その前に、今度のやつの前に、文部省の中にあった各審議会を組織令の方に回したときありましたね。しかし、そのときには中教審だけが置かれた。その中教審だけなぜ残ったか、その理由はどうですか。
その前に、今度のやつの前に、文部省の中にあった各審議会を組織令の方に回したときありましたね。しかし、そのときには中教審だけが置かれた。その中教審だけなぜ残ったか、その理由はどうですか。
それより前です、もっと前。
昭和五十何年かだ、設置法の改正が、そのときにほかの審議会全部取られて、中教審だけ残ったんです。
それを今日は言おうと思って来たんです、中教審はいかに重たいかということを。それは、中教審の委員は内閣の承認が要ったんです。今度は違うでしょう。中教審の委員というのは内閣の承認を得るぐらい重たかったんです。実はこれは、今はだれが見ても中教審、格下げになったとしか思わないんですよ。なぜそんなことしたんだろうかと私は不思議で仕方ない。 これは、中教審が作られたときの経緯で、国会の論議も読んでいろいろ、私、これ議事録取って読んでみたんですよ。中教審生まれるまでの経過はいろいろあったんです。中教審作ることに対してもいろんな議論があったんです。それを何とか中教審を作ることによって、ここで不偏不党の、そしてどっちかといったらその当時、左がかっ
是非ひとつ頑張っていただきたいんですが、ただ私が先ほど言ったのは、歴代の文部大臣がサボっていたというんじゃないので、国の位置付けが、内閣の位置付けが正直言ってちょっと戦後金もうけに走り過ぎちゃって、日本の国が、位置付けが悪かったということを指摘したので。 要するに、なぜ私がこんなことを文部省に対して言うかといったら、私が今までの人生の中で尊敬する、私よりも二つ上ですけれども、かつての文部事務次官をしておった佐野さんという人がおるんですよ。本当に一生懸命になって戦後貧しい中でのこの国のために頑張った、その姿が思い浮かばれるものだから。そのときに様々ないろんな折衝あったですよ、各大臣とのね。しかし、本気になってやられた。それを、今は
今日はどうも三先生とも、大変お忙しい中、ありがとうございました。 私は無所属の会でございまして、現在、政党に所属しておりませんが、国会改革連絡会という会派を作っておりまして、その代表という格好で質問させていただきます。 私は、実は旧制の学校教育を終えた者なものですから、昭和二年生まれでございまして、ですから今度の大学問題等をずっと見ておりまして、私どもが思っておる昔の大学のイメージからいくと、何かちょっといろんな言葉が出てきて戸惑いを感ずるわけです。 なぜ大学に専門職大学院なんて名前を付けるんだろうかというような気もしたんですけれども、先生方のお話を承っておりまして、大学というものがもっと自由に、一遍卒業した者がまた帰っ
どうもありがとうございました。
もう先ほど法科大学院のことでいろいろと考え方申し上げましたので、ひとつ今後大学改革の中でそういうものも十分に加えて、そして今から法律が通ったらいよいよ政省令、規則等になるわけですから、その辺の段階で十分に考慮していただきますよう希望いたしまして、終わります。
大分お疲れかと思いますが、もうしばらくお願いします。 提案理由の説明等も聞きましたし、また、いただいた資料の中にもいろいろとその意義付けが書いてあるわけですけれども。私、率直に思うのは、一般国民の中に国会で論議するその論議が十分に伝わっていくかどうかと、それが非常に心配なわけですね。 というのは、例えば私どもは旧制の教育を受けてきている人間ですから、そうすると、大学で法学部というのはこれはほかの学部と違って、例えば工学部なんというのは昔は高等専門学校がありました。高等工業とかあるいは工業専門学校とか。同じように商業も、例えば高等商業があった。ただ、法学部だけはそういう専門学校がなかったんですね。ちょっと振り返ってみますと、明
かなり具体的に御説明いただいたんですけれども、この法律案要綱等をずっと見ていきますと、「法曹の養成は、国の規制の撤廃又は緩和の一層の進展その他の内外の社会経済情勢の変化に伴い、」と、こういうふうなものが初めに付いて、そして、だから今までじゃなしに今度はと、こういうふうな格好になってきていると。 実は、去年の九月十一日に、例のアメリカ、今ゼロタイムとか何か言っているらしいんだけれども、仲道理事も私も一緒に十日の晩にワシントンに着いて、翌日の朝、たしかワシントン司法省だったと思うんですけれども、そこへ行ったときに、例のペンタゴンに対する爆撃があって──爆撃じゃない、突っ込みがあって、それで、それから二、三時間したらアメリカの司法省の
本当に、是非ひとつ勉強しなければ駄目よというのがまず法科大学院で模範を示すということをお願いしたいと思うんですが。 ただ、私、実は裁判官訴追委員会なんかも一、二回出て、そのときに思ったんだけれども、裁判官というのは本当にその人の判決によって長い間刑務所に入れられる、あるいは死刑を宣告されるというようなこともあるぐらい大変な人ですね。また、検察官というのは犯罪を犯した者に対してやっぱり厳しく追及する。しかし、その中で、例えば情状によって執行猶予というふうな問題まで判断する、そういうことをしなきゃいけない立場でしょうし、弁護士というのはそれまたそれで大変な役割があると思うんですが。私にとっては非常に印象的だったのは、戦争が負けて、そ
