ちょっと局長の答弁はこれはいかぬですわ。就学率だけでわが国の教育水準が非常に国際的に高い成果をあげたというようなことを言うのは、これはちょっとまずいでしょう。経済的な問題であれば、これはもう経済上の指導をあげて詳細にやるわけですから、教育だって同じことだと思うんです。どういう一体標準に従ってそういう判定を下したか、これはやっぱり文部省言わなきゃいかぬですよ。就学率だけでやられたんじゃ、これはこれからの審議をやるのについてこれはまずいですよ。
ちょっと局長の答弁はこれはいかぬですわ。就学率だけでわが国の教育水準が非常に国際的に高い成果をあげたというようなことを言うのは、これはちょっとまずいでしょう。経済的な問題であれば、これはもう経済上の指導をあげて詳細にやるわけですから、教育だって同じことだと思うんです。どういう一体標準に従ってそういう判定を下したか、これはやっぱり文部省言わなきゃいかぬですよ。就学率だけでやられたんじゃ、これはこれからの審議をやるのについてこれはまずいですよ。
まあ、それは押し問答やってもしようがないけれども、それはあなたも用意してこなかったんだと思う。しかし、少なくとも文章を書く上においては国際的に高い水準だということを言うならば、この点はこうで、この点はこうだというものがなければならぬと思う。それで、これ出してもらいたいね。教育研究所というのがあるでしょう。そこへ行って、専門の調査なりなんなりをやっている人に聞けばわかることだから。これはやっぱりお互いの教育問題で議論をする場合には大事なことなんです。日本の一体どこが、水準としてぼくも高いということは、高いほうへ入れてもいいと思っているんです、私自身も。しかしながら、また欠陥面もあると思う。そういうものの正確な見方をしないで、日本の教育
まあ、教育界の人材といった場合に、いろいろな場合があると思いますね。たとえば日本の国の進路の場合でも、進んでいく場合でも、逆境の場合もあろうし、あるいは順調な場合もあるだろう。いろいろな局面にあたって、教師が少なくとも学校教育の中において児童生徒、あるいは青年をほんとうにりっぱに教育するということには、ぼくはやっぱりいまおっしゃったような形式的なものではないと思うのですよ。そして、またちょっと大臣がこう言われれば、大体同じような教員がずらっと並んでしまうような気がするんですよ。私はそう思わない。いろいろな違った型の教員があり、ある面では一つの欠陥みたいなものを持っている場合もある。非常に何か態度、もの腰が粗野に見えているけれども、子
だから人材というとどうですか、大臣は考えて。その人材は必ず学校の校長になると、こう考えますか。
全く同意見ですね。校長にならなくてもりっぱな教師というものがある。それから教頭でとまってもりっぱな教頭でみなの信頼を受けたという人もある。全く平——平と言ったら悪いけれども、何にも教頭とか何とかというものにならない教師であって、それで実に教育に一生をささげたという人もある。こういうたくさんの教師を、いろんな教師があって、私はほんとうに学校の教育というものはうまくいくと思うんです。だからそういう選び方というものはあっていい。そうなりますと、これはいま、あとで時間の関係もありますから、あまりぼくは全部言う時間がないと思いますから、ちょっとここでわきへそれますけれども、そういうことを考えますと、教員の賃金というようなものを考える場合に、や
このことはいずれまた議論することもありましょうけれども、私は何といいますか、人材というようなことを考えた場合に、校長になる、校長になるといって目の色を変えている人間よりかも、いい教育をやろう、やろうといってそんなことに淡白な人間のほうがまさっている場合もたくさんあるということ、あるいは僻地の学校に、いつも僻地回りばっかりやっている教師もいる。この中にはやはりすぐれた見識を持った人もいるわけですから、だから私はそういう意味でいまのことを申し上げたわけで、これはまたいずれ賃金の問題としては議論することあるでしょう。 それから、教師というものは人材入れるわけだけれども、人材をほしいというのはだれでもそうだと、ぼくらでもそうだと思うので
あまり答えにならぬようですね。あまりそれはりっぱな答えじゃないけれども、大臣の考え方がこれは師範学校で、総体的に言えば初期の師範学校なんというものは、やや何といいますか、かなり高い学歴を持った人間のように思われた時期があるのですよ。そういうころは卒業したらもうすぐ校長なんだからなんて、北海道なら馬なんかに乗って赴任する者がいたですね。もっとも汽車がないときですよ。そういうのがあった時代があった。やはり卒業してすぐ二十そこそこのやつが校長になっていくというような時代があったのです。そういう時代のあれからいえば、かなり高い教育を受けたいわゆる学歴の高いほうだということ——だんだん下がって師範学校も下落しましたけれども、そういうあれからい
