話されました。
話されました。
私は、何と申しますか、松尾さんから、やられたということは聞いたわけですが、後の細かいことは一向に存じませんでございます。
それは御自由でございますが、私は存じません。
私は、実は真相はできる限り申し上げているわけで、うそは申していませんです。したがいまして、いまのことは全然私は存じていません。
私は、やられた、そして実は飛行機のやりくりに困っているのだ、どうしたらDC10を採用しないでやっていけるか、どうしたらいいだろうということでございましたから、日航としてはDC8の61を持っているじゃないか、あれは国内に回す予定だったものを一時香港線に使っているようにしたわけなんです。だから、したがって61を国内にお入れになったらいいじゃないですか、そうすれば二、三年たって747のSRというものを入れればちょうどつないでいける。ただし、私の方は727からSRに飛ぶわけにはいかぬから、私としてはDC10で進みます。しかし、そういう危険があるなら私も危険を覚悟してやりますと言っただけでございまして、松尾さんの日航がどういうような状態であっ
危険性というのは、先ほど申しましたように、やめさせるような、やめさせられるような危険を感じたんだ、だから、したがいまして自分はDC10を採用するようなことがもうできなくなったということでございます。
児玉にやられたと言っていました。
児玉と政府筋にやられたと言いました。
そこまではおっしゃりませんでした。記憶にありません。
違います。それはおっしゃりませんでしたということであります。
その、後の松尾さんとの話があったということはわかりませんよ。私はダグラスから灘波の方に、日航がだめになったから、日航の方へ提供しようとしておるなにが、いまならそのまま全日空の方へ回してもいいんだという話があるがどうするか、それではひとつそれに乗りましょうということで、招集をしてもらったわけです。
覚えています。 ただ、そこに石黒さんがおいでになったかいないかは、私はちょっと疑問だと存じます。灘波さんだけでなかったのかと思います。
私の記憶では、その説明団と申しますか、たくさん来まして、私の社長室の横の応接室で説明を受けました。そこで、一応お帰りになってお昼か何かにその社長と若杉社長と私と、それと先ほど申された方々が寄りまして、そこで確認をしたように思っているわけです。そして、翌日またマクゴーウェンが私のところへ灘波と一緒に来まして、昨日のメモはこういうとおりだ、これをひとつ確認していただきたい、どうもありがとうございましたと、そこで私がサインをしたかしないかというやつはよく覚えていないのでございます。
私は証言のときに、私から申したということを申し上げましたが、帰ってから長谷村と話しているうちに、あれは私はこういうように聞いているんだ。大庭さん、それはおかしいじゃないか。しかし、それは僕の記憶であって、ただし僕はそういうように記憶しているんだ、しかし、君に言ったことが事実とすれば、どちらが事実であるか、その点は私の記憶の中には、どちらが事実であるかちょっとわからぬ。しかし、長谷村君がそう言うのであれば、長谷村君の方が本当でないかとは思いますけれども、いまのところそれをどちらが真偽であるか、ちょっと迷っているところであります。
それは私が松尾のところでいろいろ話した結果、やめる意志をもって会社に帰ってきたところが、どうも上森君とかその他の方が副社長室でいろいろ議論をしていたようでございます。それが私が帰ってきたもんですから、面会を求めて私の部屋に来た。そのときに、上森君ともう一人、何か総会屋がいましたが、それと副社長と何か渡辺君なんか一緒に入ってきたわけであります。したがって、そこで上森君が、こういう問題では引き受けられないから大庭さん、やめたらどうか、それでやめましょう。もうそういうことなら、私は何もあえて、松尾さんからもこう言われているのでやめましょうということで、それではやめる手段を講じましょうということで、二人を残して、そうして二人には帰っていただ
私はもう松尾さんとの話で、大体やめる意思で帰ってきたのですが、それにハッパをかけられたというのが事実だと思います。
大体八時から八時半前後だと思います。はっきりした時間は覚えておりません。したがって、あれは何時ですか、長谷村も来ておったのですが、それが帰った後でございます。大体私の記憶では、八時半前後だと思います。
電話は、最初は先ほど申したようなことで、一応それでは調査するからということで切られたわけです。その次にかかってきたわけです。二回です。
よく覚えていませんが、二、三十分後だと思います。
私は大体年度内に終わったという報告を受けています。