税収総額はどのくらいになっていますか。いわゆる道路特定財源、つまり自動車重量税、ガソリン税、そういうものの税収をちょっと答えてください。
税収総額はどのくらいになっていますか。いわゆる道路特定財源、つまり自動車重量税、ガソリン税、そういうものの税収をちょっと答えてください。
一兆九千億と言われる中で、約八割が道路整備に使われておると思うのですけれども、いま国道は舗装率で九七%、ほぼ一〇〇%整備されているわけですね。それから県道だって八〇%以上整備されているわけなんです。 その道路財源をなぜ今後も八割、しかも、その八割というのは法的な根拠は何にもないわけです。単に慣例といいますか、そういうことで使われておるわけですけれども、ちょうどたまたま先ほど言いましたように、五十八年度は第九次整備計画ですから、そういうときに当たってこの道路特定財源といいますか、これの八割を道路に使用するというような考え方を改める気持ちはないですか。これは建設省と大蔵省と両方から聞きたいと思うのです。
大蔵省の方の答弁はもう結構です。大臣に最後にお伺いしたい。 自動車のすれ違いをするために道路の幅を広くするのと、いま一兆円減税、減税と言ってこれだけ国民が望んでおるのと、どちらが大事だと思いますか。
大臣、いま一兆円減税というのは国民の声ですよ。一兆円余りもあるこの財源を道路その他に、私は財源があれば道路などに使うことは大いに結構ですよ。いまの段階で、これを特定財源に回さずに一般歳出として使って減税に回せないかということをお伺いしたい。
もう時間が来ましたので、減税か公共事業かということに対しては論議が尽きないのでこれで終わりますが、いま私からいろいろ説明しましたような、要するに、中期展望に基づく経済成長の問題、直間比率の問題あるいはいまの道路特定財源の問題、こういうことについて、よくお考えになって事務当局を指示していただきたいということをお願いいたしまして、質問を終わりたいと思います。
法人税、租税特別措置法等につきまして質疑に入ります前に、原則論といいますか、基本論につきまして、ちょっとお伺いいたしたいと思うわけでございます。 実は、一つは租税法律主義、新たに租税を課し、またはこれを変更するには法律によることを要するということが憲法に書かれておる。これは各国とも共通でございますけれども、私、実は長い間税務行政に携わったときにも、そういうことは別に不思議に感じなかった。ということは、国税庁長官通達でございますけれども、これがあたりまえのことだ。それから、その後私は司法府におりまして弁護士をしておりまして、租税逋脱犯とかいろいろ事件を取り扱ってまいりましたが、それも別に不思議に思わなかった。ところが、立法府におり
いまの御答弁で必ずしも納得できるわけじゃないんです。解釈を通達で決めるというようなことは結構です。また、すべて法律でこれを書けということは無理です。しかし、少なくとも法律の委任がなければいけないのじゃないかということを言っているわけです。 たとえば、典型的な例でございますけれども、相続税法個別通達、昭和五十年六月二十日、直資、直税部資産税課ですね、直資五−十七「事業又は居住の用に供されていた宅地の評価」ということで、宅地の面積につき二百平米までの分については、相続財産評価に関する基本通達の評価額の百分の八十相当額で評価する。法律その他の委任なくして国税庁長官が百分の八十と決める。先ほど言いましたように、これを百分の八十と法律で書
あなた、私の質問を誤解しているんじゃないですか。 私は、百分の八十がいいとか悪いとか言っているのじゃありません。法律と国税庁長官の通達の関連を話しているわけです。つまり、法律が何らかの政令なり省令なりあるいは通達なりこういうものに委任して、この場合で言いますと、法律ならば、たとえば相続税法によって時価による、これはわかるわけです。これは私もよく知っています。しかし、時価によるといって、直ちにそれがストレートに国税庁長官で百分の八十と来るということはどうかということを聞いているのです。
どうも何回もこの問題を取り違えていると思うのです。百分の八十が相当とかなんとか言っているのじゃないんですよ。
政務次官のいまの答弁は、やや私の質問に答えていただけたと思うのですが、しかし、まだ誤解されているのは、私は、すべてそういうことは法律で決めろと言うのじゃないのです。ただ、国税庁長官通達ができる前には、何らかの政令なり省令なりに委任があるべきはずだということを伺っているわけです。たとえば、いまの相続税の百分の八十ということは、法律なり政令なりによりまして近隣地域その他のいろいろの諸般の事情を勘案して国税庁長官が定める、そういうことまで規定しているならば、それで結構なんですよ。そういうことを私は伺っておるのです。 したがって、これは何も私が出したのは相続税だけじゃないのですよ。国税庁長官通達にはいろいろあるわけです。それから、繰り返
どうもよくわからぬですが、時価とは何かとか、そういうことを言っているのじゃなくて、むしろ形式論にいきたいと思うのです。 つまり、こういう国税庁長官通達は、憲法、法律その他政令等の委任なくして国税庁長官が賦課課税処分を勝手に決められるのかどうか。何かの委任があればいいのです。それを法律で書けなんというようなやぼなことは言いませんよ。たとえば法律の委任に基づいた政令あるいは省令——余りストレート過ぎるということを聞いているのです。いまの相続税法の問題でも、法律からすぐ国税庁長官の通達になってくる。これは憲法違反じゃないかということを聞いているわけです。つまり形式論をやってください。内容はいいのです。内容は百分の八十でも百分の六十でも
