どうもありがとうございました。 次に、村瀬参考人にお願い申し上げます。
どうもありがとうございました。 次に、村瀬参考人にお願い申し上げます。
ありがとうございました。 —————————————
これより両参考人に対する質疑に入ります。質疑の通告がありますので、順次これを許します。堀昌雄君。
奥野誠亮君。
関連質問の申し出がありますので、これを許します。大村襄治君。
村山喜一君。
武藤山治君。
もうちょっと大きい声でお願いします。
これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。 両参考人には、御多用のところ長時間にわたり御出席いただき、かつ貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。小委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。 次会は、明二十二日水曜日、午前十時三十分開会することといたしまして、本日はこれにて散会いたします。 午後四時五十八分散会
関連して。いま数字の報告を伺ったのですが、有料道路の経理について、いろいろあると思いますが、プールしてやっていらっしゃるのか、また現在収入に対して支出が多く、赤字になっているようですが、そういう支出、それから収入が予算書でどうなっているか、たいへんうかつかもしれませんが、教えていただきたいと思います。
いまの問題に関連してもつ一つですが、道路公団の収支の中で、たとえば収入になった使用料、こういうものはその次年度の事業費として繰り入れているのか、実際問題としてはそういう金の使い方をしているかどうか、あるいはその償還になる金は特別な勘定のようなもので一応リザーブするような方法を講じているかどうか。
そうすると線名ごとにいまあなたのほうで調べておったけれども、道路公団では有料道路ごとにその収支の会計というものは一目瞭然になるようなっていますか。
関連で……。たいへんおもしろい。私はおくれてきましたから、やりとりの中身はよくわかっていないかもしれません。しかし、実はたいへん大切な問題であると思います。これは少し堀委員と考え方が違う点があるかもしれませんけれども、私は国債というものは建設公債と赤字公債と性格が違うと思う。建設公債の場合は、その国債によって取得した金が実際の事業になって働く効果が継続する。効果の年数というもので、おそらく六十年というようなものを大蔵大臣が言っていたような気がするのです。それがたてまえで、しかしそのときの金融の情勢で、長いものはなかなか消化がし切れない。事実、六十年のものを買ってくださいますかといったら、正直なところ、個人でも機関でも、手を出すところ
その七年という年数ですね。いまのおことばの中に、七年たったら、やはりまだ国債も続くだろうというようなお話もありましたが、七年という年数をきめる理論的な根拠、あるいはそれを結論づけたいろいろの条件というふうなものをどういうふうに考えていますか。七年をきめたときの考え方の条件あるいは根拠、背景というもの……。
私は、七年という年数は、おそらく定期預金だとか信託だとか貸付信託だとか、そういうものと振り合った関係もあるだろうし、それから、いままで出ておった政保債なんかの関係もあると思うのです。しかし、こういう考え方はどうでしょうか。長いものを出せば出すほど政府の国債費というものは固定するわけですね。短いものを出して、そしてそのときの金融情勢の中で条件を変えていけば、国債費というものはフラクチュエートすることになりはしませんか。ですから、財政として、長いものを出して国債費というものを固定していくほうがいいのか、それとも短く出して、その金融マーケットの状態に応ずるような弾力性のあるものにしていくほうがいいのか。これは短くしますと、ある意味では金融
だんだん話がわかってきたような気がするのですが、個人の会社が使う金を株式資本に依存するか、社債に依存するか、長期借り入れ金にするか、あるいは短期借り入れ金の借りかえでいくかというふうに、かなり会社というものは、そのときの金融市場等に応じて知恵を働かせるものでございます。政府は、国債を発行する場合に、大きな意味ではフィスカルポリシーという観点からいうと、そういう小細工ではなしに、もっとマクロ的な観点はもちろんあると思うのですが、しかし、国債を直接担当する部局においては、いま私の申し上げたような個人の会社が金の性質の使い分けをする、そういうこまかい配慮というかお考えというものはやるものですか、やらぬものですか、あるいはそんなこまかいこと
赤字の時借りの国債と建設国債という意味はわかったのですが、もう一つ私は、そういう意味で減債基金の繰り入れにも六十年ものというものを一つの基準にするということはわかったような気がするのですが、外国の例で、これは私は知識が少ないのですが、永久国債ということばをよく聞くのです。これはどういうふうな性質で、どういうふうな角度から行なわれているのでしょうか、ひとつ教えていただきたい。
少し角度は違うんですが、四十年度に出した国債は、文字どおりしりぬぐいの赤字国債だったと思うのです。四十一年度に出した国債は、これは国債自体に性質の変わり方があるはずはないんですが、経済的に見ますと、要するに景気を刺激するために、いわゆるフィスカルポリシーをその国債で組み込んだような感じがするのであります。しかし、四十二年度の国債はまた性格を変えているように私は思うのです。こういう質問は前にもどこかの委員会で銀行局長にしたことがあると思いますが、これはなかなか答えにくいと思いますが、堀さんどうですか。自分でうぬぼれているんですが、四十二年度になりますと、今度は社会資本が足りないから、やはり国債による財源で相当見ていかなければいかぬとい
国債課長、どうですか。
私は、国債というものがフィスカルポリシーの一つの働きとしてたいへん意味があるように考えてきたんですが、二つの意味があり、それがむしろ四十二年度になりますと、社会資本のほうに重点が移ってきたということになると、国債というものが景気対策としての国債でなしに、非常に固定したいわゆる構造的な経済の変化をになうような感じがしてくるので、国債をフィスカルポリシーの中の主要なアイテムだと考えることが意味が薄くなる、そういうふうに実は考えるんですが、それはいかがでしょうか。理財局長、どうですか。