だれからというより、社外の重役連中だろうと思います。
だれからというより、社外の重役連中だろうと思います。
私が日本航空から移った、そうして相当強引に全日空の改革をやったわけでございます。したがいまして、ある程度私の考え方では部下たちは全部ついてきておったと思っておったのですが、重役連中は自分の能力外のことをぼくがどんどんやってしまうもので、追いついてこれなくなったのが事実だと思うのですよ。したがいまして、何かありますと、私の何を社外の重役に言いつけて、そうして反駁してくるという状態でありましたので、私は私自身仕事に精を尽くして夢中でやってきましたけれども、そういう面ではずいぶんいやな思いをしつついたわけで、松尾さんに言われたから、言われた面の責任だけは果たしてきているわけですが、私、どうやら管理的な能力がなかったようでございます。
私、そのときに私にまで児玉の圧力がかかるというようなことは全然考えていませんでした。ただ、先ほど申しましたように、社長になるときに相当これは私がけつをまくったのですが、やってくれということで妥協してやったわけなので、次の期内のいわゆる四十五年の三月にもう一回何か起きるなという感じを持っていましたから、三井との問題につきましても、三井に迷惑をかけないようにというのが一つの念願でしたのです。したがいまして、三井とダグラスと私との三者会談で、私はどうも身の危険性はあるのだ、しかし、どうしても全日空としては四十七年に入れざるを得ないのだ。ということは四十五年に万博があって、これは思いも寄らぬ増加をしているわけです。そのために機材をリースでふ
松尾さんは政府だからかかったのだ、ぼくは民間だからかからない、民間でかかるとすれば重役連中だという考えしか持っていませんでした。
それは逆でございます。私は全日空の社長なんだ、したがって、児玉とか、官庁ですか、政界ですか、そういうところの圧力は私にはかかってきても、これは民間なんだ、松尾さんはしょっちゅう圧力をかけられていたので、しかしぼくはかけられることない、ならぼくはやりますよと言っただけでございます。
そうでございます。
それは若狭君が社長になれば、若狭君としての考えで進むべきではないか。私は若狭君に私の考えを押しつける気持ちは一つもありませんでした。したがって、白紙にするかどうかということは若狭君の考えでやっていただきたい。しかしほくとしては、若狭君に、これだけの複雑な問題を抱えているんで、これをひとつ引き受けてくれ、そして全日空として善処してもらいたいと言ったわけでございます。
若狭君の考えによるわけですから、若狭君が白紙にしたいんなら、これは白紙になっていいんじゃないかと思います。
私の記憶をたどってきているわけでありまして、第一次証言のときにはそう申したわけでございますが、長谷村といろいろ話しているうちに、大庭さん、違うのじゃないかと。私はそこまで考えていなかったわけでありますが、言われてみると、確かにそのようにも思うわけでございますが、いまどちらが正しいのかと仰せられても、私としては一応証言のときにはそういう記憶であったんでありまして、長谷村君と会ったらまた記憶はもとに返ったということはありますが、その間いまのところは、判定しろとおっしゃっても、ちょっと判定はしづらいのでございます。
そういう武士の情けだという記憶は、私ないのでございます。しかし、それは私が記憶がよみがえって、まあ、ぼくはああいうように記憶していたんであって、それが君のような言われ方をすると、確かにそうも思うが、もうそれはいいじゃないかと言って、私は別れたと思います。
私は知っていたと思います。
この前の証言で、常務会でいろいろ話を出していた。したがって、何かこの間、私、記憶になかったのですが、検察庁へ行って検事にいろいろ質問されている中で全日空から出した常務会の記録が読まれまして、その中で大庭は、私はDC10がいいと思うが、ひとつ君たちで出ていって確かめてきてもらいたいというように私は話しているようでございます。それともう一つは、担当常務の松田調達部長には、実は私はそういうことは常時連絡はしてあったわけでございます。したがいまして、松田がどういうように渡辺なり若狭に連絡をとったかということについては私は承知していませんが、松田は常時その中間に立って彼らの意見を私に申しますし、私の意見、処置というものは彼らに報告をしておった
私のやっている仕事は、相当松田と打ち合わせながらやっていたわけでございます。 ということは、ちょっといま申しましたように、私の秘密にある程度属するものについては松田に話していたわけです。一つの念書とかその他については長谷村に話していたわけでありまして、大体二人を私は使ってやっていたわけですから、そういう意味におきまして、松田がある程度報告はしていたんでないかと私は考えられますが、それは正確でないものでいま申し上げなかったわけですが、私の記憶は、松田にある程度は話していたという記憶でございます。
私は私の証言したとおりでございます。
この前も御説明したとおりに、私に干渉はありませんです。
私はそういうことはなかったと思っています。ただし、私は役員会を終って新しく社長になれば、即座に運輸省と交渉を始めたいというように考えていたわけですから。
先ほど証言いたしましたとおりに、ダグラスの方から三井物産の灘波のところへ連絡があって、灘波から私のところに連絡があった。したがって私は、三井物産とダグラスを招集してもらいたい、そこへ私も出て話をしましょうというので、三井物産の社長室に集まってもらったと思います。
その事実はありました。三機——三機であったと思いますが、文書が来ましたから、私の方はまだその時期ではないというので、返したように考えています。
三月だったと思いますが、先ほど証言いたしましたように、ダグラスの方からいろいろ説明団が参りまして、社長室で細かい説明がありました。その説明が終わってから三井クラブで三者寄りまして、いままでの事情について再確認をいたしたわけでございます。その再確認の中に、いまおっしゃったような、全日空としてはこれから政府の了解をとる、たとえば機種を決定する了解と外貨の了解をとって、大体九月か十月には正式の契約ができるつもりだ、ひとつそういうように了承してもらいたいということは申しました。
いつごろかわかりませんが、私が全日空に入りまして以来、松田とはいろいろよく話していますから、その間ダグラスの問題が起きましたら、ダグラスの問題についても話してあるわけです。