設置基準のどこを改めるということになりますか。
設置基準のどこを改めるということになりますか。
まあ、何といいますか、設置基準をながめてみますというと、どの設備基準を見ましても、水準の向上ということを、水準低下というものに歯どめをかっているわけですね。水準の低下しないようにという歯どめの規定があるわけです。大学設置基準でも「この省令で定める設置基準より低下した状態にならないようにすることはもとより、その水準の向上を図ることに努めなければならない。」ということは、これは高等学校の中にも十九条にやっぱりそういうことを書いています。幼稚園にいってもそう書いていますね。「この省令で定める設置基準は、幼稚園を設置するのに必要な最低の基準を示すものであるから、幼稚園の設置者は、幼稚園の水準の向上を図ることに努めなければならない。」とこう書
それではひとつその設置基準にかかわり合いのことにつきましてはやめまして、次に移りますが、私は、ここでちょっと大臣にお尋ねいたしたいわけでありますが、この校舎というのは、建物というと校舎ということになるのですが、先ほどもちょっと述べましたが、屋体というのが校舎でないという、これを分離して考えるという考え方、私はどうしても納得いかないのです。私に言わせれば、体育のこれは教室であると、こういう広さが違うとか、設備が違うだけです。それを校舎でないということになると、そんなことはわれわれが教員やっているときに、屋体は校舎でないなんというあれは全然ないですよ。校舎見回りといったら、それはもう屋体なんというのは必ず行って見なきゃならぬしね。しかも
それが悪いと言うんです。
それが悪いと言ってるんです、そんな考え方が。
そんな苦しまぎれの答弁しちゃいかぬですよ。何がそんなにむずかしいことがあるのですか。たとえば、そうすると、校舎の中には入っておりますけれども、普通教室と特別教室と分ける根拠はどこにありますか。普通教室と特別教室と、何で分けるのですか。私は、それについてもおかしな話だと思っているのですよ。普通教室、特別教室というのは、分け方が何のために必要なのか。それはこれはもう私はからだで感じていることなんです。昔は、私らの話になると、大体昔の話になるが、十年一昔としてもずいぶん昔になる、何べんも昔といわなきゃならぬ。いわゆる読み書きそろばんといった時代は、普通教室で間に合ったですよ、皆さんのおっしゃる。どこにも動かんでもいいんだ、読み書きそろばん
いや質問のあれが……。あなた局長だからいわゆる屋体というものの中に——プールもわかった、それから屋体もわかったし、それからいまの屋外の運動場のこともわかった。そこで屋体というものにおよそ設備される、備えつけられたこれならば、たとえば中学なら中学であらゆる教材を全部とにかくこなせるような仕組みになっている、小学校なら小学校でやれる、こういうものが一体何%くらいあるのか、こういうことですよ。
高さも。
だからどのくらい体育館といわれるようなものがあるのかと聞いている。私はそういうのは昔のただ屋根がついているというだけなら、そんなものは屋体のうちに入らぬと、こう言うんだ。私はそういう考え方に立っている。それじゃ一体日本の子供の体位がますます衰える時期にますますだめになるばかりだと、こう言っている。
私は、やっぱりこういうのは調べる価値あると思うのですね。先ほどお話しのあった七四・幾らというのはこれは私もちゃんとあなたの説明を何べんも読みましたからわかっています。しかし二五・六%ですか、それをつくればこれで完備するという考え方にはなかなか立てない、というのは、行ってみればひどいのがあるわけですわね。それは広いだけで天井は低いし、バスケットも何もできはせぬというのもあれば、あるいはもう狭くてどうにもならない、いまのようにやる設備というものはほとんどないというのもある。そういうことからいって、やはり校長さんたちの気持ちの中にやっぱりそういうことがあると思うのです。よい設備をつくって体育なんかでも十分さしてやりたいという気持ちもあるし
図工。それが特別教室ということになっているんですけれども、それだけは特別な部屋でやれば効果があると考え、社会科の場合は必要がないのか、国語の場合はどうかというようなこともいろいろありますけれども、そうなりますと、これはひとつ大臣にお考え願いたいんですけれども、私はやっぱりびっくりしているのは、二、三年前から小学校の中に教科担任制とまではいかぬけれども、そういうようなものを持ち込んでいる学校があるんですよ。これは、研究心のきわめて旺盛な、元気のある校長さんが非常に——それで労力はたいへんなことなんです。校長も教頭もみな何かやらんければならぬような仕組みになるんですわ。それは一年生から全部ということじゃないですよ。たとえば小学校の上学年
初中局長さん、私は小学校の教科担任制というのはいいという話を聞きました。しかし、私はそれをなるほどいいなというようなところまで見ていたわけじゃないですからね、たまたま話を聞いてあれしたのですけれども、わかるところはただ何でも教えられないということだけはよくわかるのです。ある程度そういうことを加味するということになると、たとえば数学のようなものでも、これはやっぱりたんのうな人が五年、六年になったらやってやるというようなことだと思うのです。いままで専科制の中に入れられておったようなものならばあれですけれども、理科とかいろんなものをとにかく教師を総動員してそうして最も効率的に小学校でもやらなければうまくないとこういうのです。だから、私はそ
