それではお答え申し上げますと、とにかく私どもは想像でそこの場所、私が属しておりました班の議論は成り立たなかったのでございました。これは先生、厚生省にそういう意思があったのだ、あるいは郡司先生からそういうふうにあったのだとおっしゃいましても、私どもの前にそういうことについての諮問が来れば話は別でございますよ、だけれども、そういうことは後からそういうふうにおっしゃいましても、私どもがやっておりましたときにはそういうことは議論の対象にはならなかったわけですから。
それではお答え申し上げますと、とにかく私どもは想像でそこの場所、私が属しておりました班の議論は成り立たなかったのでございました。これは先生、厚生省にそういう意思があったのだ、あるいは郡司先生からそういうふうにあったのだとおっしゃいましても、私どもの前にそういうことについての諮問が来れば話は別でございますよ、だけれども、そういうことは後からそういうふうにおっしゃいましても、私どもがやっておりましたときにはそういうことは議論の対象にはならなかったわけですから。
私はいたしてはおりません。
私が班長になりましたのは、第一回の会合のときになったのでございます。
私の理解いたしますところでございますから、厚生省のお考えがどうであったかなんというのは存じませんが、とにかく、私が属しておりました班の結論が、九カ月の後にはちゃんと最終報告が出たのでございます。ですから、そこで終わったのだろうと思います。
お電話をいただきましたから入りましたけれども、手続が違うとおっしゃいましても、私はこれで普通のスムーズな方法だと思っておりました。
いえ、その目的を最初のときに聞きましたのは、それは一般の皆様と一緒に聞きましたのですが、エイズの研究班をつくるからあなたはその中に入ってくれとおっしゃいましたのは確かですよ。
何を研究するかって、エイズのことについて研究するのだということで、それで私は了解をいたしましたのですがね。
私は血友病の研究者であるから、それでエイズが血友病の場合に今注目を集めているから、ですから、それでやりなさいと、入ってくれという意味であると私は解釈いたしました。
正式にお伝えしたことはありません。
私が感じておりましたのは、塩川教授は私の症例を見ましてかなりいろいろな議論をふっかけてきました。ですけれども、それはあくまでも学問的なことでございまして、そして後で、これは自分の、感染症というよりはもっと別の立場であるのかもしれないというふうに考えて、私には、ステロイドを例えば使ったことについての免疫機構の低下であるというふうな主張をなさったように思いますが、そういう全く学問的な立場から私の考え方に反対をなさったのだと思います。
外に向かって発表いたしました。厚生省にもお届けいたしました。それはすぐに、私は頭がもう年をとったからわからなかったのでございますけれども、だんだんと、私のところに来ました手紙を厚生省に送り届けておりました。
実は、ここで申し上げますのもどうかと思いますが、とにかく、あれは朝日新聞でございます。朝日新聞の、これはスマートな記者さんだと思いますが、それが栗村さんのところへお話しになって、いろいろ話をしておられる間に、私のところにギャロさんからのデータが来ておって、そしてギャロの方の成績と自分の成績とがどうも同じ成績になってきたというようなことを栗村さんからお伺いになったらしいのです。それで、じゃ安部のところにそういう資料があるに違いないと考えられまして、その方が私のところへ寝込みを襲うようにやってみえまして、それでとうとう私が泥を吐かされたのでございます。 それで、これはどうして発表したかとおっしゃいますと、私も非常に困るわけでございま
五十九年の三月ですか、そんなことは一遍も言ったことはございません。勝手にそういうふうにして私がコントロールしたかのごとく皆さんに流布されておりますけれども、私はそういうことをした覚えはないのでございます。 山本先生にちょっとその治験の状況を……(山本(孝)委員「いや、結構です」と呼ぶ)それが非常に大事なんですよ。というのは……。
そうです。
先生、私がお世話をいたしましたのは、治験の世話人でございまして、その世話人というのは、皆さんにこういう方針で治験をやるということを納得していただきましてから、それで、さあお願いいたしますと言ったら、その後は結局、半年かかろうが一年かかろうが一年半かかろうが、私としてはどうすることもできないのです。それが治験なんでございますよ。
それは、形式上は、そういう論文が出てきておりますから、私が全然知らぬというわけにはまいらないかもしれませんけれども、実際には、とにかく治験というのは、治験をやるお医者さんと、それから、その患者さんで出血をしたときに薬を上げるわけですから、その患者さんと、それから、その成績をみんなまとめたものを薬屋さんに出して、それで薬屋さんがこれで申請をするという場面になるわけでございますね。 そういたしますと、私はもうそういうところにはお呼びがないのです。それは、最後は、その報告の中に私の名前が出てきたということは確かでございますけれども、その途中で、これはどの医学の論文でも、全部が全部その一番最初の責任者が目を通すというかタッチするというこ
どのくらいとおっしゃいますのは非常にお答えが難しいです。というのは、とにかく一生懸命に加熱製剤をおつくりになったことは確かです。
助けてくれと言われたことは一遍もありません。それから、私にどれぐらいおくれているなんということの報告も、受けたことはございません。 ですから、確かにおくれておったということは、私は、治験をやるときには、加熱したものの製剤がなければ治験ができないわけですから、だから早くつくってくださいよと頼んだことは確かでございますけれども、それがまだどれぐらいでできますかということの質問はしたかもしれませんけれども、どれぐらいという時間的なことは、向こうがはっきりと言うことはできないだろうと思いますし、私もそれをつかまえることはできませんでした。
私は、治験薬を各病院に配ってはおりませんでした。それはミドリ十字さんが自分で配ったのです。
一番最初の方の四千三百万は、あの方々が御自分でその財団の口座にお入れになりました。ですから私は……。