犠牲というふうにおとりいただくというのは、私どもの考え方でございません。日本政府といたしまして、アメリカとの間に安保条約を結び、これを維持していくという基本的な方針をとっているわけでございますけれども、その安保条約の実施に関連いたしまして、在日米軍施設・区域をいかに円滑かつ有効に提供し、また、それに伴う問題の発生を最小限にしていくかというところに問題があろうかと思うわけでございまして、そういう観点に立ってこの問題に政府として取り組んできているわけでございます。
犠牲というふうにおとりいただくというのは、私どもの考え方でございません。日本政府といたしまして、アメリカとの間に安保条約を結び、これを維持していくという基本的な方針をとっているわけでございますけれども、その安保条約の実施に関連いたしまして、在日米軍施設・区域をいかに円滑かつ有効に提供し、また、それに伴う問題の発生を最小限にしていくかというところに問題があろうかと思うわけでございまして、そういう観点に立ってこの問題に政府として取り組んできているわけでございます。
一月三十日に開かれました第十五回の日米安保協議委員会で、日米間で原則的な話し合いがまとまっております計画は、すでに発表されておるとおりでございますが、大ざっぱに申しますと、この合意の内容は三つございます。 まず、第一の分類に属しますものか、移設なしに返還される施設区域でございまして、これは全部の返還が七件、一部の返還が十三件、合計二十件ございまして、この面積を合計いたしますと千二十六万九千平方メートルになります。 第二の分類に属しますものとしまして、これは移設措置とその実施にかかわる合意の後に返還される施設、区域でございまして、全部返還になりますのが十二件、一部返還が六件、合計十八件でございまして、この面積の合計が千六百三十
先ほど御説明申し上げましたように、移設を条件として返還というものがあるわけでございまして、この移設先をどういうふうにするかということは、今後の話し合いにまつわけでございます。その際に、日本側の基本的な考え方といたしましては、原則的に新たな施設・区域の提供ということではなくして、既存の施設・区域内に移設をはかっていくという考え方で取り組んでまいりたいというふうに思っておりますので、ただいま御指摘がございました遊休と見られるような土地につきましても、あるいは将来移設の対象となるような土地もあるいはあろうかと思います。しかしながら、これは各個別の基地につきまして実態に即して考えるべき問題であろうと考えております。
基地で働いておられる方々の解雇の問題というのは、非常に大きな社会問題を招く問題でございまして、当然私どもとしても頭を痛めている問題でございます。ただ、先般来国会等でもいろいろ御議論いただいておりますこの大量解雇の問題につきましては、米側との間に種々の折衝が施設庁を中心として行なわれてきているわけでございますけれども、米側が日本側に伝えてきておりますのは、米側としても予算上のきわめて苦しい制約があって、やむを得ない措置であるというふうなことを申しておるわけでございますけれども、先ほど申し上げましたように、解雇の対象となられる方々の身にとってみますと、まことに重大な問題でありますから、今後とも関係の当局とよく相談し合いながらこの問題につ
昭和四十七年五月十五日に、沖繩復帰に伴う米軍の施設・区域の提供に関する日米間の合意が、日米合同委員会の場で取りきめられたわけでございます。その中で、従来キャンプ瑞慶覧、あるいは牧港補給基地というふうに総称されておりました地区内にありましたアメリカンリージョン並びにVFWの使っておりました建物のあります土地は、施設・区域として提供するものから除外されると、こういう合意ができたわけでございます。 と申しますのは、キャンプ瑞慶覧並びに牧港補給基地は、沖繩の復帰とともに、地位協定に基づいて、日本側から米軍に提供される施設・区域という性格を与えられたことになるわけでございますけれども、アメリカンリージョン並びにVFWという非政府の団体が使
四十七年五月十五日以前という、いわば沖繩の施政権が米側によって行使されておりました時代には、布令二十号というものによって措置されるべき性質のものであったわけであります。しかしながら、四十七年五月十五日という時点以降におきましては、これは民間の団体であるアメリカンリージョン並びにVFWが使用しております土地、その上の建物という民事関係になってくるわけで、これが法律的にはそういう関係になってまいるわけであります。
