簡潔に報告してくださいよ。
簡潔に報告してくださいよ。
それはかなり変造、改造をされた報告になっておるわけであります。実はこの差別発言をしたという事件は、一人の子供が何かのときにお茶くみを命じられておったら、ほかの友だちが茶くみ、茶くみと言ってひやかした。そのひやかした方に部落出身の子供がいたので、報復のために差別用語を吐いたというわけですね。そのことが直ちに教師の目に触れて、この大和高田というのは独特の同和教育政策を持っておりますから、直ちにこれを糾弾してくださいということで学校側から解同にお願いをいたしまして、差別事件として教員側から提起をされたわけです。ところが、そういう状況で、学校では教育的に取り扱うという教育上の措置を一方で行いながら、解同の糾弾を受けるという状況にあったわけで
先般の全解連の文部交渉の中で私も初めてこの資料をもらいまして、その後読んで、非常に問題があると思っておるんです。その点は、私は担当課長の方で、少なくとも局長とともに、これについて質問の通告はすでにいたしておるのでありますから、速やかに検討をまとめておかれるべきであったと思うわけです。この点については、先ほど文部大臣が答弁されたところと、この市教委の方針は著しく食い違っており、逸脱しておると思うんですけれども、いかがですか。
桜井市というのも、大体これと同様な市教委は方針をもって、かなり強烈な、大体全市的に狭山再審支持の全学行動に入るような状況に置かれておるわけであります。桜井市では、初瀬小学校という学校がいわゆる差別糾弾を受けておるわけですが、これは御存じですか。
これもまあ、教職員の責任があるとはとうてい思えない事件で差別の判定をされて糾弾を受けておるんですね。PTAの副会長が、同特法ができて以降、先生が部落出身の生徒を大事にするから、一の子が二になって、二の子が三になったと、おまえらは法律のおかげで地区出身の子供は成績が上がっているんだと、ほかの子も大事にしてくれというようなことをPTAの副会長がしゃべった。そこで、教員が糾弾を受けて、差別をやりませんというあかしとして何を求められたかというと、「全学集団登校へのとりくみ」というので、これは県教委も一緒になって構成をしておる奈良県部落解放研究集会という九月二十三、二十四日の集会で、誇らしく報告されておりますね。「全学集団登校へのとりくみ 桜
現在までこれらの状況に対して、県はどういう指導をしておったのか、担当の方では掌握をしておられますか。
指導をされておる以上は、奈良県の「同和教育の推進についての基本方針」の文書は読んでおられますか。
先ほど言われた内容は、文部省の指導方針であって、決して同和教育の推進についての奈良県の指導方針には記入されておりません。奈良県の基本方針の冒頭の文章は、「同和教育は、これを民主教育の中核としてとらえ、その推進につとめなければならない。」となっておる。「民主教育の中核」というのはどういうことでしょう。
そうすると、文部省も民主教育の中核であると考えておるわけですか。
方針を読むときには初めからしまいまで読まなければ、ナチスの憲法と日本の憲法とだって部分的には一致したところがあるんですよ、それはね。何も私はこの方針がナチスの方針だと言っているんじゃありませんよ。それは何とか会の方針でも、人情愛をうたったりする部分はあるわけなんです。初めからしまいまで、根本はどうで、具体的はどうかということを読まなければならぬ。民主教育の中核とか原点とかいう言い方がある時期に運動場の方から流れたことがあります。私は教育の原点は教育基本法であろうと、こう思うわけです。原点が二つも三つもあったら、問題はむずかしくなってしようがないわけであります。中核というのも、ある時期に言われた原点というのと、それの後踏襲した考え方で
何から何までやる必要はないと思うのです。しかし、たとえば奈良県というところでは御所という町で、市長が選挙に当選したら、選挙中の言動をもって糾弾をされて、そうして孤立無援糾弾を受ける中で市長を辞任する、いま選挙に入るというような状況も起こっております。選挙民から選ばれて、特定の人の糾弾で市長をやめなければならぬということは、議会制民主主義のわが国としては特別異例なことであります。しかし、もし同和が原点であるならば、それは議会制民主主義を上回る問題として許されるかもしれない。しかし、憲法、基本法を守るというのはさようなことが起こらないことでなければならぬと私は思うわけです。そういう状況の中で、特に指導上の留意点は、運動と教育とが混同しな
この集会は解同、奈同協、郡山市役所の部課長は郡山を会場としたので、職務命令で全員参加し、それから保母が参加をし、障害児解放研究会が参加する中で、同推協とPTAと教育委員会とが共賛者として登録されております。同権協という組織の会長は県教育次長であります。これらの共賛の集会の中で、かような研究が推進されておる。こういうことでは運動と教育の混同と、あるいは偏向教育がここでは大手を振って主流の教育意見として通用し、そうして教育学の立場に立つ者は、圧迫されながら暮らさなければならないと、こういう状況になっておると見るのが至当であろうと思うわけです。ただされるべきは、教育委員会の手で指摘をしたら注意をしましたけれども、この大和高田市の教育委員会
