新聞に発表したと言うが、保安庁で発表しなければ新聞には出ないはずだと思います。
新聞に発表したと言うが、保安庁で発表しなければ新聞には出ないはずだと思います。
いろいろな点から検討してわれわれは案を立てたいと思つてやつておるのであります。しかしそれは急速にはなかなか立たない。今申し上げました通りあらゆる角度から検討を要することであります。財政計画も確定的のものが立たぬことは当然であります。また今申しました通り、兵器の進歩その他からして確定的のことはなかなか立ちにくい、しかし検討はしており、早急にはやりたいが、これはなかなか容易じやないということをしばしば繰返しておるわけであります。
秘密事項だから発表しないというのじやありません。まだ確定的の案を得ていないというのであります。検討中だから、検討中の案は確定していたいというのであります。
さようなことは全然ございません。
私は高瀬君とは全然意見を異にしております。われわれといたしまして一国の防衛計画を立てるということは、なかなか容易なものじやありません。またいたずらにそういうようなものを軽率に立てて国民を惑わすようなことがあつてはならないので、これは各方面から検討してやらなければならない。しかもアメリカにおいては、いわゆるニユールツク戦略とか申しまして、前の国防計画をまつたく一新したような計画を立てております。これはそのときそのときによつて大いにかわらざるを得ない。長期の防衛計画というものはいたずらには立てられないものだということは、しばしば繰返して言うておるのであります。そこでさしあたりの問題として、二十九年ではこう、三十年度ではこうというような目
お答えいたします。国際情勢、日本の政治情勢、あらゆる観点から勘案して研究しなくてはならぬのであります。そこでいつそれができるか、いつ発表するか、そういうことはここで私はお約束はできかねます。
一応のめどをつけたいと思つて、今一生懸命各資料を集めて検討中であります。しかしながら、その時期等についてはここで明言することはできません。
私に関する限りにおきましては、さようなはつきりした計画を彼に示したことはないのであります。ただ二十九年度においてどれだけのものを日本は増強すべきかということについてわれわれ案を立てて、その結果MSA援助を受けることになつたのであります。
私は保安庁長官としてその責任についております。保安庁長官としてさようなことをやつたことはない。しかし二十九年度の防衛計画については、アメリカに示して、どれだけの援助を受けるかということについて今交渉中であることはしばしば繰返したところであります。
外務大臣がすべて折衝の部面に当つておるのでありまするから、外務大臣が私に知らすべきが適当であると思うものは知らすであろうと考えております。
われわれは二十九年度の計画を立てるについても、各方面からの資料、ことに日本の財政計画その他を勘案して立てるのであります。決して保安庁長官が独断でもつてやるわけじやありません。大蔵当局とも話し、あるいは通産省とも話し、いろいろ各方面から検討して立てたのであります。決して保安庁長官が独断でやつたのではありません。
アメリカからいろいろなことが、要求ということはありませんが、申出があつても、日本でできなければできないのであります。アメリカもまたこれについて、しいて日本の国情を無視して無理押しをしようということはありません。そこでいろいろな見地から双方の意見が一致するのであります。決してわれわれは、無条件にアメリカの申出を受入れる何はありません。
われわれといたしましては、日本の国情を無視したことはできないのであります。いかにアメリカの申出があろうと、日本でできぬものはできないのであります。これはアメリカもよく承知しております。アメリカも決して日本に無理押しはいたしません。そこでアメリカの言い分も十分聞き入れるが、日本でできぬことはできぬと言うよりほかいたし方がありません。日本の国情に相応して、そうしてアメリカと十分協調を保つた上でやつて行くのであります。
そうであります。今度できまする防衛庁長官が任免することになつております。
内閣総理大臣が絶対最高の指揮命令権を持つておつて、そのもとに長官が指揮命令権を持つているのであります。この長官が自分の幕僚を任免するのは私はさしつかえないと考えております。
任免は長官がするのでありますが、これは閣議に諮つて任免するのであります。
七条の方は内閣の首班であります内閣総理大臣が指揮命令権を持つております。
そういう考え方も大いにあろうと考えております。しかし今の段階においては、これが適当だとわれわれは考えております。
お答えいたします。政府の見解はまさにその通りであります。それが要するに日米安全保障条約の前文に掲げられております、外国に対して攻撃的脅威を与えるようなそういう力、この二つのものはまつたく表裏一体をなすものと考えております。言葉の使い方が違うだけのことであります。内容、根本においては近代戦を遂行し得るような装備実力、こう解しておるのであります。
憲法第九条第二項の戦力については、一定の定義はありません。おそらく学者のうちにもいろいろ説を異にしておつて、一定の定義がないのであります。そこでわれわれといたしましても政府の見解を示せば、ただいまのように近代戦を有効的確に遂行できる実力である。しかし近代というのはいわゆる常識的に判断して現代におけるものをさすのである。要するに時と場合において異なるのでありますが、近代はつまり現代と解釈されてよかろうと私は考えます。