復帰後の国内関係につきましては、これは施設庁のほうから御答弁いただいたほうがより的確な御説明いただけるかと思いますので、そちらにお願いしたいと思いますが、アメリカとの関係につきまして御説明いたしたいと思います。 外務省といたしまして、この問題の存在を知りましたのは比較的新しかったわけでございますけれども、アメリカ側にいろいろ話をしてみますと、アメリカ側が言っております立場というのは、次のようなものでございました。すなわち、四十七年の五月十五日以降、この二つのアメリカの民間団体が使用している土地並びに建物というものは、米国政府が直接に関与し、介入することのできない民事関係のものである。したがいまして、復帰の時点以降において、これら
この問題につきましては、かねて米側との接触を続け、また問題のあり方についての注意の喚起につとめてきたところでございます。その過程におきまして、とにかく米側としての法律的立場を非常に強く米側は主張しておったわけでございますけれども、当事者間の話し合いによって何とか打開の道がつけられないかというふうなことで、当事者間の話し合いを大いに勧奨するという措置もとられてきたわけでございまして、昨年の十二月の時点におきましては、ある程度その方向での道が開けるのではないかというふうな期待も持ち得たわけでございまして、現にアメリカンリージョンにつきましては、その後、当事者間の話し合いということで大体解決のめどがつき、目下その条件についての話し合いが行
一昨年の五月に、沖繩復帰の時点、つまり五月十五日の午前零時に、日米合同委員会が開催されまして、その日以後、日本側から地位協定に基づいて米側に提供される施設、区域についての合意を見ております。その合意の際に、ただいま問題にされておられますアメリカン・リージョン並びにVFWの使用しております土地については、日本側が米軍に提供する施設、区域には入れないということが明らにされたわけでございますが、実はこの点につきまして、復帰の直前まで、この問題が明らかにされておらなかったという経緯があったわけでございます。したがいまして、復帰の前、早い時点において、この問題の所在が明らかになり、法律関係が明確になったとかりにいたしますれば、当然、復帰前に沖
沖繩の施政権が日本に返還されましたあとに提供されるべき施設、区域の点につきましては、沖繩返還交渉の過程におきまして、ただいま御指摘がございました了解覚書があるわけでございます。これは一九七一年の六月十七日に、日米間で合意を見た覚書でございますけれども、なるほど御指摘のとおりに、この了解覚書には、いまのアメリカン・リージョン並びにVFWにつきましては、何の言及もございません。当時、おそらく交渉当事者双方ともに、この問題についての問題意識が十分なかったのであろうというふうに、いまから見ますと考えられるわけでありますが、日本側が当時、一貫して主張しておりましたことは、返還後の沖繩において提供されるべき施設、区域は、地位協定に基づいて米軍の
四十七年の五月十五日を境として法律関係が変わったわけでございますが、米側が主張しております法律的立場と日本が考えます法律的立場とは、必ずしも一致しないために、この問題がこじれたまま今日に及んできているというのが実情であるわけでございます。当初、米側といたしましては、先ほど御答弁申し上げましたように、復帰後、この二つの団体は全く政府を離れた団体である、したがって、政府として直接この問題に介入する法的な立場にない、こういうのが米側の主張であったわけでございます。 それに対しまして、日本側といたしましては、復帰前の布令二十号の法律関係が、復帰の時点を経まして今日に及んできている、そういう特殊な法律関係があるという点について注意を喚起し
返還以前からの請求権の問題について、四条一項は請求権の放棄をうたっており、また四条二項は、その四条一項で放棄しているもの以外に、現実に特に認められるべき請求権というものがあるという趣旨の規定でございますから、米側が、四条二項の問題としてこれを提起されることに異議を差しはさまないということは、先ほど来申し上げております土地損害賠償審査委員会において、これがとにかく検討の対象と一応なるということであろうと考えているわけでございます。その検討の結果について、もちろん私ども予断をする立場には、いまのところないわけであります。
私は、法律関係を先ほど来御説明申し上げているわけでありますけれども、四十七年五月十五日以前に、この二つの団体が使用しておりました土地の上にあります建物が、かりに日本側地主に返還されるということになりますならば、当然、その段階におきましては、布令二十号の規定が働いたはずであります。布令二十号の規定によって、六十日前の予告期間というものがあり、三十日前に地主側からの請求というものが手続的に考えられたはずでありますけれども、残念ながら先ほど申し上げましたように、復帰の直前まで、その点が必ずしも法律的に明確にされておらなかった。そこで米側といたしましては、復帰後におきましては、法律的な責任をとり得ないという立場をとっておりましたけれども、日
