わかりませんです。なかったと思います。
わかりませんです。なかったと思います。
お答えいたします。 別に現在証拠物件は持っていませんです。
現在持っていません。
お答えいたします。 私、先ほど証言台から終わりまして、体が悪くて夕方まで寝ておりましたが、その間に会社へ長谷村の方から連絡がありまして、私が申しました大石代議士と原田代議士の発言につきまして後日確かめたところが、大石代議士の方は私に紹介をしたということでありましたけれども、原田代議士の方は覚えがないということであったという報告を私にしたということで、私がそれにつきまして覚えていなかったわけでありまして、原田代議士については、私に紹介しましたそれは、何と申しますか、原田代議士の知らない名刺であったのじゃないかと存ずるわけで、ここに改めてその担当でありました長谷村の言葉をここにお伝えしまして、私の証言の訂正をいたしたいと存じます。
名刺は誤りの名刺でなかったんかと存じます。
証言のとおりであります。
コピーは残っていなかったと思います。
お答えいたしますが、その件につきましては、コピーをしたとすれば机の引き出しに残っているということを申し上げたわけで、いま私が証言いたしました、コピーはなかったと私は思います。
ジェットの旅客機は、DC8あるいはボーイングの707ができるころから、飛行機というものは、先方のメーカーの方の仕様書ができますと、先物買いと申しますか、できないものを大体その仕様書によって購入をしていくということが通例になっているわけであります。したがいまして、その後の飛行機というものは、手に入れようとする日限を定めますと、契約前に製造番号を押さえておかないとどうしても希望する日限に入らない。したがいまして、先ほど証言いたしましたとおりに、たとえばダグラスの飛行機を手に入れようとした場合には、事業計画から申しまして四十七年の初めにはどうしても飛行機を手に入れておかないと事業計画は成り立たないという結果が出てくるわけでありまして、した
私はそう思います。
私は、どうお考えになりますかとおっしゃられても困るのでありまして、私はそう思っていましたということでございます。
私は証言をいたしたのであります。
証言のときに申し上げましたとおりに、私がオプションをしたのは私の考え、独断でやっていたわけであります。したがいまして、引き継ぎというものにつきましては、後に残った者が全部承知している分野が多いわけでございます。ただ、私、独断でやっていたものはそれだけでありましたから、それだけを三井物産に十分話をして善処していただきたい。善処していただきたいということは、そこからダグラスなりロッキードなりのなには白紙還元に変えるわけだと存じます。また、引き継ぐとすれば若狭君の考えにおいて引き継ぐわけで、そこで切れるわけだと存じますが、私はそう申したわけでございます。
間違いがありません。
おっしゃるとおりでございます。
それでは簡略に申しますが、機種選定というものはいろいろむずかしいものがあるわけであります。しかも、いろいろお聞きになったとおりに、将来社運を傾けるようなものが起きないとも限らないわけであります。そして、長くなりますが、私は、先ほど申しましたジェットのDC8、ボーイングが出しました707というものを、これはできないうちに選ばなければいけない立場に立っていたわけであります。そのときになぜダグラスの8を日本航空は選んだかというと、ボーイングが初めて民間機を製作したのが707であります。したがいまして、そこには、私たちがなじんでいますダグラスのいわゆる民間機としての安全性とか、整備のしやすさとか、あるいは交換部品のしやすさとか、そういうもの
会社内の不統一と申しましても、その不統一を何らか私の努力によって、いわゆるアンチ……(稲葉(誠)委員「不統一の内容」と呼ぶ)アンチ日本航空という考え方をなくして、いわゆる航空界は一本のエンジニアリングで進んでいくようにするのが私の望みであったわけであります。したがいまして、その方向へ進めてきたわけであります。したがいまして、技術陣容はその方向へ進んできたと思いますが、どうしてもそれに対しては人事権とかいうものを持っていないと、十分ないわゆる社長としての企画が進んでいかないわけであります。そういう面におきまして、いろいろ私としましては三年間苦労はいたしましたが、何とかして私を推薦していただいた松尾さんの意思に沿うべく私は夢中で努力して
オプション契約というものは、ある日限を切りまして、製造番号を押さえるということをオプション契約だと私は存じています。
そのとおりであります。
最後に会社のことの話し合いはお二人でございました。