再燃したとおっしゃるのはちょっとわかりませんが、それは東京新聞に前の日に出たというのがそうでございますか、御指摘の点がちょっとわかりかねます。
再燃したとおっしゃるのはちょっとわかりませんが、それは東京新聞に前の日に出たというのがそうでございますか、御指摘の点がちょっとわかりかねます。
それはこの前の証言でお話ししたと思いますが、十日の取締役会では私が継続してやるということで問題が起きなかったわけですが、十四日か五日でありましたか、名鉄の社長の方から松尾あてに来た手紙の中に、そういうようなことをやるようでは困る、ひとつ会長に格上げしたらどうかというような手紙が来て、初めてそこで再燃したんでないかと思います。
名前はまだよくわかりませんが、大体聞いたところでは五〇%を超している、だから闘えるというところまでは聞いていました。ただしそこに未知数のものがあった。だからそれがこちらにつけば闘えるし、それがつかなければ闘えないというような報告を受けています。
挙げられた名前はそうだと思います。
土川……。
はい。
美土路さんもその一人だと存じますが、ほかの方にも社内からだれかが連絡したんでないかと思います。
そう思います。
第一証言でお話しいたしましたとおりに、二十六日に取締役会をもう一回やったわけでございます。ところが、ある方から大庭を格上げしたらどうか、そこで松尾さんが憤慨をして席を立ったということであります。
多分、いま記憶でございますが、日立造船でなかったかと思います。
さようでございます。
私は、最後に決意いたしましたのは、松尾さんと最後に会った、パレスホテルで最後に会ったときが私の最後の決意でございました。ただし、それから会社に帰って、いまのように総会屋が押し込んできていろいろ申されましたので、私はなお決意をかたくして、そこでやめるという話をしたわけです。
それは下は株式課でありまして、上は総務部長だと思います。それからその上は総務担当だと思います。
渡辺だと思います。
そのときの常務だと思います。
失礼、専務だと思います。
聞いたことがありません。
DC10の採用をやめさせられたという意味です。
私は両方でございます。
四十四年の五月末だったと思いますが、私が社長に昇格するということについていろいろ問題があったわけでございます。そのときには森村さんが会長になり私が社長になるという予定で進んでいたわけでありますが、そこにいろいろ複雑な問題が起きてきたわけであります。したがいまして、それがいろいろ話の結果まとまって、森村さんは日本航空へ移られるし、私がどうやら社長に残された。それも実は社長に残されたが、不本意な状態において社長に残されていたわけであります。したがいまして、私自身としては、仕事には努力いたしますが、どうも職位の面で不安定さは常時持っていました。