出しました。
出しました。
内規は別にないと思います。しかし当然職務に関して何したことは上司に報告しなければ、上司が監督指揮することができないと思います。
そうであります。報告書の提出を求める前に、署長、局長にも伺いましたところ、それは出してもらつた方がよいというような話がありましたから、そういうふうにしたのであります。
私はそのことについて署長に伺いましたところ、署長からそれは出してもらいたいという命令がありました。
そうであります。
それは出しておりません。
報告書を出すのは私はいやだということでありました。それじや一應どういうことであるか、書類を出すのがいやだつたら、口頭で報告してもさしつかえないというように話しましたが、口頭でも私はいやだと言つて拒否しておりました。ですからそのままであります。
それは法務委員会における証言が偽証であるとは言いませんでした。しかし翌日の新聞に、日本タイヤー事件が戸塚署から騒がれて手をつけた。そういうことが榊の証言として載つておりましたが、そういう新聞に出ておる事実の通り君が言つたとすれば、君の言うことは間違つておるじやないか、そういうことは何の根拠によつて君が言つたのかということは、私言いました。それから後藤つぎ氏からしばしば電話がかかつて來るということは、もちろん一回くらいは私が係長へ行つてからあつたと思いますが、しばしばはなかつたのであります。そういうことをどうして君は証言できるのだと、新聞に出ておることについて私は言つたのであつて、國会において証言したことが云々ということは言つておりま
榊君は今までそうした社会における秩序の破壞と混乱を招くようなことを、常にないように事実を捏造して言つておることがあります。ですからそれは私には信じられません。
先ほど委員長から、そういう欠勤や惰勤の状態が続いて、なぜ処罰をしなかつたかというおとがめを受けておりますが、私は自分の弟のつもりで、今までできるならば私がかわつて処分を受けても善導してやりたいと思つて、今日まで努力して参りました。從つて欠勤、惰勤等を数回にわたつてやりましたが、私はこういう事実がありましたが、これはひとつお許し願いたいということを署長にお願いしました。ですから、私は榊君から反感や恨みを持つて言われるようなことはないと思います。
ないと思います。
私は翌日の新聞には、そういうような係長が戸塚から騒がれて事件をやつたということが出ておりましたから、これは警察の威信にかかわる。事件が遅れた理由というのは、前会にも申し上げた通り相当な理由と証人があつて、そのために遅れたのにもかかわらず、戸塚から騒がれて事件を初めたということが出ておりましたから、私はその点について一應本人を責めたことがあります。
しかし何らかの根拠がなければ、新聞には発表されないと思います。
そういう方針ではありません。私も間違つた命令に対しては、意見を具申しております。
私は私生活以外で公務に関することは、そこの署に帰属して、上司の監督を受ける以上、やはり一應報告すべきものと解釈しておりました。
本日もお見えになつておられる傍聽の方々が、当日もおられましたから、これは公表されてもさしつかえないものであると、私は解釈いたしました。
一般の方々が傍聽されているから、私はそう考えましたが、もし私の考えが間違いであるとすれば、ただいまより訂正いたしたいと思います。
榊君は二十二年の九月に拜命いたしまして、二十三年一月六日警察学校を卒業して、二十三年七月一日に経済係の助勤として私が警察署へ入れました。そして最初庶務を担当しておりましたが、最初は非常にまじめでよくやつて、おりました。ところがだんだん仕事がなれるにつれまして、三月十八日から二十二日までの五日間無断で欠勤をいたしましたので、私どもの同僚の係員を、おかあさんがぐあいが惡いのだろうと思つて見舞にやらせながら、事情を尋ねましたが、何とも言つて参りませんでした。さらに三月三十日から三十一日の二日間、これも無断で欠勤いたしました。それからさらに四月の二十五日、五月の十三、十四。六月の二日、九日というふうに無断で休んでおります。これは電話の都合な
この報告がありましたのは、榊君が休んだあとだと思いますか、三月中……。
そうであります。