もう時間が来たから、最後に一点だけ。 先ほどどんなメンバーを委員として選ぶのかということに対して、国民的見地、国民を代表する人々にお願いしたいという答弁でしたが、もうちょっと具体的に、どんな階層を代表する人を十三人として選ぶ予定なのか。それだけは答弁していただきたい。それで終わります。
もう時間が来たから、最後に一点だけ。 先ほどどんなメンバーを委員として選ぶのかということに対して、国民的見地、国民を代表する人々にお願いしたいという答弁でしたが、もうちょっと具体的に、どんな階層を代表する人を十三人として選ぶ予定なのか。それだけは答弁していただきたい。それで終わります。
終わります。
日本共産党の木島日出夫でございます。 池田先生、大出先生、大変ありがとうございます。 早速ですが、私は、今の司法改革をめぐる論議には、大きく二つの潮流があるんではないかと見ているわけであります。 一つは、経済同友会や経団連や自民党から出されている諸提言ですが、経済的に新自由主義を基本にして規制緩和の社会をつくる、すると必然的に事前規制型から事後チェック型の司法の役割を重んぜなければいかぬ。そういう観点から、今の小さな司法では経済界にとって使い勝手が悪いという論点から司法改革を求める潮流。 もう一つは、日弁連が主張している論点だと思うのですが、司法の役割を基本的人権の擁護に置く。国民の裁判を受ける権利、国民の司法参加、
両先生の間に基本的なスタンスの違いもちょっと私は感じたわけでありますが、ことしの二月六日の毎日新聞の社説に、「国民の視点からの審議を」という見出しで、司法制度改革審議会設置に関する論評が出ております。それで、最後のところにこう書いているのですね。 弁護士会に限らず、政財界を含めて広く司法改革が論議されることは、戦後初めてのことである。ただ、同じ「司法改革」といっても、同床異夢のようだ。 政財界の提言の背景には、市場経済活動の自由拡大を目指す規制緩和論がある。司法の役割は社会正義の実現であり、人権擁護である。市場経済活動とは異質だ。もし、改革審議が規制緩和論に振り回されるようならば、今以上にゆがんだ姿をさらすことになりかね
大出先生は、どうも先ほどの御答弁を聞いていますと、一層ゆがんじゃうのじゃないか、こういう規制緩和論を前提に振りかざされると司法がゆがむのではないかという懸念を表明されているやに私お聞きしたのですが、先生の御意見をちょっとお聞きしたい。
私は、やはり今は二つの大きな潮流があって、その違いによって各論の部分になると大きな違いが出てくるのじゃないか。裁判官のあるべき姿、検察官のあるべき姿、特に弁護士のあるべき姿、また、法曹養成のやり方、法曹一元の姿、国民の司法参加、いろいろな分野で具体的に詰めていくと、この二つの潮流が違って出てくるんじゃないかというふうに見ているわけでありますが、きょうは参考人質問の時間ですし、一切それをはしょりまして、審議会のあり方について両先生がどんなふうに考えているのかお聞きしたいと思うのです。 十三人の委員で、これが国会承認を受けて選出される。どんな人が選出されてくるかまだ全く見えないということは御案内のとおり。それだけではなくて、今度の審
ありがとうございます。終わります。
日本共産党の木島日出夫でございます。両参考人、本当にありがとうございました。 最初に、戒能参考人から伺いたいのですが、司法改革の第一義的な課題として、現在の司法行政を改めること、一言で言ったら、官僚司法体制を打破することだということであろうかと思いまして、大変興味深く拝聴をいたしました。私もそこを一番危惧しておりまして、そんな立場から、先日、この法務委員会で寺西判事補問題を取り上げて最高裁を追及させていただいたのですが、なぜこういう裁判官の官僚統制が日本において形成されてきたのか、その辺の歴史と、それを打破する道筋、その展望をどう切り開いていくのかについて、先生の御意見をちょっと御開陳願いたいと思います。
ありがとうございます。 実は、我が日本共産党、ちょっと古いのですが、一九八一年の八月に司法制度改革提言案というのを発表しているわけであります。その提言案の第一に、裁判の独立のためにということで、具体的には、最高裁裁判官任命諮問委員会の設置、国民審査の改善、裁判官会議の確立、最高裁事務総局の廃止、法曹養成制度の改善など、いろいろなことを提言しているわけであります。 今先生御答弁の中に、国民の司法参加もその一つの道筋になるのではないかとおっしゃられまして、私、大変大事な観点ではないかなというふうに思っているわけであります。 実は、先ほど述べました我が党の提言案にも、二として、国民の裁判を受ける権利を強めるためのいろいろな法律
午前中の参考人にも私質問をしたのですが、今回の司法改革の二つの流れのうちの一つの、財界、経済界から出てきている流れ、要するに、新自由主義に基づく司法ですね。事前指導型から事後チェック型の経済政治制度をつくっていく、そうすると紛争が大きくなる、それを司法が処理する、そういう役割を司法に与えている中から出てきていると思うのです。 その中心的な人物がオリックスの宮内義彦社長だと思うのですが、この社長が、昨年の二月十五日、日経新聞に、官僚司法打破と言い出しているのですね。違憲立法審査権を使わないのはいかぬということも、一票の格差是正判決なんかを持ち出してきて言い出してきている。財界から見ても、ここまで日本の官僚司法がもうどうにもならない
