十五歳、つまり中学卒業の年を超えてしまった場合に、学校に来れますか。
十五歳、つまり中学卒業の年を超えてしまった場合に、学校に来れますか。
高等学校には大検という制度がありますね、大学を受験するために必要な大検制度。それには一定の単位を履修して、高校卒の資格も取って、受験の資格が出てきますね。中学生の場合も、このような状態でこれだけ不登校児が拡大するということになってくると、そういう子供たちの中学の卒業について評価し得る制度の問題というのを改めて検討しなければならぬと思うのですが、昭和四十一年七月一日に文部省令第三十六号というのが出ていまして、就学義務猶予免除者の卒業程度認定規則というのがありますね。だとすると、高校の場合にはそういう制度があるとすれば、中学の場合でも、今からは後の議論をしないとね。帰ってくる議論ばかりですが、帰ってこれない子供が不登校なのですから。だか
よろしいです。私もそう思います。 さてそれなら、学校というところは、まず国レベル、学校レベルで、物を決定するのは皆学校で、子供は決定される被決定的位置に置かれていると私は見ています。そこで、学習指導要領をちょっと見ます。僕は学習指導要領の原文をコピーして持ってきましたが、ひとつ見てみましょうか。 まず、学習指導要領を見ますと、ここに表がありますね。中学校、小学校の表があるでしょう。学習指導要領の一ページ目、そこの一ページ目です。僕はそれは持ってこなかった、重たいからコピーしてきました。小学校の標準時間数を定めた表がありますね、中学の標準時間数を定めた表がありますね。さあ、この表でちょっとやりとりをしましょう。 さてここで
それは困るんだな。文部大臣、今学校五日制というのは、将来週休二日制にするんですよ。そして先進国並みの七百から八百時間に学校の標準時間を持っていかなきゃならない。日本は明治以来一千時間を超える時間を小学校の上学年と中学で囲ってきたわけ、学校で。それが日本の教育水準を上げたとか、いろいろな意味のメリットがないと言っているんじゃないのです。その延長線上でもはや現代は論じられない。大人だって週休二日制と言っているでしょう。私は学校五日制というのは子供の週休二日制だと思うのです。子供の週休二日制なんです。先生が休むから子供が休むのじゃないのですよ。長い間学校に閉じ込んで、子供を生徒化したり児童化することには限界があるよ、現代は。余暇が必要な時
やはりこれは国の基準なんですよ。大綱ではあっても、国の基準なんです。だから全国がこれで画一的な時間割り編成が現実に行われているのです。それをやらないとかっては大変問題になった。処分された先生すらいるのですから。ここにいた中西績介委員なんというのは典型的にそうですからね。決められた枠の中で学校の隅々までこれをやっておるわけ。 そこで、音楽が七十時間というのは、世界の趨勢に合っていますか、どう思いますか。初中局長、文部大臣、お二人、それぞれ意見を聞かせてください。
明治以降の粋なんですよ、これは。大臣もことしは明治以来百何十年とか言いましたけれども、途中大事なのが抜けているんですよ。明治から一直線に物を考えてはだめなのよ、戦後は変わっちゃっているのですから。 まあそれは別としまして、ユネスコの中に国際音楽評議会というのがあるのを御存じですか。これは文化庁になるのかな。それで、これには我が国にも国民音楽会議というものができておのまして、ここの国際会長は日本の人が会長です、国際的な活動の。これがもう大変な運動を国際的に行わしているのは、最近の世界情勢が変化してくる中で平和な世界秩序というものを考えるときに、音楽文化を通じての国際交流というのがわき上がってきたわけよ。それで、このユネスコの傘下の
学校五日制で、前の鳩山文部大臣に調査の結果を私申し入れをいたしましたが、こういうタイプの調査をしたのです。農村型の学校、それで割と指定校として動いているところ、それから中都市でかなり文化の古い町、それから人口急増地帯で大阪近辺のようなところの学校の周辺で、学校五日制がそれぞれどんな反応をしておるかということを我がシャドーキャビネットが調査をいたしました。どんな特徴が出たかいったら、共通した傾向は、音楽、図工、学校行事にしわ寄せがきているということです、共通しているのは。土曜日の時間を削ってどうするかという話になれば、もうへずるのはみんな音楽、図工、学校行事なんです。やはり理科、国語、もう今偏差値の問題で大変な競争の中におりますから、
