その取りきめられた協定というのは、地域を具体的に公表されておられますか。
その取りきめられた協定というのは、地域を具体的に公表されておられますか。
先般、恩納村の水域において、アメリカが使用するというので、恩納村当局に対してその使用について通告をしたという事実があって紛争いたしたのでありますが、そういう水域提供の要請がそのつどなされるという根拠がどこにありますか。
そうしますと、いま具体的に問題をあげました恩納村のポイント通信所一帯で演習水域の提供を要請されてまいりました。現実にきたのですけれども、それは日米間に何の話し合い、協定もなしに、現地軍がただ関係町村に通告をしたというだけで、正当な協定に基づくところの提供の要請でない、こういうふうに承ってよろしゅうございますか。
二月一日に在沖米海兵隊情報部の発表によりますと、岩国の第一海兵隊航空団所属の第二海兵飛行支援中隊の司令部の要員が百名、先ほど安井委員のお話にもありました普天間の航空基地に岩国から移駐を開始したということが発表されております。その事実は御存じでございましょうか。
これは在沖米海兵隊の発表によりますと、司令部の要員百名と航空管制機器が一月三十一日から普天間航空基地に移駐を開始したということになっておりまして、単なる事務職員じゃなく、これは発表によりますというと、普天間海兵隊、航空隊の訓練強化を向上せしめるためだ、こういうふうにもいわれておりまするけれども、沖繩の海兵隊は、ベトナム停戦後の米極東戦略の中心とされておる関係から、今後これは在沖の米海兵隊が恒久に普天間に駐留するのではないか、ベトナム戦争後における機能強化の一環として、岩国から一部普天間に常駐するのではないかというふうにもいわれておりますが、そういうことは考えられませんか。
先ほどの安井委員の質問にもあるいは関係があるのじゃないか、私はこう思っておりますが、P3の移駐に伴うところの補助的な施設として、普天間に対しまするいろんな補強工事も行なわれておるようでございまするけれども、これらと関連づけますと、今後やはりこれが沖繩に一部常駐されるという可能性も出てくる、こういうふうに思うわけでございますが、こういった移動などにつきましては、別に協議を要する問題でもない、こうは思いますけれども、復帰後において、沖繩の基地というものが、この一つのことを見ましても、前よりもむしろ強化されてくるというような感じを非常に受けるわけなんです。その点はどんなものでしょう。そういう事実はないだろうか。
いま沖繩を含め本土、韓国、台湾あるいはフィリピン、こういった地域にアメリカの軍隊が駐留しておりますが、この各地域ごとにどれくらいの人員が駐留しておるかおわかりですか。
日本の場合はいま沖繩を含めましたけれども、本土と区別して御説明願いたいと思います。
いまお示しになりました数字、もちろんアメリカ軍が公表されたものではありますまいけれども、日本本土全体に二万二千、沖繩に四万、四万一千といわれるものもありますけれども、韓国に四万、台湾はだいぶ減って八千とも一万ともいわれておりますけれども、フィリピンに一万五千、タイに四万八千ですか九千ですか、そう考えてみますと、この配置されておりまする軍隊の数からいいまして、日本全体で二万二千、沖繩でその倍の四万、韓国だけでも四万、韓国と同じものが沖繩に置かれておる。台湾の五倍、フィリピンの二倍半もある。この狭い沖繩に、基地の広さはいまここでは申し上げませんけれども、人員そのものから見ましてもたいへん膨大なものになる。 そこで私は、復帰後の沖繩に
具体的に、この間北谷村から軍用地の開放の要請というものが当局にも出されているはずでございます。図面も添え、そしてまた、実際上どのように使用されておるかということにつきましても、詳細なものが示されておるはずであります。 一たん提供しておるのでアメリカはなかなか放さない。アメリカの了解なしには。これは一たん提供したから、そうかもしれません。しかしこれは常識的にいいましても、ほんとうにこれが基地として必要なのか、中には中古車の販売場所なども設けられておる。何の関係もないところの基地というものが使われておる。これがどれだけ市の計画にもあるいは産業の発展にも影響しておるか、はかり知れないものがあるのです。ですから、ごらんになりましても、こ
それでは、あとまた次の機会にあれしたいと思います。