私自身が司法修習生のときに、札幌地裁の長沼事件に対する平賀所長の書簡問題がありましたし、修習を終えて弁護士になったときに、同期の七人の者が青法協に加入していて任官できなかったという事件の中心にいた当事者ですので、あれから二十九年たって、裁判を見るにつけ、あの時代よりもはるかに、日本の裁判官はがんじがらめにされているのではないかなと私も見ているのです。 それで、伊藤先生にちょっとお伺いしたいのですが、そういう戒能先生からの指摘、例えば労働事件にしろ行政事件にしろ、裁判官会同なるものが行われて、そこで基本的な方向が事実上押しつけられてくるというすさまじい状況が日本の司法にあるのですが、民事訴訟の専門家として、そういう司法官僚による裁
終わります。ありがとうございました。
裁判所職員定員法一部改正法案は、日本共産党は賛成であります。 判事補三十人増、裁判官以外の職員十九人増、今司法は国民の基本的人権を守る、財産を守る、大変大きな期待がかけられているだけに、司法基盤を充実することは喫緊の課題だと思いまして、むしろこの四十九人では少な過ぎると考えておりますので、法案については、法務大臣、法務省また最高裁に対しては、より一層増員のために努力をしていただきたいという要望をいたしまして、きょうは裁判官の実質的な中身の問題についてお聞きしたいと思います。 裁判官の自由、とりわけ政治的表現の自由に関する問題であります。昨年十二月一日に、仙台地方裁判所の寺西和史判事補に対する戒告処分に関する最高裁の大法廷決定
私も、仙台高等裁判所の決定並びに最高裁の抗告審の決定、全文読んでいます。 現在の日本の裁判官に対する懲戒処分手続は、裁判という形をとって行われております。寺西判事補は仙台地方裁判所の判事補であります。彼に対する懲戒権者は仙台高等裁判所だと伺ってよろしいですか。仙台高等裁判所の五人の裁判官が裁判という形で寺西判事補に対する懲戒を行った、そう認識してよろしいですか。
そうすると、地裁の裁判官に対する懲戒権者は、抗告されないで確定すれば基本的には高等裁判所の五人の裁判官である、そう伺ってよろしいですね。そして、それが不服で即時抗告があって、最高裁に係属して大法廷十五人の裁判官による審理、決定が行われたときは、最高裁の十五人の裁判官、大法廷が懲戒権者である、そういう法的構造になっている、こう伺ってよろしいのかな。
非常に珍しい構造でありますが、そうすると、基本的に仙台高等裁判所の決定、また最高裁大法廷での決定、いずれも裁判という形をとっておりまして、司法作用のようにも見えますが、その実質は最高裁決定という形での司法行政処分である、こう聞いてよろしいですね。
お認めになりました。 一般的に、国会は立法権でありますし、法務委員会もその一部分でありますから、司法作用としての裁判の内容について批判することは差し控えた方がよろしいと私も思う一人ではございますが、今お認めになったように、寺西判事補の懲戒事件に関する最高裁決定、仙台高裁の決定は、いずれも実質、司法行政処分としての性格を持っておりますから、当然、当国会、当委員会においても批判の対象にされていいものだと思いますので、私はこれからその内容についての批判をしたいと思いますので、答弁をいただきたいと思うのです。 最高裁決定には、十五人の裁判官のうち、弁護士、学者出身の五人の裁判官が懲戒処分を否とする反対意見を述べております。全文読みま
実質上は、最高裁の司法行政を握っている事務当局が裁判官の転勤その他で支配しているわけですよ。そこが非常に大きな批判を受けているところでありまして、そうした今の日本の司法部にある支配構造の一つの象徴的な事件として今回の寺西判事補の懲戒事件があったわけであります。 逃げてしまっておりますので、私、河合伸一裁判官の意見をポイントだけ読んでみますよ。 問題は、裁判官の政治について見解等を表明する自由と、外見上中立・公正を保つことを要請されるという制約とを、いかにして調整し、調和させるかというところにある。 私は、これをするのはまず裁判官自身であり、かつ、制度としても、できる限り、各裁判官の自律と自制に期待すべきものと考える。
裁判所法五十二条で禁じているのは、「積極的に政治運動をすること。」であります。裁判所はこれをどう解釈しているのでしょうか。 本件事案は、寺西判事補がいわゆる通信傍受法に反対する集会において、パネラーとしての要請を受けたが、事前に仙台地方裁判所の所長から注意を受けたので、パネラーとしての発言はしなかった。そして、一般席から自分は発言できないということを言っただけでしょう。今答弁したように、仮に法案に反対の立場で発言しても裁判所法に定める積極的な政治活動に当たるとは考えないが、パネリストとしての発言は辞退する、こう発言した。これが何で「積極的に政治運動をすること。」なんでしょうか。 裁判所は、裁判所法五十二条の「積極的に政治運動
今述べたようなことが決定書に書いてありますが、私は、それを前提にしても、懲戒を是とする判断には到底立ち得ない、理由と結論とが矛盾していると思わざるを得ません。 ここに私は、最高裁が出した「裁判所法逐条解説(中)」の抜き書きを持ってきております。 裁判所法五十二条の「「積極的に政治運動をすること」とは、国会や各議会の議員となることを除いて、みずから進んで政治活動をすることである。」と書いてありまして、「単に特定の政党に加入して政党員になつたり、一般国民としての立場において政府や政党の政策を批判することも、これにふくまれないものと解すべきである。」政党に入ったっていいんだ、一般国民としての立場で政府や政党の政策を批判してもいいん