その担任というものは、どんな教科担任制をとったところで、担任というのは要るわけですから、担任のない教員というのは——別に、全然担任しない教員というのもありますけれども、必ず担任というのはあるわけです。担任をやらないと、ほんとうに教育のおもしろ味というのはないと言ってもよろしいです、非常に減殺されます、これは経験から言えばそうですね。だから、担任というのはなくなっちゃいかぬと思うのです。しかし、やっぱり子供だっていい授業というのはそれはうれしいですからね。技術的な、たとえば体育ならば優秀な技術を持った先生の体育の時間は尊敬もし、自分もそういうふうになってみようという努力も子供心に起ってくるわけですから、だから、それは私はあまり固く考え
何でも、中学の生徒で非常に高く、二メーターぐらい飛んだのがいるんだったかな。そうすると、これは課外かなんか知らぬけれども、やっぱり全然指導していけないということでもないような気がするんです。しかし、あれは落ちるときはなかなか危険だと私は思いますしね。だから、水泳なんというのはもっと小さいときからやっているようだし、それからいろいろありますからね。全部が全部どの学校でもということはありませんけれども、指導力の問題もあって、やるということになれば私はいろいろな意味で文部省というのは指導についての適切なやはり研究があっていいと思うんです。 次にお尋ねいたしたいのは、学校の用地の問題ですけれども、これの取得の問題ですが、これは、いま大都
岩手県の校長さんのあれの中に、校地、運動場について一人当たり面積をこれだけほしいというのが書いてあります、この中に。これはというと、校地七十平方メーター、それから運動場三十平方メーター、校舎床面積十平方メーターということが書いてありますよ。これは、大体あれですか、いまの基準と比較してどうですか。
私は、ここにやっぱりいなかの子供と都会の子供の健康の度合いというのがよくあらわれていると思うのです。やっぱり何はなくてもというような、あんまりいろいろな設備はなくても、屋外の運動場に出れば思い切り走れる、それから校舎だって数が少なければかなり自由に行動できるというようなことで、やっぱりじょうぶな子供ができると思うのですね。だから東京の場合、大都市の場合というのは、もう相当基準をはっきりさせて、最低のあれを維持しないというと、それこそソ連の話じゃないけれども、文明の進歩とともに、ソ連のあの広大な土地の中にいても将来が案ぜられるというのだったら、日本なんか全くこれ案ぜられっぱなしだと、私は思うのですが、そういう意味でひとつ御検討いただき
というと、国との間に当然国が半分持ってやるということのためには、結局あれでしょう、利害というか、その関係が明らかにならないと金出せないわけでしょう。金を出すとか出さぬとかの判断のもとになるんじゃないですか、基準になるんじゃないですか、こういうものは。それが教育の場合には、どうしても私は納得がいかぬという気持ちがあるんです。おかしいですか。
いや、どちらでもけっこうというんじゃない。それは国にもっと見てもらいたいという願望が強いわけでしょう。もちろんこれは税というものに対する地方の配分の問題とか国にいく分とかというようなことをいろいろ、そういえばそういう言い方もあるけれども、それは抜きにして、教育という問題になった場合、もちろんあれですけれども、利害というような考え方に立てるかどうかということは、私はふしぎなんだね。それに私は、このごろやっぱり過疎地帯に特に多いんだけれども、そこで成長して、そこで教育を受けた者を郷土にとどまるというようなことについて非常に強い勧誘があったり、あるいはよそへ出ていく者は、わがふるさとを捨てていったような見方をするんでないかと思うほど、町村
まあ、わからぬわけでもないけれども、教育に関してやっぱり私は地方自治体というのは確かにそこに住んで税金を納めているかもしらぬ。その子供だから、地方自治体はある程度責任を持たなければならぬという考えもあるだろうし、それからまた地方自治体においても、もちろんできるだけの力を出して、いい教育条件をつくって住民を喜ばしてやろうというそういう意図だって、やはり首脳者は持っている。そういうことを私は悪いとは言わないのだけれども、何といっても日本の国に住んでいる限り、住んでいる土地の経済力の関係で非常に格差のある教育を受けるというようなことは、やっぱりこれはまずいと思う。だからその点に対しては、やはり国というもので考えたほうがいいのではないかと、
フランスの話をすると、フランスの悪口になるという意味じゃないが、やっぱりあそこにはフランス革命やったような非常に新しいところがありながら、非常に古い一面を持っているということは、これはありますね。あるフランスの青年が日本にあるフランス系のある企業に就職をして、在学中でしょうかな、見習いみたいな、何か実習みたいなようなことで来たのに私は会ったことがあります。そのときやっぱり話が教育の話になりましてね、フランスというのは、一体経済上の理由で上級学校へ進学できないということはあるかと聞いたら、制度的にはやっぱりそんなこと全然ないというのですね。金がなくても必ず上級学校へ行ける。何か日本でいえば昔の高等商業のような学校だと言っていましたね、