後というのは、その打ち切った後が鈴木だという意味でございますか。
後というのは、その打ち切った後が鈴木だという意味でございますか。
失礼いたしました。そういう順序でございます。
乗ったんです。
実は、昨日長谷村も証言したと思いますが、ある程度こういうものは危険性があるんだ、また危険なんだ、したがって、銀行へ入れさしてみろ、銀行へ入れさしたら本物だ、本物なら話に乗ろうというので、銀行へ入れてみろと言ったわけでございます。だから、したがって最初は興銀へ入れた。そうしたら興銀の頭取が、これは危険だ、おまえ注意しろと言われたので、三菱銀行の方へ変えたというふうな手段を講じて、これが危険であるかどうかというのは十分調査はさしたわけでありますが、実際、社長としてまことに申しわけなかったということで、社長はやめたわけでございます。
最初は興業銀行でございます。そして長谷村が興業銀行へ行って頭取に聞いた結果、そいつは相当まゆつばものだということで、それではもう一つ三菱銀行に変えてみたらどうかというので三菱銀行に変えてみた結果、やはり同じような状態だから、全部撤回をしたわけでございます。
押しました。
最初のものにはそうなっています。
それは逆でございます。私の方が銀行を指定したわけでございます。そして銀行に入れれば常務会を通して正式の契約をいたしますという話し合いになって、そこに、文書にもそうなっているはずでございます。
それは私よく記憶はしていませんが、長谷村はどう申していましたか、私のなにでは、何か手書きのようなものを持ってきたので、それを本印刷ですか、それに直さしてなにしたと思いますが……。
記憶がありませんです。
それであれば、大体十二時ごろまででないかと思います。来られたのはいつごろであるか知りませんが、大体十二時前後だと思います。までだと思います。
そうだと思います。私は余りその点についてはよく記憶していませんです。
余り抵抗はありませんです。
電話がかかってきたのは秘書室の者であったと思います。
電話の件は秘書だと思います。それから渡辺がそういうようなことをしていたというのは、長谷村から聞いたわけでございます。
秘書室には秘書はいますが、だれの秘書というのは大体いませんです。まあ、特に私の分は決まっていたかもしれませんが、ほかのは全部共通でございます。
したと思います。
最終的にオプションしたのは四十五年の三月です。ただし、最初にオプションしたのは四十四年の七月前後だと思います。
そう思いますが、ただ、機数の点がちょっと違うところがあるわけですから、それは三井物産として単独に機数をふやしているところがあるわけですから、それは報告は聞いていますが、それは三井物産が勝手にやられるなら勝手にやられてもいいということで、承知はしています。
日にちは覚えていませんが、七月の終わりごろであったと思います。それが最初のオプション行為でございます。三者の話し合いでやったわけで、実際はレター・オブ・インデントの形式になっているわけでございます。