多少の重装備を持つたからといつて、これをただちに戦力だというべきものではないと私は思う。いわゆる重装備の程度、それいかんによります。またこれに基いての人的編成、すべて総合したものをわれわれは考慮に入れなくてはならぬと思います。単にある種の重装備を持つたからといつて、これをもつてただちに私は戦力だとは言えないと思います。
多少の重装備を持つたからといつて、これをただちに戦力だというべきものではないと私は思う。いわゆる重装備の程度、それいかんによります。またこれに基いての人的編成、すべて総合したものをわれわれは考慮に入れなくてはならぬと思います。単にある種の重装備を持つたからといつて、これをもつてただちに私は戦力だとは言えないと思います。
私はしばしば申し上げました通り、ただいまの保安隊は、わが国の平和と秩序を保持するために設けられたものでありまして、その線に沿つてすべて勘案して、これを編成しておるのであります。
しばしば私が繰返して申し上げました通り、その装備の量、質、これらを総合して、いわゆる近代戦を遂行し得る能力を持つたものが戦力であります。今仰せの通り、竹やりでも持つて敵を防いだらどうかという人のあつたことを私も記憶しております。しからばその当時は、竹やりは武器であつたのか、一面からいえば武器であつたでしよう。しかしそういうものをいくら持つたところで、戦力にはならないのであります。
われわれといたしましては、今は国民の経済力を培養すべき時期だろうと考てておるのであります。各方面においてわれわれは生活の安定を期して、国民をしてゆたかな生活を行わしめ、その上に愛国心の盛り上るのを待つておるのであります。もちろん直接侵略に対してわれわれは防衛しなければなりません。この意味において、今仰せのごとく、われわれの力によつてわれわれの国を守るのだという愛国心の盛り上ることを、これはわれわれ当山期待をしておるのであります。その精神と、そうしてわれわれの国の力の発展と相期して、初めて日本の国の真の防衛の力がここに盛り上るものと考えておるのであります。何によりもわれわれはさしあたつて内地の治安の確保、平和の維持、これに全力を注いで
その戦力に至るか至らぬか度合いを示せという御質問のようでありますが、それは数字ではつきり示すことは私はできぬと考えております。まつたく国民のいわゆる常識に訴えて、これを見て行くべきものだと思います。すなわちわれわれの見解によりますと、いわゆる一種の近代戦を遂行し得る一つの軍事力と申しますと、その標準は、その与えられたる日本の地位、あるいは現在の与えられたる国際情勢、その他外国の軍隊の力、そういうものを一般的に総合判断して行くべきものだと考えております。たとえば平和条約の会議に出席しましたロシヤの代表は、日本において一種の防衛力と申しましようか、一種の力を持たせてもいいではないか、いわゆるわれわれが考えますと保安隊のようなものでありま
それはそのときの情勢いかんによります。また外国の軍事力にもよるのでありまして、今申し上げましたロシヤの代表の言われた、その程度は必ずしも当つておるとは私は申しません。ただそういうことを彼も言つておるではないか。現にロシヤにおいても、御承知の通り、外国と戦うべき厖大なる軍隊を持つております。しかもこれ以上に、一番下の、いわゆる日本のポリス・パワーと申すべき警察も持つております。その中間において、内地の反乱その他に備えて、相当数のいわゆる保安隊を持つております。この保安隊は飛行機も持ち、また戦車も持つておるのであります。いわゆる三段階になつておるのであります。そういうことを考えてみますと、私は日本の保安隊がバズーカ砲を持ち、戦車を持つた
つまり増したところの数量、その他各般の事情からこれを総合して判断すべきものだろうと考えております。
これは御承知の通り、憲法に明定されておるのであります。いわゆる国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使は、国際紛争解決の手段として、永久にこれを放棄するという明文を設けておるのであります。いわゆるその当時の気持としては、この憲法の前文にもうたわれておりますように、われわれは世界の平和をこいねがうのだ、国際社会の信義と公正に信頼して、われわれの安全と生活をしようではないか、こういうふうに思つておるのであります。そのもとにこの憲法はできたのであります。われわれは前に軍部が行つたような侵略戦争というものは、永久にこれをやるまい、この精神をはつきり私はうたつたものと考えております。しかし憲法によつて日本はみずから守るべき力までも禁止し
これは国民の総意が、今の憲法ではいかぬのではないか、日本は将来軍力を持たなければならぬのではないか、国民の総意がそういうことになりますれば、それはもちろん憲法改正の手段によつて戦力を持つに至ることは当然であろうと考えます。