相続人にとって、時価というのは大変なことだと私は思うのです。たとえば時価がいいかげんに判定されれば、相続人にとって大変なことになると思うのです。したがって、時価と法律で書いておっても、むしろ政省令にある程度ゆだねて、時価とは何か、それで国税庁長官は、それに基づいて百分の八十とかあるいはその他そういう数字を決めるべきだということを言っているわけなんです。 だから、その間、時価と法律に書いてすぐ国税庁長官が決めるということは余りにも僣越じゃないか、極端に言えばむしろ憲法違反じゃないかということを言っているわけです。時価というのは抽象的なことで、それを法律に書いているからといって、国税庁長官が百分の八十、その間に何らかワンクッションあ
課税庁に一任したといいますけれども、課税庁に一任したという意味は、法律からすぐ課税庁にというストレートで最高裁がその判決を是認したと言えますでしょうか。 先ほど言いましたように、たとえば時価によるとあれば、政令で時価とは何か、近隣地、固定資産台帳その他を勘案して決めるのが時価である、こういうふうなワンクッションあるいはツークッションあってもいいじゃないかということを私は言っているので、いかがでございましょうか。そういうことを聞いているわけです。その最高裁判決も私はよく知っています。それは直ちに国税庁長官に委任したということの意味なんでしょうか。
政務次官に再度お尋ねいたしたいのですが、いま私、たまたま相続税法の問題を出したので、それは相続税だけじゃないのです。これはあらゆるところにあるわけです。もう恐らく無数と言えるほどのものがある。 それで、賢明なあなたですからあれですが、すべてそれを法律で書けと言うのじゃないのです。また、国税庁長官が通達で解釈をこう解釈する、これは別に悪いことじゃないのです。しかし、法律ですぐ国税庁長官通達にくるというのは余りに激しいじゃないか。その間に、たとえばたまたまいま相続税法を出したので、時価とは何か、それがあって、それから百分の八十なら百分の八十とすべきじゃないかということを私は言っているわけです。ところが現行は、時価によるとしたら、すぐ
この問題は、もうこれで私の質疑は打ち切りますけれども、何も個別に一々しなくても、単独立法でこういう場合はこうだというふうなことをすればいいのじゃないですか。私は、現行の国税庁長官通達はきわめて憲法違反の疑いが濃いということだけを申し上げまして、この質疑を打ち切りたい。これは一つの提案です。しかし、これは大変なことだと思うのです。 民主主義というのは、そもそも税から始まったんですからね。フランス革命が最大の模範です。王侯貴族、僧侶は無税だ、その他の一般庶民は有税だ。いまの不公平税制どころじゃないのです。大変なものです。一七八九年にフランス革命が起こったのはやはり租税からです。そこで、とにかく租税法律主義というのが民主主義国の最大の
私は、まあ常識論を言いまして、不服審判所長の任命権が国税庁長官にあるということの現行制度であるならば、どうしても人間の心理として、任命権を持つ国税庁長官に服従しなければならないということになるのじゃないですか、私はそのことを伺っているのです。それが独立の機関でしょうか。
どうも、これもまた先ほどの問題と同じく、何か私の真意が伝わらないようなんですが、大蔵大臣であろうと国税庁長官であろうと、同じ大蔵省、それによって任命されるということは、賦課課税された者として、むしろ公正取引委員会の委員のようにいわゆる中立なものの任命権があってしかるべきではないかということなんです。それは裁判官もそうです。それは来ていることは私知っています。しかし、身分は不服審判所長なり何なりです。しかし、現在は大蔵大臣の指揮監督を受けているということになるわけです。 〔中西(啓)委員長代理退席、委員長着席〕
あなたも私もともに弁護士ですから、その辺はよくわかっているのですけれども、しかし、実際、不服のある者が不服審判所を経てさらに裁判所へ行くということの時間と費用ですね、これを考えたら大変なものです。しかも、その判決が出るまでです。 こう言っては失礼ですけれども、裁判官の方には素人の方が多い。租税の不服の判決というのはなかなか出ない。あなたもよく御存じです。私もよく知っています。二年、三年もかかる。そういうのが実情なんです。そうすれば不服審判所で、言うならば第一審としてぱっとひとつ納得のいくような審判をされたらどうか。そのために審判員を、国税庁長官から拘束されないような人の任命をしたらどうかということを言っているわけです。 これ
いまのドイツの税制も私はよく知っています。 しかし、私の言うのは、要するに、国税庁長官の任命による者が不服審判をするということはおかしいんじゃないかということを言っているのです。たとえそれが一審であろうと二審であろうと、また最終的には司法機関の救済手段があるとはいえ、なぜ長い間協議団として——この協議団というのは全く国税庁長官の指揮のもとにおったわけです。しかし、何年か前にせっかく独立して不服審判所というのがつくられた。それならば、国税庁から独立したんですから、その任命権を国税庁長官が持たなくてもいいじゃないかということを聞いているわけです。
不服審判所、あくまでもそれは行政の分野です。もちろん行政の分野です。しかし私が言っているのは、先ほどから繰り返し言いますように、その協議団から独立した意味というのは一体何かということです。国税局の中にあった協議団というのから、なぜこんなに努力を払って不服審判所にしたのか、その意味が薄れはしないか。不服審判所の指定官職以上を国税庁長官が任命するということは、長い間国税局の中にあった協議団というのをせっかく独立させた意味がないじゃないか。もちろん、これはあくまでも行政機関です。そういうことを言って任命権の問題を、これは何も公正取引委員会のようにせよと言うのじゃないのですけれども、任命権を長官や大蔵大臣から外して第三者の任命権にできないか