知らなかったという表現は誤りかもしれません。忘れていたということかもしれません。御質問があって、そのときに担当官の方から聞いてそういった御答弁を申し上げていたというふうに思います。
知らなかったという表現は誤りかもしれません。忘れていたということかもしれません。御質問があって、そのときに担当官の方から聞いてそういった御答弁を申し上げていたというふうに思います。
こういった問題につきましては、通常、検査に入ったときによく見るわけでございます。したがって、今度の再建策の後の金融の検査の際に、かなり綿密にそこは検査官の方でごらんになったというふうに思います。
先ほどから御説明をしておりまして繰り返しになって恐縮でございますが、再建策を発表いたしましたときに、関係者、公認会計士も全部入れまして再建策をつくって、債務超過ではないという判定をして、それで進めているわけでございます。 したがいまして、その業務停止命令をかける事態では全くございませんし、むしろその再建策をいかに成功させるか、それがまた金融システムに大変大切なことだという認識だったというふうに思っております。
確かに、先生が御指摘になりましたように、今のようなセーフティーネットをかなり前に整備していればいろいろな危機が避けられたという議論は、それはあり得ると思います。 ただ、私もずっと経験させていただいた大きな流れの中で、大きな金融機関の破綻が起きて、そのいろいろなセーフティーネットを国会での御議論をいただき、法的な整備もしていただき、また公的な資金というものも御用意いただいたということで、大急ぎでつくり上げていただいたということでございますけれども、当時としてはまだ金融機関も余裕があるという状況で、お互いに助け合うことによって何とかいくというような時代が大分長く続いたと思います。 先ほど御質問の中でも申し上げましたように、金融三
大変難しい質問だとは思いますが、私の理解するところでお許しいただきたいと思います。 確かに、早期是正措置が入る前まで、したがいまして十年の三月までは検査では分類はきっちり見ておりました。これは、リスク管理をきちっとして、どうリスクを認識し管理するかということは銀行の経営にとっては非常に大切なものでございますので、リスクはあってはいけないというわけじゃありません、リスクに見合った収益、リターンがあればいいわけですが、そういった内部管理をきちっとやりなさいという趣旨があったと考えております。 そのことと引き当てをどうするかというのは、先ほど百のうち五十云々というお話をくどくど申し上げましたけれども、これはちょっと別で、引き当ては
奉加帳とかいう非難を大分私ども受けましたけれども、増資をお願いした先は、しばしば申し上げますように、大株主の銀行、それからやはり金融債を出している、金融債の信認を落としちゃいけないと思っているような銀行、それから劣後ローンを既に供与して、それがもし破綻したらだめになるという保険会社というものに限られております。 奉加帳というものの定義は私よくわかりません。関係ない人まで集めるというのが奉加帳というのであれば、それは奉加帳ではないと思いますが、ただ先生がおっしゃっているのはそういうことではなくて、そういう手法がどうかということでございます。 当時のセーフティーネットが十分でない時代に、どうしてもその道しかなかったということでご
佐藤先生のおっしゃった背景にある御印象は、恐らく分類の話と引き当てというものが別々だったというところの、そのつながりがなかったからということでそういう御印象を受けておられると思います。 外部の者だから関係ないということではなくて、外部の専門家であるからチェックがきくという、これは企業会計原則というきっちりしたものがありますから、そこでごらんいただくということでやっておった。しかし、先ほどの入澤先生の御質問がありましたときにお答えしましたように、早期是正措置が入りましてからは、今度は検査と行政が非常にリンクをするということで、今、先生がおっしゃったような御印象を受けない行政にこれからなっていくというふうに思うわけでございます。
銀行検査は資産の査定だけをやっているわけではありません。それは、適切な運営がなされているかと。例えば、法令遵守がきちっとなされているかどうか、それからこういった信用リスクの管理がなされているかどうか、あるいはマーケットリスクの管理がなされているかどうか、それから意思の疎通を十分図っているかどうか、そういったことをやるわけです。 銀行行政の目的は何であったかと。それは、銀行個別個別を助けることではありません。これは、システムをいかにして守るかということでございますので、検査を使ってシステムをいかに守るかということが目的であったわけです。それは今も変わりません。
お答え申し上げます。 いろいろな数字がございますけれども、結果的に、債務超過ではないという認定のもとに再建策もつくられておるわけでございます。 それはまず、四月に経営再建策をつくる前に公認会計士が全部引き当て、償却すべきものをチェックした上で、それでも資本金が約一千億残るということで、それを基準に数字がつくられ、再建策がつくられたわけでございます。その後、確かに七千、五千五百から七千とかいう数字の変遷はございますけれども、それも公認会計士が一応目を通しておった債権のものでございます。 あくまで分類と、償却、引き当てというのは別の概念でございまして、償却、引き当ては公認会計士がやるというルールになっておりました。公認会計士
