかいたもちにしかすぎない。こういうことから私は先般の連合会においてこの基地の整理縮小に含んで、不要不急のこういった土地の解放についての再検討をする意思はないかどうか、こういうことを私は要望いたしたわけなんで
それでは重ねて聞きますが、ゴルフ場がA、B、CのA群、B群、C群と分れておりますが、その最も解放困難なAに入っている地主からしますと、また県民の立場からも、これは納得がいかない。何としても第一はAからはずしていくというこのことがまず具体的に進められなければいけない。このことさえもなし得ないということであれば、これは何をか言わんや。まず、このことを強く要望いたします。いかがですか。
このことは、これはどう考えても、どう弁解されても筋の通らない話です。われわれからすると筋の通らない話です。これが解決されるまでは何ぼでも私は追求する。また、地主も大挙して来るかまえをしておりますので御承知願いたい。これは営利として運用されておる実態をこの前申し上げました。地主は、全くばかばかしい二十二セントでこれを貸して——私夕べ沖繩から帰ってきたのでありますが——この境界線の隣で最高三ドル八十セントである。二十二セントと三ドル八十セント。十五倍以上ですか、こういう状態で、これは我慢ならない。こういったことをやっておる。さらに次三男の分家ということは、これは人道問題である。どうかこの点も、十分検討するとか考慮するとか、そんなことでは