終わります。
終わります。
私は、両先輩がお尋ねしたような国の防衛の根幹にかかわることではありませんけれども、一地方に起こった自衛隊としてゆゆしき問題だと思考する問題がございますので、お尋ねをしたいと思います。 去る二月九日に、航空自衛隊浜松南基地に「陸軍爆撃隊発祥之地」という記念碑と、さらに「陸軍爆撃隊発祥由来記」という記念碑が建立されました。このことを防衛庁並びに防衛施設庁は御存じであるかどうか。きのう私は質問内容を通告いたしましたので、きのうの段階で知ったというのか、二月九日に除幕式が行なわれたということを当時の段階で知っていたのかどうか、御両所からお答えをいただきたいと思います。
施設庁長官がお見えでございませんので続けますけれども、これを建立しようとした主体は一体だれであったのか、長官御存じですか。
この九日の除幕式に皇族もしくは皇族に類する方々を招待したということになっておりますけれども、どなたを招待したか、明らかにしてください。
地方公共団体の代表にも案内を出していますけれども、どの範囲に案内を出し、地方公共団体の責任者としてだれが出席をしたか、教えてください。
当時新聞社には、これを招待という形でやったのか、あるいは通知というかっこうでやったのかは別として、連絡をした新聞社と全く連絡をしない新聞社があったが、どういう新聞社に連絡をし、どういう新聞社に連絡をしなかったか、お答えください。
この取材の報道を禁止をした疑いがあります。その証拠に、事前の多少の予告的な記事は一、二社に掲載をされました。しかし、九日に行なわれた除幕式の様子は全く新聞、テレビに報道をされていない。これは記事の差しとめを強く要求をされたということになっておりますけれども、その辺はいかがでございますか。
以上、私は若干の経緯をお尋ねいたしましたけれども、私の認識とほぼ一致をいたしている実情把握をされておりますが、私がここで問題にしたいのは、まず第一はその碑文であります。いろいろ書いてありますけれども、たとえば、「支那事変の進展につれ、時恰も待望の九七式重軽爆撃機の量産態勢も整い、ノモンハン及び大陸戦線では戦場爆撃に勇戦し或は長躯奥地に進攻し敵戦闘機の迎撃を独力排除して戦略爆撃を敢行した。大東亜戦争の初動、難攻不落を豪語したシンガポールの要塞を形なきまでに爆砕して敵の根據地を奪い同時にパレンバン降下作戦に協力して赫々たる戦果を収め南は濠洲への追撃西はビルマ印度への進攻など縦横無蓋東亜の天地を制した、然るに、ガダルカナルに始つた敵の反攻
そうすると、これは寄付行為を受けて、そして防衛庁なり国の財産になるというように考えてよろしいか。
もし平和を愛する団体が、この航空自衛隊のたとえば南基地に終戦の詔勅の碑文を建てたい、浄財を集めて建立をする。あるいは憲法第九条を大書をした記念碑をつくってここに建てたいと申し入れれば、これを受けますか。
長官、そうおっしゃいますけれども、取材の報道人を制限したのも——いいですか、制限しているのですよ、制限している。大体このニュースソースがほとんど極秘のように私どものところへ渡ってきたのですよ。それを制限したのは発起人の団体じゃない。自衛隊南基地なんですよ。それから、私どもの調査にあたりて、最終的には調査に応じましたけれども、抵抗したのも基地なんですよ。建立した団体は別にそういうことをどうこう言っていないのです。PR好きの自衛隊が、事このことに関しては記事を差しとめているのですよ。民放が一分間にわたって放送したというようなことを言いますけれども、これはあえて放送したのですよ。NHKをはじめ三大紙も全くこれを報道していない。それは基地当
それは制限しましたというようなことを言うわけはないと思うのです。事実がそうだと言うのですよ、私は。事実がそうなんですよ。もし長官がおっしゃるように飛七の生存者の皆さんが発祥の地としてやはり記念にしたいというような気持ちだけでやったものならば、こういうことはないと思うのですよ。ひそかにこれを知って民主団体が調査をし、抗議をしたという経緯は、限られた報道人から、ニュースソースを極秘にしてやってくれ、うちの名前を出されちゃ困るという事実があるわけなんですから、私は、建立団体の意思でなくて、明らかにこれは、いま基地問題が非常にやかましくなっているときに、市民を刺激するというふうなことは避けたいという配慮から、南基地幹部のやった態度だと断定せ
特別のことでやったんではないと言いますけれども、この記念碑を建立するにあたって造園をやったんです。あそこはあえて造園しなくても記念碑などは幾つも建て得るような広場です。それに、かなりの費用を使ってやっぱりやっているわけなんです。私は、都合の悪いところは民間団体がやったんだ、都合のいいところになるとそれは環境整備のために——環境庁長官がいうようなことをおっしゃって、隊内を整備した。どう言っても逃げ口上だとしか思えない。この種のものに貴重な国民の血税を使うことは、私はまかりならぬと思っている。しかも、碑文の内容がそういう碑文だということになりますれば、しかも、ここは資料館の近くです。南基地はPRがうまいんですよ。それで遠足、ピクニック、