ですから、アメリカ側の主張は、これは全く民事問題であって、アメリカ政府は、いかなる形でも関与し得る立場にないということであるわけでございます。したがいまして、日本側がアメリカの立場をそのまま受け取るとしますならば、これは民事問題であって、政府関与し得ずということになるわけでありますけれども、日本政府といたしましては、そういうわけにはまいらないということで、米側に対して昨年来、注意の喚起を続けてきました結果、いま申し上げましたような、法律的な一応の救済措題に出るということがまず考えられるということであるわけでございまして、その結果、どういう措置がとられることになりますか、いまの段階において、私どもはっきりしたことは見当つきません。
ですから、本来、最も望ましかった形としましては、復帰前に布令二十号に基づく措置がとられ、その規定に基づく復元補償なり請求の取り扱いというものができたということが最も望ましかったと思います。 しかしながら、先ほど御答弁申し上げましたように、復帰の直前まで、そこらの点が必ずしも明確にならなかったまま、布令二十号に基づく措置がとられないままに、五月十五日の午前零時に、当該部分を除いた施設、区域の提供が行なわれた。したがいまして、その時点以降、この問題は民事関係になってきておる、こういうことであるわけでございますけれども、いつまでもほっといてはいけない問題であることは、全く御指摘のとおりでございまして、私どもといたしましても、何とか早期
五月十五日の合同委員会の合意では、二つの建物が建っております土地は、提供の施設、区域には入らないということがきまっておったわけでございまして、その時点以後は、先ほど来申し上げておりますように、施設、区域としての扱いからははずれた問題になるわけであります。 そこで、民事関係になるわけでございますが、その点について、必ずしも事実関係が明確でなかったという点があるようでございますが、いずれにしましても、復帰のときのわりあいに近いときまで、この問題の所在というのが、十分関係者の間にはっきりしなかったということが、そもそもの問題であったろうと思うわけでございます。 したがいまして、さっきも申し上げましたように、たとえば四十六年の六月の
私どもも、山中長官からただいま御答弁ございましたように、何とかこの問題を早く片づけたいという気持ちは前々から持っております。しかしながら、解決にあたっては、どうしてもやはり法律関係ということを無視するわけにはまいりませんために、今日までこの問題がこじれたままになっていることを、まことに残念に思っております。 したがいまして、今後とも防衛庁とよく協議をしながら取り組んでまいりたいと思いますけれども、やはり米側と当たります際には、どうしても法律関係を抜きにしては話ができないという現実の問題があることだけは、申させていただきたいと思います。
三月二十五日に第十回の安保運用協議会が開かれ、その席上で、安保条約の運用に関するもろもろの問題を話し合ったわけでございますが、その一つといたしまして、原潜の寄港の問題を話し合いました。その際、日本側は、かねて日本側で起きております状況、それに対してとられている措置、こういうふうなものを米側に通報をしてきたわけでありますけれども、二十五日の運用協議会の席上におきましても、最近の状況を米側に伝えたわけであります。米側といたしましては、かねて日本側からの通報によりまして、日本側の事情は十分心得ておるということであったわけでありますけれども、その運用協議会の席上におきましても、日本側の説明によって、新しい状況についてよく心得たということであ
その事実を承知いたしておりません。
沖繩にあります米軍の施設、区域の整理統合の問題につきましては、沖繩の施政権が返還される前からまた返還されて後も日米間でずっと話し合われてきている問題でございます。一番最近では、昨年の一月に第十四回安保協議委員会におきまして、那覇周辺の施設、区域の整理統合についての原則的な合意が発表されておりますし、ことしの一月に開催されました第十五回の安保協議委員会におきましても新しい施設、区域の整理統合の計画についての原則的な日米の合意を発表されてございます。そういうふうな全般の施設、区域の整理統合の問題について日米双方でこの問題に取り組んできているわけでございますけれども、その特定の黙認耕作地の問題、これにつきましては、ただいま施設庁から御答弁