最後にお伺いをするんですが、一昨日の委員会の際、和歌山の市教育委員会のいわゆるスト参加者氏名公表という、例を見ない行政行為のことについてお伺いをしたいわけです。 時間も少なくて、文部大臣の御答弁をいただくことができませんでしたが、私はああいう問題は日本で初めてですね。行政当局の手で行われて、二度とエスカレートしてあちこちで行ってもらいたくないと思っているわけですが、文部大臣の御所見はいかがであるかということが一つと、もう一つ、やっぱり何としても公然と教育長が、制裁を加えるためにということを広報紙で書きあらわしてとった態度でありますが、これらの点も少なくとも県と相談もしないで、これは明らかなことでありますから、県と相談もしないで、
ちょっと聞き捨てならぬ私は答弁だと思うんですが、全国で四十七都道府県があり、その傘下には多数の市町村教育委員会があるわけですね。あえてそういうことをした教育委員会はありません、ほかには。ところが、スト参加に対して賛成した教育委員会もないと思うんですね。やめてくれと言い、その後で起こった状況については、それなりに勧告を出すなり、戒告を出すなり、文訓を出すなり処置をしておるわけですね。それに対して和歌山がとったああいう特別な行動はやむを得ない行為であったというのは、大臣のこれは所見であるわけですか。
まず、文部大臣に御質問申し上げます。 本国会は、有事に関する立法制度の問題が非常に大きく問題になったわけであります。衆議院の予算委員会で福田首相は、有事の研究については単に防衛庁だけではなくて、政府全体として取り組むというふうに答弁をされたわけであります。また、本年度の防衛白書を見ますと、その中に、緊急事態に際しては、有事立法だけではなくて、運輸、通信などとあわせて教育関係に至るまで国防上の配慮を加える必要があるということも述べておるわけであります。その点に関連をしまして「国防」という雑誌を見ますと、この中に対談がありまして、防衛審議官と軍事評論家の間で苦心談が書かれておるわけですけれども、関係各省庁との意見の調整を終わったと、
文部大臣に相談をせずに、教育問題をだれに相談をしてやっておるのか、ゆゆしい問題だと思います。この件については、ひとつこういう各省庁の意見取りまとめ、教育に関して国防における配慮をするというようなことが、連絡済みのものとしてこの雑誌等にも出されてくる、「国防」に書かれてくる、首相答弁も関連して受け取られるということではゆゆしい問題でありますから、その点については、今後に問題を留保しておきたいと思います。今後の機会に、ひとつ責任を持って文部大臣の目の届くところで、こういう問題は厳格にやっていただきたいと思うわけであります。 特に、三次防以来、教育に国防上の配慮を加えて、そして有事への環境整備を図るというようなことは、防衛庁関係の文書
前海部文部大臣のときには、三原防衛庁長官が、ひとつ君が代は国歌にするようにしてもらうというようなことも放言をされまして、海部文部大臣に聞いたら相談は受けなかったと言われたのでありますけれども、従来から君が代ということで学習指導要領に記載されてあったものが、国歌君が代というふうに直されておる。大臣に答弁を聞くと、従来と処置は一つも変わりませんと言われるようなこともあったわけであります。話を伺っておると、文部大臣はどうも教育上に国防上の問題が反映していくプロセスの中では、圏外にあるかのごとき話になっておると、――積極的にやってくれというのでは決してありません、その反対でありますが、これは憲法を守り、教育基本法を守る上からも、厳正に対処を
もし本人からそういう報告が県教委を通じてなされたとすれば、本人自身には公然化されればけしからんことだという罪の意識があったのかと思うわけであります。その研修会に参加をした人のノートから出てきて問題になった内容は、そんな生やさしいものじゃありません。教育勅語の内容は、昔も今も日本だけでなく、外国においても変わらない徳だと、こういうふうに言っております。教育勅語の中には、確かに「之ヲ古今二通シテ謬ラス」、「之ヲ中外二施シテ悖ラス」と、こういうふうに書かれておるわけですけれども、そのことは間違いなく言われておるわけであります。昔も今も通用し、日本だけでなくて外国においても変わらない徳だというふうに文部省としては考えられますか。その点をお伺
総理の発言は、何も福田首相に始まったことではなくて、朝鮮戦争の前夜、吉田首相の教育勅語――修身のあった昔と今日の問題以来、天野文相あるいは池田首相の時期からもずっと続いてきて、特に、有事が論じられるということになれば、教育勅語が論じられるというような相関関係になっておるのは、少なくとも文部大臣の言われるような筋からしても憂うべきことだと私は思っておるわけであります。特にこの問題については、県に照会をされたということで、無難な報告が上がっておるようですけれども、現地では、少なくとも当事者は教育行政の重要なポジションにあって、教職員を恐らく集めて道徳研修会を行ったであろう場所で、この道徳教育というものが、あるいは修身、教育勅語に対して今
いわば前人未到の仕事をやるというようなことですが、市教育委員会ですね、これは県教委と相談してやったのかどうか、あるいは文部省は相談を受けた上で、一定の準備をしてやったのか、その辺のところはいかがですか。