要するに、八九年三月の学習指導要領と、それから九一年のこの中教審答申を見れば、これは高等学校ですが、後期中等教育に力点が置かれていますよね。しかし、その前段はやはり日本の教育のメカニズム、教育をめぐる病巣のメカニズムというか、教育が非常に難しい状態になっているその仕組み、日本的な仕組みというものを総論的に位置づけている。これは、僕はこの考え方を必ずしもとらぬけれども、意見の相違はあると思うけれども、その上に立って、やはり後期中等教育の現状に力点を置いて、後期中等教育に焦点が合わされて、それでそれを生涯学習でくくってありますからね。だから、それなりに今までの、学習指導要領が出る前の時期に比べてこの十四期の中教審答申というのは、変化に対
非常に改革、改革と言うとる割には保守的ですな。時代の変化を先取りして対応しようということを、中教審答申と前の学習指導要領は同じだと言いますけれども、こっちはもっと進んでいますよ、十四期の中教審答申をよく読んでみれば。これだけ日本の受験競争の問題を明確にし、画一化に対する改革を言い、僕は幾つか異論はありますよ、異論があるけれども、今まで文部省が言わなかったことを思い切り言っていますよ。だから、それ以前の学習指導要領の枠で時代に対応していくんだなんという話でごまかしていたのじゃ学校五日制なんというのは絶対にだめです。音楽や美術に必ずしわ寄せが来ますよ。学校行事に必ずしわ寄せが来ますよ。そんな状態が今累積していくのですよ。だから、もっと深
そこがだめなんですよ。僕が言っているのは、子供は、すくすくと成長していくプロセスで学校によって教育が行われ、体育をやったりいろいろやって子供は変化し成長していくわけで、子供が主体で成長していくんですよ。そのときに学校では、小学校は学齢児童と言って、それで中学ではわざわざ読みかえて生徒と言い、高等学校はまた生徒と言う。児童生徒というのは学校から見た子供観なんです。人間の本来のある姿じゃないんです。今大事なことは、自然の中に人間と自然が共存する。人間だって自然の一部なんです。そこには競争があり、そういう中にある一部の人間が育っていく際に学校がどのようにかかわるかというふうに考えなければいかぬ。そのときに、今学校教育法では、片一方は児童と
私は、教育じゃないけれども、森林というのは非常に重要だと思うから、僕は国有林専門です。山博士です、僕は。それで、閣議了解したんですよ。かつての林野庁の国有財産の管理の仕方で累積が出て事業の経営ができないというときに、大蔵省やったんじゃないんですよ、立法府で我々が言って政策転換してもらった。文部大臣が閣議に行って必要な意見を述べるということはできますよ。これは外務省が決めることじゃないですよ。それは国際条約の問題だから所轄はといったって、事教育と密接な関係を持っているんですから。前の鳩山さんはいいと言ったのですよ。社会党さん、余り国内法の問題で責めないんならネーミングを素直にしましょうよと彼が言っていたんですよ。もう少しそれを継承発展
では、川崎市の決定、教育委員会の判断には文部省は慎重にせいというクレームをつけたということですか。
そこでまた、そこがやはり議論の対象なんですよ。きょうは時間が余りありませんが、これは改訂指導要録の全文です。これを見まして、僕は余り義務教育の方は今まで勉強したことないんだけれども、この指導要録がどこに法律あるのかなと思って調べたら、学校教育法の施行規則の十二条の三なんですね。これは項目なしだよね。だから、これは「指導要録」と項目をつけておかなければいけない、六法には。六法の中にはそう書いておかぬと、僕は探したらわかったけれども、ほかのところはみんな項目があるんですから、何か項目をつけた方がいいんじゃないかなというのがこれを見たときの感じですね。 これはやはり学校では校長がやることになっていますが、文部省の省令で、十二条の三で決
これはこっちの「所見」の項目と整理が足りなかったかもしれぬな。 ここに「指導上参考となる諸事項」というのがありますね。「各教科の学習の記録」「観点別学習状況」というのがありますね。そして、そこには「評定」が入って、そして「所見」が入りますね。それから「活動の状況」と「行動の記録」が入りますね。そして「所見」がありますね。そして、後に「指導上参考となる諸事項」といっていろいろなものを挙げてありますが、「検査」というのがありますね。「知能、学力等について標準化された検査の結果については、妥当性、信頼性の高いものを正確に実施した場合、検査月日、検査の名称及び検査の結果を記入すること。なお、実施した検査の結果を必ずしもすべて記入する必要
