では、基本的には、国際情勢が大分変わってきた状況のもとにドイツの基本法はできた、日本の場合には戦争直後に非常に即席でできたということが大きな相違の原因だと言われたと思いますけれども、それ以外に、マッカーサーの一つの理想主義的なものが相当背景にあったのかどうか。その辺、やはり当局者のいわば考え方が制定の経緯のときに相当関係しているのかと。その辺の考え方をお聞きしたいと思います。
では、基本的には、国際情勢が大分変わってきた状況のもとにドイツの基本法はできた、日本の場合には戦争直後に非常に即席でできたということが大きな相違の原因だと言われたと思いますけれども、それ以外に、マッカーサーの一つの理想主義的なものが相当背景にあったのかどうか。その辺、やはり当局者のいわば考え方が制定の経緯のときに相当関係しているのかと。その辺の考え方をお聞きしたいと思います。
では次に、さっきの改正の問題で、改正のいわば要件というのはそんなに差がないですね、日本の場合には国民投票がございますが。この辺、なぜ日本がいつまでも、私は、さっきの議論の中で、確かに国民主権になった、国民主権になったら、そこで本当にまた論議をすべきではなかったかという感じがするんですよ。 かつて、制定当時の人が大分来て、東京で議論したことがございました。西先生も参加されたと思いますけれども、そのときに、なぜ要するに今まで変わっていないのだろうと。さっきの御説明の中にも、制定当時の人々が、これは暫定的なものだ、いつか国民が自分で変えるだろうと思った、そんなような発言もございましたけれども、なぜ変わらなかったのだろうか。要件が厳し過
終わりましたか。 では、これで終わります。
参考人さん、どうも御苦労さまでございます。 実は、午前中、西先生のときに、日本とドイツと非常に環境が似ているのに、なぜこれだけ差があるのかという話と、ドイツにおいてはどんどんと憲法改正されてきたけれども、日本はされなかった。それは、一つは手続規定が日本は若干厳しい。ただ、ドイツの場合もそんなに簡単ではないんですね。その二点を議論したんでございます。 きょうは、実はどの条文がいいとか悪いという憲法の評価というよりは、どちらかというと制定の経緯あるいは法的性格でございますので御質問するんでございますけれども、ある面からいうと、これは先生の言われるように、改憲というところを超えているわけですね、はっきり言いまして。日本とドイツの場
二番目は、つまり、日本の場合にも、独立したときに憲法制定議会のようなものをつくって、そこでやるのが筋だったのかなと。
私の聞いている趣旨は、ドイツの場合には、憲法改正というよりは、新しい憲法の制定かなと。日本の場合も、憲法改正という名前は持っているけれども、新しい憲法かもしれないと。しかし、最終的には、これは午前中にも拝聴していたのですけれども、押しつけられた、押しつけられたと言うよりは、むしろ、何で今まで変えなかったのかというのが問題なんであって、憲法制定当時のアメリカ人が日本に来て議論したときも、何で変わっていないんだろうという疑問を呈したわけです。 ですから、今の先生の憲法論からいえば、いわゆる日本の独立達成期に、憲法制定議会をつくって、そこで新しい憲法をつくるのが筋ではなかったかという話をしているのですけれども、その点について、はっきり
いや、私の言っているのは、先生の法理論からいえば、あるいはポツダム宣言で言う自由に表明される国民の意思という意味からいえば、独立したときが初めて自由に表明できる時期でもあったし、日本の将来の政体は、自由に表明された意思というわけですから、本来は、独立したときに憲法制定議会をつくって、そこで制定するのが筋だろうと言っているのですが、その点は同じですね。いかがですか。
これからの我々の議論ですけれども、もちろん、憲法制定議会というと言い方は悪いけれども、本当に憲法を論議していこうとするならば、改憲論でいいのか、あるいは制定議会でいいのか、その辺のお話と、もう一つ、私は、要するに憲法改正の手続規定の改正という点に絞っていろいろ考えるのも一つの方法じゃないかと思います。 十分ではたちまち時間も過ぎてしまうので、あともう一、二分でございますから、この二点を御答弁いただいて、私の質問を終わりたいと思います。
憲法改正手続規定の改正です。 それから、もう一つは、要するに制定議会という感じの議会でやるべきだろうかということです。
時間もございませんから、ここでやめておきます。
現在、司法制度改革審議会でこれからの司法制度のあり方を検討中でございますが、これは、基本的には、これからの社会がいわゆる行政指導というよりは一つのルールをつくってそこでみんながやる、それの決着は司法でやるというような基本思想があるわけでございまして、その点、司法制度の改革は非常に大事であると私は思っております。 その点と関連しまして、私は前も指摘したんですが、アメリカのように弁護士を大勢つくっていく方向とそうでない方向、欧州型と二つ分けましたけれども、一つ私は、今度、いわば司法試験で通過する人をふやすということはしても、裁判官がふえぬことには、弁護士がどんどんふえると、弁護士は飯の種じゃないけれども次々と事件を生んでくる、次々と
それと関連しまして、今話題となった周辺の人々、例えば今日本では司法書士とか税理士とか弁理士とか、あるいは社会保険労務士とか保護司とか行政書士とか、非常に裁判との関連のある周辺の人口がいるわけですね。弁護士が今度ふえますと、弁護士は食べていくために、そういう領域をどんどんと侵食する。一般の庶民も、弁護士さんに頼むよりはもっと身近な人に相談するという傾向もあるわけです。でございますから、いわゆる司法官、弁護士の周辺をめぐるいろいろな職種をどう扱っていくかというのが大問題でございますけれども、いろいろ聞いてみますと、一般的に、弁護士さんが何もかも仕事をとっていってしまうというような話も出てきております。庶民の相談相手としてのこういった人々