私は、撤去をしてほしいと、撤去しろという要求をしておるんですけれども、その撤去要求に対する簡潔な答弁をしてください。
私はやっぱり、長官いろいろ言いましたけれども、市民感情はこういうものを許していないんです。何がゆえにどういう資格で知事のところへ招待を出し、どういう形で市長が出席をせずに代理が出席をしたかというようなこと、いろいろあると思いますけれども、私のところなんかには何にも話がないわけです。それは基地反対をしている社会党の代議士に案内を出すわけがないじゃないかといえばそれっきりだ。だけれども、そう簡単に片づけてもらいたくない、非常に基本的な問題だということを最後にふえんをして、私のお尋ねを終わります。
私は総合交通計画と新幹線公害について伺いたいと思いますが、経済企画庁長官あるいは環境庁長官がお見えでございませんので、総合交通体系につきましてはまた後の機会に詳細は譲りますが、経済企画庁からお見えだと思いますけれども、一言だけ……。 経済企画庁は昭和四十四年いわゆる新全総をつくり、そしてまた、昨年の二月経済社会基本計画をおつくりになって、大体わが国の進む経済計画といいますか社会計画といいますか、そういうものを立案されました。これを読んでみると、閣議決定の際の六項目あげてある中に、これは臨機応変に運用するのだということで、だいぶ柔軟な態度が出ております。たとえばその六項を見ると、「本計画にかかげる政策体系を着実に実施し、国民福祉の
点検作業の結果、やはり抜本的に改定の必要があるという判断に立った場合には改定をする、そうでない場合には、この六項目ほど載っておりますけれども、あの線でやっていく、こういうように受け取ってよろしいと思います。 そこで運輸大臣に伺いますけれども、運輸省は昭和四十六年七月総合交通体系に関する答申を得て、いわゆる総合交通体系なるものをつくった。これは、新令総なりその後出た経済社会基本計画の中でも、一つの重要な役割りを占める部分を具体化したと思っておられると思うのです。しかし今日の状況は、やはり日本列島改造論の行き詰まりあるいは経済社会の変化等々から、この総合交通体系に関しては私は直ちに改定に着手すべきだというように思うのですけれども、運
大体経企庁と運輸省の考え方はわかったわけでありますけれども、私は、やはり現実に即した交通体系というようなものは——この総合交通体系をつくったときも、実はこれは読んでみると文章の羅列であって、何をどうするこうするというようなことは具体的には何も出ていないわけですよ。しいて言うならば、この政府がつくった総合交通体系というのは、一つには企業間に競争意識を導入する、二つ目には利用者に選択の自由を与える、三番目には、設備の増強についてはその費用を顧客に負担をさせる、近代化、合理化については労働者のしわ寄せでまかなう、しいて言うならばこの三点ないし四点は貫かれておると思う。しかし、国民の需要にこたえて総合的に陸海空の交通を考えるというような具体
よくわかりましたけれども、たとえば百貨店周辺は終日歩行者天国のような形にしてしまって——駐車場が一ぱいならば、買い主をおろしたマイカーは百貨店周囲をぐるぐる回っているんですね、そういう例も多々あるわけです。要するにその周辺へ車がはいれるからだめなんで、三百六十五日とは言いませんけれども、とにかく大多数の日を歩行者天国にしてしまって一切の車を入れない、特殊な公共性の高い車のみに限って入れるけれども、マイカーは入れないというような形をとれば、やむを得ず顧客は電車に乗ってくる、バスに乗ってくる。それからギャンブル場へ行くにもバスに乗る、電車に乗る、駅から歩くというようになる。これは法律では禁止することができないと思いますけれども、警察庁だ
いずれにいたしましても、これは朝刊トップですからね。非常に重要な記事だと思うわけであります。先ほども申し上げましたけれども、決定した内容がこれより退歩したものであるということになりますと、これは非常に問題だと思うし、こいねがわくは、これよりもはるかに前進したものできめていただきたいと思うのですけれども、御案内のように、去る二月三日、名古屋新幹線公害訴訟原告団結成総会というのが開かれて、私もこれへ出席した一人でありますけれども、決議でこういうことをいっているんですよ。 東海道新幹線は昭和三十九年十月一日、なんら の公害防止対策もないまま、名古屋市内の住宅 密集地を貫いて開通した。 沿線住民にとって、この十年は、新幹線に