僕はどうも小中学校の教育のプロセスは余り、素人なものだから、文章で勝手に判断してどこか錯誤があるかもしれません。僕の調査、お願いはそういう趣旨です。 じゃ、これとは離れて、業者テストで今私立高校の入学で問題になった、埼玉で問題になったあのタイプが国立の高校並びに中学でそういうものが提供されて利用されていないかどうか、偏差値問題について一定のデータを集めていないかというのをちょっと全国のを調査してみてください。なければないでいいけれども、僕はあると思う。それはいいですか、遠山局長。
何も調査、公表してわあわあ騒ぐ必要はないので、そういうことを言うだけで意味があるかもしれません。警告するだけ意味があるかもしれません。 さて、さっきの川崎市の開示の判断について文部省は慎重であるべしと言った。これを答申なさった方は、新聞によりますと、兼子仁さんですね。審議会のキャップ、審議会というのか個人情報保護審査会の会長兼子仁さんですな。法学全集で「教育法」を書いていらっしゃるあの先生だなと僕は思ったわけですが、この先生が「ひと」の欄で、今文部省が言われたことに関連してかどうかは知りませんが、関連していると思うけれども、こういう言い方をしています。僕はこの開示の文章を全部読んでみまして、開示する必要はないという理由書、意見が
しかし、この川崎市の申し立てというか開示を要求した人たちの中には、体罰問題で長い間学校を休んじゃったというさっきの不登校問題とかかわり合いのあるような事件もあります。欠席をどう扱うかということも問題になっています。それで、教育上の、今おっしゃるような教師と子供の間の関係にどういう影響をもたらすかという問題も出ておりますが、しかし、やはりこういう問題が出てきた背景というのは、さっきの不登校児のような現象が出てきていることと密接な関係があると思うのですね。また同時に、自分がどのように評価されたかということを知りたい。しかしわからない。来るのは学校の通信簿だけだ。通信簿は公になっているけれども、この指導要録は公にならない。そうすると、一種
そうでしょうか。つまり、子供の権利条約が出てくるまでには長い国際的な歴史があって、日本は確かに先進国の中では、子供白書で見れば非常に恵まれた構造だというのは数字に出ています。そのことは、子供を主体に置いて教育が行われているということとは別次元なのです。日本の高度成長というのは世界にないタイプなのですよ。一九七〇年代からわずか二十年ぐらいの間に物すごい経済成長ですよ。これは世界にない経験なのです。この世界にない経済成長は、日本を一定に豊かにさせるという意味での役割を果たしたことは承認しながらも、世界史にない短期の大急成長だから、そこには物すごい人間疎外が起きている。その勢いで自然破壊が行われているのです。つまり、日本の置かれている条件
何も言ってないということです。慎重に対処する、何も言ってないということです。手続がこうしなければいかぬとか、現在在籍中の小学校の子供については待った方がいいとか、一定の手続や条件というものを判断していい悪いという議論をするならわかるが、慎重に判断して、何を慎重に判断するのかさっばりわからぬ。官僚答弁だ、そういうのは。まあいいや。 もう時間がなくなった。あと一つだけ。高等教育、せっかくだから。いずれまた、高等教育も法案が出ていますから、そのときにやりますので、一つだけお聞きします。 大学設置基準の第二条に「自己評価等」というのが入ったのはおととしになるんですね。このときに、第二条に自己評価が入り、第十九条に「教育課程の編成方針
そうすると、これは執筆者やみんな討議をやって、研究会もみんな報告が載っていますから、大学の自主的な機関としてつくられているものですね、参加しているものもあれば、参加してないものもある。そうすると、これが手引になって、各大学はこれでいろいろな項目を考えている、教育課程とかなんとか。特にここで言う、第何条がな、教育課程がころっと変わって、教養部がなくなるんですから、各大学、四年制をどうするかといって全国的に大騒動をやっていますね。こういう中で一定の判断を下すことになるんだが、自己評価をやったり教育課程を柔軟化していくのは大学が自主的なんだけれども、一つの手引書に基づいてみんながそれぞれの個性を出そうとして仮にやっているとして、この中では