いま例に出ました学校の災害か何かの問題ね、これは三重県でたくさん海水浴に行って、子供がなくなったことがある。これはまあ裁判にかかって、法律上の一体責任があるかないかということの解決はついた。しかしそれとは別に、子供を連れていって事故が起こったということについては、教師はどんなことをやったってのがれられない。万全の策というのはまだなかったか、まだなかったかという、これはあるんですね。そういうことを回避するなんていう気持ちを持っている教師なんていうのは、いま日本全国の学校の中にだれもいやせぬと思っている。そんなことで責任を回避したりなんて、それじゃないんだ。もっと教師の本質の問題いわゆる教師として働くところの子供に教えるその問題いわゆる
そこが問題なんだ。ぼくはこの前にも大臣に質問したことだけれども、このことは、非常に重要なことだからぼくは重ねてやるのですけれども、ぼくはそのことでのがれられないということをあらわしたのは、何といっても教員の追放の問題、敗戦のとき教員が追放を受けた。私はその追放のときにあたりまえだと思った。われわれも審査何べんもやられた、あとで復職するときね。何べんかやられた、そのときに私はこれは当然だと思った。だれを一体、だれに対して、自分の無知のために子供に対しての教育を誤ったとしたら視学がどういったとか、教科書かどうだったとかいうようなことは、これは単なる言いわけだとぼくは思ったのだけれども、そのぼくの考え方は誤まりですか、どうですか。
とうといとかとうとくないとかというようなお話じゃないですよ。ここに書いてあるね。これもさっきの同じ本ですね、昭和二十年十月三十日の総司令部の指令であると書いてある。これによって教員の適格審査が行なわれ、戦争遂行に大きな役割りを果たした教員の追放などが行なわれることになったと。その戦争遂行に大きな役割りを果たしたというのは、それはある意味で、私は、大きな役割りを果たしたと思うんですよ。だれもそのころ、いくさに行くというときに、それは、内心はいろいろな悩み、苦しみがあっても、勇ましく涙も見せず出て行く人がほとんどだったね。そうして、みんな命を捨てて戦ってきますと、こう言って行ったと。それをそういうところまで教育したのはだれかといったら、
どうもそれでは抽象的ですね。だけれども長々やるのもあれだから、ぼくが自分の立場で人から聞いたり見たりして考えることからいえば、やっぱり教育の専門家といったら、あまりいいかげんなのは専門家と言っちゃいかぬですよ。ぼくなんかも専門家なんて言ったら笑われる。これは専門家でも何でもない。職人、教員という職人の程度と思うわけです。ぼくは大学に入ったら、その大学というのは、だから、いいかげんな大学をつくってもらっちゃ困ると思うのです、ほんとうのことをいって。教員になる大学というものはほんとうのやっぱり専門家をつくってもらいたい。医者、弁護士ということがいま出ましたけれども、医者も容易じゃないんです。医者だって、あれは修業の年限は長いのにもってき
ちょっといまの答弁はわからぬけれども、たとえば教育というものについては、試行錯誤はあまりのべつやったらいかぬと思うんです、教師は。きくかどうかわからぬけれどもやってみようかというような、間違ったらまたやり直せばいいというようなことをのべつ繰り返しておくような専門家じゃ困るわけです。取りかえしのつかないことになる。だからそれについては責任を持たなきゃならぬ。そういう教師だとするというと、いわば子供に与えるものすべては、自分がほんとうに調理して、絶対有害でないというような確信に立って、そうしてやらなきゃいかぬということになる、理想からいえばそうなんだ。私はそう言ったら悪いですけれども、反対であるならひとつ言ってもらいたいが、学力一斉調査
私はそのワクの中でということでは、全く意見が違うわけです。国家はそういうことをやるものではない。それは非常に大きなワクで選択ができるようなものならば、それは国が全然やるなとは言わない。しかしながら、教師の選択というものが、その中で専門家として非常に窮屈だというような感じの与えないようなやり方でやるべきで、日本の場合は学習指導要領でも何でも、非常に微に入り細をうがっておってまるきりそこからはみ出せない。教科書についてもいろいろな検閲だか検定だかしらぬけれども、そういう議論がいまでも行なわれておるわけですけれども、それについても、やっぱり日本の教育というものを、ある一つのものに固定化するような形にだんだんいっていることを私は心配する。