たいした時間もございませんので、私はつとめて論争を避けまして、簡明に質問を申し上げたいと思いますので、その意を体してお答え願いたいと思います。 総理の施政方針演説の冒頭におきまして、今度のベトナム戦争の終結に関係いたしまして、これは新しい平和の幕明けである、そして、わが国は世界に例のない平和憲法を持って、国際紛争を武力で解決しない方針を定めて、平和国家として生きてまいりましたということが述べられております。現実に照らしまして、多少面はゆいことばでありまするけれども、政府が、単に平和国家として日本が生きるというだけじゃなくして、わが国が世界に例のない平和憲法を持って、この線に沿うて国際平和に向けて平和外交を進める、また進めてきた、
そこで、施政演説に、これは「新しい平和の幕明けであります。」ということを言われておりますが、私、お聞きしたいのは、このベトナム戦争終結の、これが平和への幕明けだといたしますならば、この幕を明けるために、日本の政府としてどのようなことをなさったのであるか、貢献されたのであるか、簡単にお答え願いたいと思います。
ベトナム戦争の終わり、そしてそれが平和への幕明けだということを言われるのでございますが、ベトナム戦争の始めから終わりまで、今日までのことを考えてみますならば、日本は、アメリカのベトナムにおけるところの軍事行動に対して非常な協力をしてきた。ことに、沖繩の基地をベトナム戦争に直結して利用されたことは、顕著な事実であると私は思うわけであります。もちろん、沖繩の復帰前とあとでは性格が違う、こう思うのでございますけれども、少なくとも、ベトナム戦争に関する限り、日本政府はアメリカに対する協力をしたのだ、積極的な協力ということがもしことばが強ければ、少なくとも、これに対する便宜を与え、間接的にベトナム戦争遂行に関係したのだ、こういうふうに見るのが
復帰前におきましては、沖繩は別に条約によって、もちろん安保条約外でございますが、復帰前におきましては、沖繩基地は、日本政府の意向にかかわらず、施政権をアメリカが握っておったということだけでもって、アメリカが自由にベトナム戦争の拠点として使った。これは安保条約の有無にかかわらずその事実があった。やむを得なかったことではなくして、平和条約第三条がそうならしめた。このことは争えないことでございましょう。いかがでございましょうか。
私はまだ復帰前の話をしておりますが、復帰前の沖繩基地は安保外でございましょう。 これから復帰後のことをお聞きしますのですが、復帰前は、何も安保条約の云々、基地を提供した云々とはかかわりなく、アメリカは自由に沖繩を戦争行為に使った、また使うような平和条約を結ばれたんだということにしかなりませんが、それと復帰後とは区別してちょっとお答え願いたいと思うのです。
沖繩の復帰後に、沖繩の基地の使用というのは、本土並み、すなわち安保条約の事前協議事項というのも何の変更なく沖繩に適用されるということでずっと言われてまいりました。ところが、復帰後におきまして、沖繩の基地の利用ということは、少なくとも、われわれ現地において見た限り、また、表面にあらわれている事象からしまするならば、復帰前と変わりないところの基地の状態であります。 そこで、ばく然と申し上げるとわかりにくうございまするから、今度の北爆開始にあたって、沖繩の基地がどのように使われたかということについては、理解をして、事実を握っておられるでしょうか。
私は、北爆開始後において、現実にどのように使われたかということを知っておるかということでございましたが、だいぶん広げられてお答えでございました。 そこで、それでは関連をいたしまして、沖繩からベトナム戦争に向けて、直接弾薬、武器が輸送せられるということは事前協議の対象になりますか、なりませんか。
現にベトナム戦争に出撃することが明らかなところの、ベトナムに送られているというそのことに対しても、事前協議の対象になりませんか。
直接戦闘地域に入っていくところの戦闘部隊に対しまして武器、弾薬を補給することは、事前協議の対象にならないのですか。あるいはまた、純然たる補給であるか、戦闘に対する補給かというところに区別の基準があると思うのでございますが、私は、今度の北爆開始後、沖繩から現実にこのベトナム戦争に対しまして送られるところのそういった補給は、単なる純然たる補給じゃなくして、戦闘に対する補給、こう見るべきものだと思うのでありますが、それも事前協議の対象にならない、このようですか。