きのう安東委員に、私はその点についてお答えしたはずであります。必ずしも見殺しにはいたしません。さような不法不当な行為は、私はそれを一つの海賊行為と見てよかろうと思います。そういうものに対しては、これは正当防衛権があるのでありますから、時と場合によつては、それはこちらから相当な手段を講ずるのが当然であろう、私はこう考えております。
必ずしも起り得ないことはないでしよう。あるいはそれを契機として国際紛争になることがあるかもわかりません。この国際紛争が起つた場合において、われわれはあらゆる外交的手段によつてこれを解決して行きたい、こう考えておるのであります。
われわれは厳粛なる憲法のもとにいろいろな考えを申しておるのであります。この憲法の解釈問題として、私は先ほどから答弁をいたしておるのであります。これがもしも憲法が現在の時勢に適しないということであれば、それはよろしくこの憲法の改正は、皆様の力によつてされるべきものと考えておるのであります。政府といたしましては、この憲法の存在する限り、憲法の解釈問題としてこれを論ずるよりほかに道はなかろう、こう思うのであります。
私は憲法に反したような答弁はいたしておりません。国民が一般にこの憲法を改正すべきであるということになれば、これは憲法を改正して戦力を持てばよかろう、こう私は思うのであります。私どもはこの憲法の存在する以上、この憲法の条章に基いてわれわれもすべての施策をやる、またその上に立脚して今日戦力問題を論じておるのであります。決して憲法改正を認めるとかいうようなことは私は考えていないのであります。
これは必ずしも浅薄な考え方ではないのであります。この船はいわゆるパトロールに使つておつた船なのです。もちろん軍艦といえば軍艦と言えたかもしれませんが、要するにアメリカにおいてもコースト・ガードに使用される船なのであります。しこうしてかりにこれがいわゆる軍艦といたしましても、これは日本で軍艦として使うつもりではない、船舶として使うつもりであります。私はこういう実例を持つております。かつて私は大阪商船の台南丸という船に乗りました。台湾通いの船です。これはグラスゴーでつくられたりつぱなイギリスの軍艦であります。その軍艦が日本に来て、改造して、いわゆる人を運ぶ商船として使つておつた。それから瀬戸内海で何しておつた八重山丸ですが、私は記憶があ
軍艦と船舶では全然相違をいたしております。区別があるのであります。軍艦は、要するに軍人が乗り組んで、そして将校がこれを指揮するものであります。しかしてその上に軍艦旗というはつきりした標章を掲げまして、いわゆる国際法に基いての軍艦としての権利を持つておる。商船においてはさような軍艦としての権利は持ちませんし、軍艦旗を掲げません。また軍人がこれに乗つて操縦するものでもありません。このようにはつきり区別があるのであります。
日本において借りた以上は、軍事的行動のために使用するのではないのであります。要するに警察の警備の用、すなわち沿岸警備、海難救助にこれを使用するためにあるのであります。使用目的から申しましても、全然軍艦とは違うのであります。
アメリカでは、今仰せの通り、もと一種のいわゆる軍事用の目的に使用されておつたことがあるのであります。それと同時にまたコースト・ガード、いわゆる海岸の警備のために使つておつたのでありまして、しかもこの船は御承知の通り、十年前につくられた船でありまして、今の時代には、私からいえばものの役に立たぬ。いわゆる戦争目的には役に立たぬ船であります。しかもこれは日本において借り入れまして、今申し上げました通り、海洋警備、海難救助のために使用するのでありますから、全然前の使用目的とは異にしておるということを特に申し上げたいのであります。
御承知の通り、この船は無償でアメリカから貸与を受けるのでありまして、返すときには原状のままで返さなければなりません。従つて装備はそのままで置いておくのであります。
この際申し上げておます。われわれといたしましては、一刻も早くほんとうに日本の海岸の警備、海難救助に専用される船をつくりたいのであります。しかし今の日本の財政上、さようなことは許しません。やむを得ずアメリカの好意によりまして、この船を借り受けるのであります。従いまして、アメリカのいろいろな考え方もありましようが、六十八隻、これは最高であります。契約期間は五箇年、これはさらに五箇年間は契約はできるわけでありますが、かような次第でありまして、これ以上にわれわれはアメリカから借りるというような考えは毛頭ありません。しかしながら御承知の通り、日本の海岸線はアメリカに次いでたくさんの長い線を持つておるのであります。これに対して海岸の警備、海難救
これは事務当局の方からお答えいたしましよう。