その通りでございます。
その通りでございます。
その点は国鉄副総裁から説明いたします。
法外組合になるかならないかは、その組合のあり方によって変ると思います。
国鉄職員にあらざる者が役長になれば法外組合になると思いますが、それらの点は国鉄副総裁からお答えいたさせます。
私の考えと申しましても、ただ私の考えておることを申し上げても何にもならないので、やはり政治的に実現性のある、実行性のある点を申し上げなければ意味はないと思います。その意味におきまして、国鉄の公共企業体としてのあり方は、世間にいろいろな議論はありますけれども、あれだけのものができ上っておるのですから、あれにさらに自主性を与えて、そうしてやはり世間の期待に沿うような運営のできるようにしていきたいと思うのであります。その点から、ただいまお話の、総裁が自分たちの力ではできないという意味のうちには、政府から勧告もしくは制約をせられてできないという部分と、その他国鉄自体の企業能力においてできないという部分と、おそらく二つあるだろうと思いますが、
国鉄当局が労組と団交をする場合には、むろん自分に与えられた権限と、それから国鉄自体の能力とによって団交をすることに違いないと思います。今日まで実際の問題としては、国鉄当局の団交をした結果が、やはりあとから政府が順次認めていくというような形で引きずられてきておって、その間にいろいろなトラブルが起ったことは御承知の通りでありますが、しかしながら、結局においては、まあ最終的に先般の業績手当の問題を見ても、その他の問題を見ても、認めておるわけであります。ただその間に時間的のズレやいろいろあってトラブルが起きておりますが、認めておるわけであります。従って、その団交は、何をしても全部認めるというわけにもこれはいかないだろうと思う。また何をするわ
私は、気持としてはそれを尊重していかなければならぬと、かように考えております。
私があのとき、あなたにお答えしたのは、私どもとしてはこれは百パーセント実施しておると思う。しかし、あなた方からごらんになっても、これだけ政府が実施しておれば少くとも八〇%は実施しておるとお思いになるでしょうと、こういうわけでお話し申し上げたので、私は、まあ内輪の話を申し上げますと、補正予算を組みますときに、いろいろな経過をもって最終的な決定に至ったときに、私はこれだけのことをすれば、仲裁裁定の本旨にも、ほんとうに精神に沿っておる、言葉の末のいろいろな疑問は別として、ほんとうにこれは精神にかなっておるし、政府としても今日までこれだけの実施をやった例はないようだから、これだけのことをやれば、私が十五日の——十六日の前日のときに国鉄総裁に
私の努力が問題になると別ですが、私は一生懸命努力したつもりでありますが、しかし、今度の仲裁裁定を五百二十円というものを実施したとすれば全部になるわけでありますけれども、しかし、それは実際問題として、あのときに、これは新聞紙上に現われたなんですが、労組側でさえ、四百五十円ならそれでいいという公式のような声明を発表しておる。それが五百二十円にならなければ完全実施にならないというようなことは私は考えられないことで、今度の政府の措置を、完全に実施したものでない、どこまでも八〇%だというわけに私はいかないのじゃないかと、こう思っておる。私は心持からそう思っております。
ただいまのような、政府が処分すれば抗議実力行使をやる、またそれに処分をする、また実力行使をやるということが続いていったら大へんなことになる。それはお説の通りと思います。しかし、私は、国鉄の当局者と労組との間には、この国鉄の今日持っておる重要な役目から考えて、そのようなことには立ち至らないで、お互いに良識を持ってこの問題は解決されると信じております。
これは、私がこんなことを言うのは、はなはだ失礼ですが、物事はやはり両方の立場から見ていかなければならぬと思うのでありまして、その意味からいいますと、やはり国鉄当局者と労組の団交その他今日まで給与の問題も、それはやはり一面から見れば少し行き過ぎたところがあるのじゃないかというところもあるので、また政府の側としましても、その標準を示すためには、予算総額のうちでもって基準外と基準内というようなものでも設けたならば、そういうことが是正されるということになりはしないかという気持も、なるほどあったかもしれないと思うのであります。しかし、お話しの通り、それをもって労使の問題に一つのワクをはめるということはよくないと思います。私はこれらの問題を初め
今日の場合、そういう御質問をいただいて、私が御期待に沿うような返答ができるかどうか、これは一つ、国鉄の当局者もあり他の公社もあり、また私が監督者としての立場もあり、これらの事柄は、一つすべて今後の成り行きを見ていただくことをお願いするよりないと思います。