そういうことは、今から各大学が考える中でそういうものを当然期待しているということで承ってよろしいですね。 それから次に、これもちょっと気になるのは、我が国は裁判で争うというのは割合、日本人の気持ちになじまないというような長いあれがありまして、私の実は中学の同級生が今、東京で弁護士をやっておりますし、二年ほど先輩の人が第二弁護士会の会長もしたりして、若干知り合いもおるんですけれども、そうすると、いろいろ話をしていると、弁護士の仕事のかなりの部分が和解だと、裁判で決着付けるより。そうかと思うと、例えば刑事裁判の場合は、これはもう勝たなきゃいけませんから大変な取組するんだというふうな話を聞いているんですけれども。 しかし、いずれに
それでは最後に、文部科学大臣の方にお聞きしておきたいんですけれども、先ほどお話ししたように、法学部ですね、大学の、これはやっぱり今のままではいかぬような気がしてならないんだけれども、大学改革の中で、法学部の中での大学院の位置付け、これについてはどういうふうなお考えか、ちょっと承って、終わりたいと思いますが。
どうもありがとうございました。
午前中からいろいろと私がお聞きしたいというようなことも含めて各委員の皆さんから御質問がございまして、なるべく重複しないように質問したいと思うんですが。 やっぱり大学はこのままでいいと思っている人は大学人も含めていないだろうと思うんですね。何かやっぱりもっときちんとしていきたいと。それはいいんですが、今度の法案の中でやっぱり大学の自己評価並びに第三者認証評価というのが出てきて、これに対する関心が非常に大学人の中でも高いと。私立大学も含めて、各大学がそれぞれ自己評価についてのいろんな作業を今一生懸命やっている。昨日も、実はこれでもうきりきり舞いして、ちょっと研究する時間がないぐらいで困っているというような話も聞いたんですけれども。
今のおっしゃるような趣旨のことが、やっぱり具体的にそれぞれの大学の特色なり、あるいは置かれている条件の違いなりということも含めて、かなりいろんなことを配慮しながら第三者評価というものはやれるんですよということが十分に伝わっていないような気がするんですよ、私は。 ですから、そこのところが、やっぱりこうなるんですというところを更に細かく政府としては説明してもらう必要があるのじゃないかと、こう思いますし、したがってそれは当然、この法律を施行していく段階での施行細則あるいは実施要領というか、様々な中で当然取り組まれて、それでそれをするについてはまた各大学の意見も聞きながらおやりになると、こういうふうに受け止めてよろしいか。
ひとつ是非、今、局長が答弁された形に基づいて、事務的にもひとつ遺漏なくやっていただきたいと、こう思っております。 そこで、実は私は、どうも旧制度の教育を受けた者なものだからそういうふうに思うかもしれないんですけれども、専門職大学院、現在ある専門大学院あるいは一般の大学院と、こういうふうに言うんですが、私どもの時代には、大学というのは象牙の塔と言ってもいいぐらい、これは大変な教養というか、あるいは正に思想、哲学、そういうようなものまで含めて、芸術、文学含めて、いろんなものを勉強する場所であると。真理を追求する、あるいは学問を究めるというふうなそういう大学だというものがあって、と同時に並行して、例えば高等工業学校とか高等商業学校とか
ですから、何か、今、ロースクールだったら法務博士となるわけですね。法学博士というのは、従来のままのものは置くわけですか。それは、その下に、ロースクールを出た人は法務博士をもらって、また法学博士をもらうんですか。その辺はどういうふうな関係になりますか。
大体、少しそこら辺で分かったような気がするんですが、ただ、アメリカやフランスの例でいくと、博士号の問題も、ドクターの称号を持つ学位、哲学博士が最高位の学問学位であると。これは文部省からもらった資料、調査室だったかな、に出ているんですが、哲学博士というのはそれは日本の国ではどういう場合に授与されておりますか、ありますか、これに相当するやつが。
いわゆる我が国における状況ということについての問題点、いろいろあると思うんですけれども、何と言ったらいいんでしょうか、要するに専門職大学院というのを作ったと。それが高度の職業人というか、専門的な職業人の養成というふうな形が強くなっていくと。そうじゃなしに、大学の目的というのは必ずしも職業人の養成ばかりじゃない。そういうふうな事柄との、誤解が生まれる危険性を私は感ずるものですから、何か同じ、例えば大学でも本当はもっとそういう自由に人間としての勉強をしたいという人は、駄目になると言ったらおかしいけれども余り大切にされないような、そんなことになったら大変なんで、これを作るに当たって、ですから、大学のそういう全体像というか、例えば高等学校の