これから審議会で議論していくことと思いますけれども、庶民の相談相手的な人々の存在。私はこの前もちょっと別の話で言ったんですけれども、例えば保護司なんというのはすごい犠牲を払いながら、ほとんど報われないでやっている。こういう庶民に近いところの人々をどう扱うかというのは審議会の大きな議題だと思いますが、私もこの審議会が、途中経過で時々我々と意見交換をしてもらいたい。小委員会をつくってあるわけでございますから、その辺やはり、最終的にこうでき上がったからやってくれじゃなくて、途中段階でいろいろ我々の意見も聞いてやっていただきたいと思いますが、いかがでございますか。
では、話題をかえまして、雅子妃の御懐妊問題はちょっと、法務大臣が来られてからいたしますから。 沖縄サミットの警備状況ですね。というのは、沖縄サミットが目前でございますけれども、皆さんは、オウムの問題こそみんな怖い怖いと言って、オウム問題は非常に神経質になっている。確かにそれは、無差別の恐ろしいことをやるわけですから怖いわけでございますけれども、私はむしろ、相手を絞ったテロというのがこれから非常に問題になるのじゃないか。 と申しますのは、かつて私は成田空港問題をいたしました。これは要するに、土地収用委員会の委員あるいは委員長、あるいはそれに関連する運輸省の人間をいわばおどかす、その結果空港がろくにできないという問題を取り上げて
実は私、個人的な話ですけれども、うちの父が書いた「思い出の記」というのを二月末に出します。そこには戦前のテロ事件、クーデター事件などが全部載っているわけでございます。 御承知のように、戦前は、首相が次々と暗殺された。原敬とか、犬養木堂とか、財界人も殺された。これがやはり日本の進路を大きく曲げることに影響しているわけですね。本当に、あのころの良識派が生きておれば日本はあそこまで行かなかったのじゃないか。日本もこれからいろいろな問題が起こってくる。そういうときに、皆さんがサリンとかオウムとかいうことばかりに目を向けないで、本当にこういうテロに対してどういうことを考えるのかということをよく考えていかなければいかぬ。 特に、国際的な
この問題はやはり、我々これからの政治を行う上においてきちっと考えていかなくちゃいけない、法秩序の確立とともに、国の政策が曲がらないような意味のテロ対策ということを本当にお願いしたいと思います。 次に、宮内庁の問題に移りますが、去年の十二月、雅子妃殿下のいわば御懐妊の報道がございました。この問題は、個々の説明を聞くとまた時間がかかりますから、簡単に私の方からかいつまんでお話ししますと、十二月十日の朝日の朝刊で、御懐妊の兆候ありということで、午前中に官房長官が記者会見し、現段階では判断できないと。そして、東宮大夫からレクチャーがあった。夕刊に一斉に各紙が掲載して、両殿下は大変なショックを受けた。十二月十三日に検査が行われて、そのとき
私は、ある有権者から、何でこの問題が国民の代表者の集まりである国会で論議されないのか、これはけしからぬというようないわば依頼を受けました。私は、そのころ余り詳しく調べていなかったものですから、ちょっと調べてみようということで、この問題を取り上げたわけでございます。 ちょっと私、一つ疑問があるんですけれども、報道があったために検査が行われたのか、検査が行われたために、ちょっと時期的な問題もありましょうけれども、ストレスというか、その面を含めて御流産に関係があったのかどうか、その点を教えていただきたいと思います。
医者の発表によれば、医学的には関係ないのではないかという説明のようでございましたけれども、この辺はなかなか最終的にはわからない。特に七年間、いつまでもお子様ができないということで非常に気を使われておられた妃殿下がこの報道によってやはり大きなショックを受けたということは事実ではないか。事実、東宮大夫の説明にも話が、たしか十二月十日のレクのときにもそういう発言があったといいますけれども、結果的には何らかの形で影響をしているんではないかと私は推定いたします。これは医学的であろうと、普通の人間の場合のショックと大きさが違うといいますか、その面で、普通の人のストレスの場合だったらちょっとのストレスでも大したことないと思いますけれども、相当大き
これは、通常の人権云々の論議を少し超えた議論なんですね。やはり、国のいわば皇位継承者が生まれるか生まれないかというような大きな問題であったわけでございますから、今後とも皇室報道については本当に慎重に対応、特に新聞社の側で、そちらへ言ってもあれなんですけれども、新聞社の側で対応してもらわにゃいかないなと思っております。 では、話題を変えまして、最近のいろいろ経済関係の事犯というか、銀行の背任問題とか、次々といわば起訴され罪になってくる。 例えば、私はかつてこの場で言ったと思いますけれども、ある頭取がある企業に追い貸しをするかしないかという判断は非常にデリケートなんですね。つまり、担保は不十分だけれども、今ここで貸せばちゃんと立
私は、起訴されたことをどう裁判官が判定するのかにまで口を挟むつもりはないのですけれども、こういういわば基礎的な認識のもとにこういった起訴するかしないかということの判断が求められているのじゃないかと思います。 この点で、いわゆる経済犯罪というのがなかなか難しい問題なんですね。特に、裁判官、まるでもうお金の勘定なんかろくにしないというような一生を過ごしているわけですから、そういう人々に、いわば追い貸しがよかったのかとか、背任になるんだろうかとか、粉飾決算どうのこうのということの判断を求めることそのものがやはり慎重でなくてはいけない。 それは、やはり基本的に、私は、ある意味からいうと一度書いてみようと思っているのですけれども、現在