やっぱりね、あれでしょう。何のかんの言ったところで、教育勅語と大日本帝国憲法というものが確立して、いわゆる天皇の教育というものが出てきた。その日本の教育というものは何であったか。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」というそこの結びのところにくるように、日本の教育というものは、そういう富国強兵の真意はそこにあった。その日本の教育というようなものがひとつの破綻を来たす時期がきた。それを一体どう受けとめて今度いくかという問題から新しい教育に入ったわけでしょう。その新しい教育というものをどう一体文部大臣は受けとめているのかということです。それをなぜ私は聞くかというと、戦後の教育論争、いわゆる教員組合、教育現場の人間たちとそれから政府との間の争いと
