一度おいでになれば私はそれをごらんに入れます。
一度おいでになれば私はそれをごらんに入れます。
具体的にどういうことをやつておるかといつても、そういうものを持つて来なければわからぬから言えませんね。それはいろいろな方法はあります。そういうものに使うべきものもありますから……。
事実やつておるのです。はつきり申し上げますが、普通のメーデー事件というようなことであれば、これは国警が担当して処理ができると思つております。しかしおよそ大反乱、大擾乱というものはあんなものではいかぬと思う。われわれは各国の例を見ましても、必ずしもそういうことを聞いてないのであります。そういうときにどうするかということを頭に置いていただきたい。この間の東独の暴動事件も大したものではなかろうと思つておりますが、あれでも普通の警察力では鎮圧できない。あれより大きいものが起つたときにどうするかということを、われわれは不断に頭に置いて行かなければならぬ。今はきわめて平静でありますが、その奥に何がひそんでおるかということを、国家の平和と治安を維
御説ごもつともです。どこまでも保安隊は国民の信頼を得ろ、また親しみを持たれる保安隊でなければならぬ。今服装の点のお話が出ましたが、しかしあの服装は必ずしもアメリカそのものではありません。いろいろ苦心して活動しよいようにしておるのであります。顧問団のお話も出ましたが、私就任以来顧問団はほんとうに必要である限りのものはいたし方がありません、向うから一部借りておるものもありますから、それらの取扱い方についての指導を受ける場合には、やむを得ず助言を受けるのでありますが、その他の点においては現在アメリカ駐留軍の関係は全然ないことであります。
一体軍隊とは何ぞやということです。そこで軍隊とはまず第一に対外戦争を目的として創設されたもの、そしてわれわれの解釈によりますれば、これは戦力に関係して来る。つまりその編成装備から申しまして、近代戦を有効に遂行し得る総合実力組織である、こう解釈いたしております。そこで保安隊は対外戦争を目的としてつくられたものではありません。しかもその装備編成からいつて、とうてい近代戦を遂行する能力がないのであります。これを軍隊と言おうと言うまいとそれはごかつてであります。しかし法律的解釈から申しますと、私は軍隊にあらずという解釈が適当であろうと考えております。
私は、保安隊は憲法第九条第二項にいう戦力ではないと思います。およそ憲法第九条は何を規定しているか。いわゆる「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」ということが書いてある。そこで自衛力は持つてよろしいということは、これは当然なことであります。ところがこの戦力、いわゆる近代戦を遂行し得るに足るべき、そういう陸海空軍に相当するようなものであれば、これは往々にして侵略戦争に使われるおそれがあるから、それをつまり禁止するということになつておるのであります。ここをはつきり皆さんに頭に置いていただきたいと思います。そこで今の保安隊は、装備編成の点からいつてきわめて貧弱で、さよ
アメリカ駐留軍から借りております武器につきましては、各部隊でその土地駐屯のアメリカ駐留軍の武器保管者から事実上の使用を受けておるのであります。しかしこれについてはいろいろの不便もありますので、ただいま保安庁中央部と駐留軍中央部との間に、いかようにこれを処置すべきかということについてせつかく交渉中であります。まだ結論には達しておりません。その使つております武器につきましては、事務当局から答弁いたさせます。
現在数はあとで報告いたしましよう。
これはただいま申し上げましたように、部隊長がその保管者から借りておるのであります。それでは不便を生ずるから、中央部で一括してやろうと今せつかく交渉中であるということであります。
その事実は私はわかりません。
別にこちらに附帯条件はありません。事実上の使用をしておるだけにすぎません。
私はまだMSAの問題は何ら聞き及んでおりません。内容もわかりません。ただいま使つております武器につきましては、私はMSAに関係なく将来も使い得るようにいたしたい、こう考えております。
ただいま申し上げましたように、MSAの関係は私はわかりませんが、万一そういう問題でこれとひもつきというようなことになるおそれのないように、われわれは十分考慮して処置いたしたいと考えております。
自衛のために戦力を持つていることができるかどうかという議論は、前々から行われておるのであります。しかして自衛のためなれば、戦力を持つことは可能であるという議論があるのであります。最近にもそういう論をする有力なものがあります。そこで私は一応それは傾聴に値する議論である、こう申したのであります。しかしその傾聴に値する議論を、政府が採用するとは申しておりません。
私は傾聴に値するということを言つたのでありまして、私はそれに賛成するとは申しておりません。
何度繰返しても同じであります。傾聴に値するということと、それに賛成するということとは全然別個の問題であります。私はそれは一応聞くに足るべき議論であるということは、今でもかわりありません。しかしそれを自分が採用するかどうかということは別問題である。
反対とか賛成とかいうことは別問題であります。一つの議論をする場合に、それは反対とか賛成とかと割切つて言えるものではありません。傾聴に値するということは言つておる。そこでそれに賛成するとかしないということは別問題です。
申し上げます。そう物事は割切れるものではないのであります。それについて私は反対とか賛成とかいうことはこの席上では申しません。ただ傾聴に値する議論であるということは、今もその信念はかわりはありません。
これは私が先日九州へ出張の途次、私に随行の記者諸君といろいろ話があつた節に言つた言葉でありまして、あらたまつて言つたわけではありません。いろいろ雑談の末に、そういう議論がある、これは傾聴に値することだ、こう言つたにすぎないのであります。
さような意図を持つて申したのではありません。今申し上げました通り、雑談の末、自分の見解として申したのであります。