そろそろ終わりたいと思いますけれども、あちこちはしょってやっているのでちょっとあれですけれども、いままでいろいろなことを言ったけれども、三人ともほんとうはよくわからぬらしい。答弁聞いていると大体そういうふうに感ずるわけですがね。しかし、これは議論してもなかなか、すぐにはうんと言うようなことはないだろうと思います。しかし、ワク組みの話は、ワク組み一つをやると——ワク組みというのはこれは大事なことです。ワク組みは、私は、日本国憲法、教育基本法というワク組みで、これはもうだれだって守らなけりゃならない。これは否定することはできない。天皇制の場合ならば、紀平正美さんの説のように、教育勅語をおいてないんだという、こういう主張、これはワク組みで
ただいま議題となりました学校教育法及び学校図書館法の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由と内容の概略を御説明申し上げます。 御承知のとおり、学校教育の進展に重要な役割りを果たしている学校図書館は、去る昭和二十八年に本法が制定されまして以来、関係者のなみなみならぬ努力により、逐年整備されてまいりました。しかしながら、その運営の状況を見ますと、施設、設備及び資料等の充実についてもなお一そうの努力が期待されなければなりませんが、現在、最も大きな障害となっておりますのは、運営に当たる教職員の配置の問題であります。 現行の学校図書館法では、その運営に当たる専門的職員として司書教諭を置かなければならないとされておりますが、同
きょう急に急を要するものだからつけ加えたんですが、短いのでひとつお願いしたいと思います。 北海道に大夕張鉱という石炭の山があるわけです。大夕張鉱は閉山にならないとわれわれは思っておりました。この山は閉山にならないのではないか、この山が閉山になるときは北海道から石炭産業というものが影も形もなくなる時期ではないかと思っておったのでありますが、これが閉山になりまして、大夕張鉱というのは、よけいなことですけれどもたいへん住みよい場所であり、学校の先生も大夕張鉱の校区に入るというと転任を望まないというような、そういう傾向のところなんです。たいへんいい場所であったから、断腸の思いでここから労働者は転出するわけでございますけれども、まあ、いか
前回の場合、たいへん私まあありがたかったのは、そこの教職員の皆さんが、できるだけひとつ協力してやろうじゃないかと、職員会議で述べられたそうです。校長さんがやっぱり、欠員のないところへ入れるとか、いろんなあれが出てくるというと、それ、やっぱり教師に対してもいろいろな配慮が要るわけです。その際、皆さんがそう言ってくださってたいへんまあよかったんですけれども、私はそういうこまかい配慮をしてもらわないというと、これはなかなかうまくいかぬと思うのです。ただ、まあしかし考えてみるというと、それじゃほかの転任した場合はとか、転任でなくても一般の人が転出した場合、それらとの公平、不公平の問題もあると思うんです。私はだからこれは、やはりそういう人たち
それはしかし、まあ私は、時間が制限がありますけれども、一つは教育委員会の教育長とそれから文部大臣、この関係のとらえ方というものを文部大臣がお考えになっておったかどうかということ。これはいま答弁要りませんよ。私はまあそういう大達さんがこれをやったときに、文部省が日本の教育というものに全面的にひとつ統制を加え、われわれのことばで言うと、責任を持てということになったら、もっと思うままにそれはやってもらわなければならぬ。そのときにずいぶん勢い余って、並いる文部省のお役人の顔をじろりとこう見回して、大達さんが、大体文部省の役人だっておれの言うことをよう聞きやせんと、一つも聞きやせんと、こういうことを言った。そういう鼻息の荒い方であったけれども
まずこれで、あなた、そういう一般的なというか何というか、さらりとおっしゃったけれども、あなたのほうで県の教育長については、あれでしょう、首を縦に振らない場合があるでしょう。そういうやつがあったでしょう、あの教育長じゃ気に食わぬ、おれのほうの言うことをよう聞いてくれぬというわけで。そういうのがあったことを記憶なさってるだろうと思うのです。あなた知らなければ局長は知ってるでしょう、あったかなかったか。どうですか。
まあ、いいんだ。その地方のあれはともかくとして、県でもって出してきたものをやらせないというようなことを言うのは、これは一つのこの法律の中でできるわけです。できるということは、文部省からとにかくだめが入ったらそれは教育長やれぬということです。そういう事実があればどうなるかといったら、その組織は上の文部省の命令をずっと素通しさせる、そういう形になる。そういう形の中であなたがさっきのようなことを言うと、このほうがもう正しいというふうに見られるわけです。そうでしょう。 そこで、その答弁は要りません。まああなた、百も承知で、どうやって逃げようかななんて思ってるのだから、それは要らない。要らないが、そのあたりじょうずなんだ、何しろ昔の警察官