一兆一千億という数字を、示達の附属資料であります検査報告書に書いてございます。これを知りましたのは、ちょうど示達の決裁をするときでございますので、九月の上旬だと私は記憶しております。 それから、注書きがあるという御指摘でございます。これは確かにあります。私、ちょっと正確ではございませんが、うろ覚えになりますが、一兆一千二百幾らという数字と、それから六千幾ら、七千弱だったと思いますが、数字が括弧書きで書いてあったと思います。その差は、関連会社であって、日債銀が支援を続ける意思があって、その意思に反して倒産する危険のないものとか懸念のないものとか、そういった文章になっておりました。そういうことが書いてございます。
十年の三月時点で債務超過でないという認識を持っておりました理由を申し上げますと、示達があったのは前年の九月でございます。その九月の示達の結果を踏まえた上で、中間期、つまり九月期決算が組まれております。これは公認会計士が全部チェックして、中間決算が組まれております。たしか、私の理解では、資本勘定が四千億ぐらいになっていたと思います。したがって、九月の中間期において、公認会計士が判こを押されておりますが、これは債務超過にはもちろんなっておりません。 その後、じゃ三月まで、あるいはその時点までに大きな変化があり得ただろうかというところがもう一つのポイントだと思いますが、そういった四千億強の自己資本を全部毀損するような大きな事象はなかっ
お答え申し上げます。 当時の背景でございますが、もしそのまま破綻の状態に立ち至るまで放置しておったと仮にいたしますと、まず、先ほど出ました金融債の問題が重大な問題としてありました。そのほかに、もっと私が重大だと考えましたのは、受け皿銀行がないということなんです。これは十五兆規模の銀行でございます。受け皿銀行がありますと、そこに金融三法で、附則でもって資金を注入して全部保護ということが可能ですが、受け皿銀行がないと、その破綻銀行にそのまま入れるというわけにはいきません。そうすると、どういうことが起きるかといいますと、一番激しく起きますのは、インターバンク取引がまず壊滅状態になると思います。銀行間の貸し借りがだめになると思います。そ
お答え申し上げます。 五月時点で、私の知るところでは、各出資要請先の銀行等から早く教えてくれと、検査の状況はどうなんだということをかなり激しく聞かれたというふうに聞いております。銀行としても、それは検査が終わるまで待てればそれはそれでよかったと思いますが、そのときにお答えをどうしてもしないとこのスキームが成り立たないという気持ちが強かったようでございます。そこで、私どもが回らせたということではありません、銀行が検査を受けているときにつかんでいる数字、これを積み上げまして、七千という数字で各行に説明に回られたということでございます。 それで、それに関していろいろお問い合わせが、現にいろいろ各レベルであったようでございます。その
出資先銀行の事情については、私はよく詳しくは存じません。恐らくそういったこともあったと思います。 それから、七千億で日債銀がいろいろ説明に回っていたということでございますが、それは、日債銀が検査を受けております。非常に細かい資料まで積み上げて数字をつくったものでございますので、それをあえて否定する材料もこちらもございません。検査部に聞きましても、検査はまだ途中でございますので、これだという数字を持ち合わせてもおりませんので、そういうことはなかったと思います。
検査でいろいろ注書きがあるというようなことはあるようでございます。具体的に、どのケースがそうだったかということは、私は覚えておりません。
このうち、相手方から要求のあったものでございますので、全部ではもちろんありません。私は、どれとどれかはよく覚えておりません。全部ではありません。このうちの数社だと思います。
私の記憶でございますので、私自身の名前のものはございません。 それで、今おっしゃったような名前の人の場合は、応接に当たった人が出しておりますので、そういった人もあるかもしれません。今はっきりと、だれがどう出したかというのは、私はよく覚えておりません。
私は既に退官しておりますので、その点につきましては、ちょっと御答弁は差し控えさせていただきたいと思います。
九七年三月は、たしか四千六百幾らだったと思います。
四千六、七百と申し上げましたけれども、それに五千五百という数字もおっしゃいましたが、その違いは、私の記憶では、整理しましたノンバンク三社のいわゆる残債部分の数字だと思います。したがって、当時から認識として、五千五百という数字も間違いではないと思います。それを入れると、四千七百にそれが乗りまして五千五百ということ。だから五千五百が一兆一千になった、こういうことだろうというふうに思っております。