私はもうはなはだなんで、ほかに取り柄も何もありませんけれども、逃げ口上を言ったり、逃げたりだけはいたさないつもりで、問題の中に幾らでも取っ組んでいくつもりでおりますので、その点は一つ御了承願います。
このたびのような事態を惹起いたしましたことは、それぞれの立場において理由はあることと思いまするけれども、やはり国鉄当局者と労組との間に相互に十分な理解と信頼とがなかったことによってこういうことが起こったのではないかと思います。お互いに相手を理解し信頼することのできなかったということは、やはり過去におけるいきさつを見ますと、国鉄当局者としてももっと自主的に動いていきたい、自主性を持って仕事をやりたい、これも無理からぬことと思います。また、労組の側においてもやはりそれに応じて自分たちの立場をもっとよく理解させるということにしたいと、こう考えておられることと思うのでありまして、その点を私は今後両者の間に相互理解の上に立った信頼というものを
先ほど片岡さんにお答えした通り、私は今後の問題としては、当局者と労組の相互信頼のできるような道を開いていくということに一つ考えていくことが重要じゃはいかと、こう考えております。
まあこういうことを申し上げては当然のことで、当りまえとおっしゃるかもしれませんが、こういう紛争が起ることは、私は一方だけが悪くて一方だけがいいという場合には起り得ない。やはりそれが起るからには、両方の立場から見て、自分の立場がいい、正しいんだ、こういうような誤解から生じてきていると思うのであります。今回の問題も私は労組のやったことは全部正しく、政府並びに当局者のやったことは全部間違いだというようなことはやはり私は行き過ぎた見方だと思う。両者とも反省をしていくところに相互の信頼というものが起きていくので、そういう意味におきまして、どちらも自分の行き過ぎを改めていくということに努力していかなければならぬ。その道を開いていくということが必
ただいまの私の申し上げた問題と、責任という問題になればおのずから違うと思うのであります。たとえば私どもは責任という見方もいろいろありますが、国鉄を監督する立場にある運輸大臣としてこのたびの事態からして国民に非常な迷惑を及ぼした。そういうことに対して、お前は責任を感じないのかと言われれば、私はそういうことに責任を感じませんとは申し上げられないと思うのであります。自分の監督をする国鉄の事態からして、乗客の上に、貨物の上に、ことにこの社会秩序もやはりこれによって相当乱されている、こういう事態が生じたことに対して、国家国民に対して御迷惑をかけたその責任をと言えば、私は感じないとは思わないのであります。しかしながら、この間からこの国会において
私はたびたびこのいきさつは申し上げたと思いますが、あらためて御質問のこの機会ですから、もう一度その当時の事情を申し上げますが、三月十五日に業績手当を出す問題について、この十六日、十七日の実力行使について、国鉄当局者と組合との話し合いがありました。一で、私はそのときは仲裁にかかっておるときでありますから、従って、国鉄の総裁が団交をする場合の参考のために、政府のというか、私自体の気持を総裁にお伝えしたのであります。それは政府は仲裁裁定を誠意を持って尊重すると言っておるけれども、これを私の立場から具体的に言えば、完全に実施するつもりだ。そり腹を持って一つ十六日、明日からの事態を惹起しないように話をしてもらう方が適当であると考える。こういう
お話しの通り、二十二日の晩に至るまでのこと、その他のことは、それは政府部内の問題であります。政府部内の問題であります。しかし、政府部内の問題でありますが、私が十人目になって二十三日に払うことを知ったということがそれはおそ過ぎたということでもないと思います。また、大蔵大臣が、事務的にできてしまえばこういう協議が済みましたという報告くらいは受けて、何もその晩まで大蔵大臣は知らなんでも、当然できるべき事務的のことで、できなかったから大蔵大臣の耳に入りましたけれども、できてしまえば事後に報告するくらいで済むことと思うんです。できなかったから私と大蔵大臣と話をしたというのが二十三日の朝になったわけです。従って、そのいきさつを承知すれば、国鉄当
私は国鉄の当局者がこの春闘を初め去年から引き続いて業績手当を支給することに対して、世間から言えば、アベック闘争だとか、やみ給与をやったとかという実に心外な言葉を投げられておるにもかかわらず、それをがまんしてあの重大な責任を果すために、また、このたびの処分についてもこの処分をするに至るまでの血のにじむような苦心をしておるところを見まして、私は国鉄の当局者は非常な努力をもってその責任を尽すために懸命であったと、こう思って信頼をしておるわけであります。(「議事進行」と呼ぶ者あり)