日本の憲法に規定されておるのは、日本の自体のことを申すのであります。日本自体が曾つての太平洋戰争のような愚をなしたくないから戰力を持ちたくない。日本の憲法では戰力を持たない、いわゆる放棄しておるのであります。アメリカ駐留軍はアメリカの問題でありまして、ただただ日本が戰争を放棄し武力を持たないから、そのために外国の不法な侵略を受けた場合には、アメリカがとれを担当してやることになるのであつて、日本自体は戰力を持たないということであります。
日本の憲法に規定されておるのは、日本の自体のことを申すのであります。日本自体が曾つての太平洋戰争のような愚をなしたくないから戰力を持ちたくない。日本の憲法では戰力を持たない、いわゆる放棄しておるのであります。アメリカ駐留軍はアメリカの問題でありまして、ただただ日本が戰争を放棄し武力を持たないから、そのために外国の不法な侵略を受けた場合には、アメリカがとれを担当してやることになるのであつて、日本自体は戰力を持たないということであります。
お答えいたします。例えば原子兵器を持つてこれを使用することについては、相当の準備は要するのであります。原子爆弾だからすぐそれで以て原子爆弾を使用するということはできないはずであります。いわゆるこれを運ぶところの飛行機も要れば、これを操縦する飛行士も準備しなければならん。これらのものを総合して一つの戰力となるので、原子爆弾がそこにあるから、それのみを以て私は戰力とは言えんということであります。
使うべき準備があるのであります。その過程におきましていろいろ今申上げました通り必要なものが裝備されて来るが、使うには使うだけのふだんにそれだけの力を養つて行かなければならん、飛行士も養つて行かなければならん。飛行機もこれは保持しなければならん。ただそれがあつただけでは戰力にはならんと私は考えます。
これは先刻来申上げた通りでありまして、日本の憲法では、日本自体がいわゆる戰力を持たんということであります。繰返して申します。日本の従来のような侵略戰争を再び繰返すことを避けるために、絶対に日本では憲法の下において戰力を持たせないということであります。然らば現実の問題として、外国の侵略の場合にはどうするか、結局戰力を持たないこの日本をどうして守るのかということになりまして、その結果、アメリカ軍が駐留してその任に当る。併しアメリカは決して積極的に戰いを挑むものと我々は考えておりません。ただただ不時の侵略に対して、いわゆる個人で言えば、正当防衛のためであります。日本が侵略されて焦土になるような結果に万一なつた場合の予防的なものと私は考えて
しばしば申上げまする通り、憲法第九條は日本自体のことであります。日本自体が戰力を持たんということであります。ただ、今申上げまする通り、日本が戰力を持たんために、仮りにどこかから侵略を受けた場合に、日本はどうするのか、その場合に初めてこの駐留軍がそれの防衛の任に当るということで、日本自体においては、憲法九條のような戰力は持たんということであります。
先刻私が申上げました通り、共同措置というのは、必ずしも警察予備隊がそれに参加してやるという訳合いのものではありません。いろいろの共同措置がとり得るのであります。そうして警察予備隊というのは、目的の示すごとく内地治安のためであります。これが駐留軍が一たび侵略者と戰う場合にどうするかという問題が起つて来るのは当然でありましようが、併し目的はただ、そういう場合においても日本の治安というものは最も重大であります。殊に侵略がされた場合においての内地の治安というものは、これは重大な段階に来るであろうと思つております。そのときには主として内地の治安に当るべきものと私は確信しております。而して事たびそういうようなふうのことがありますれば、それこそ日
私の承知している限りにおきましては、警察予備隊はどこまでも内地治安の目的のために置かれたものと考えております。而して内地治安は、普通の場合の内地治安と違うのでありまして、事一たび外国の侵略を受けた場合には、内地の或る分子と相呼応してやるという危險が十分あると見なければならん。その場合に主として内地の治安に当るのは何かと言いますと、警察予備隊であります。ただ平時の状態と、そういう場合の状態とは、恐らく雲泥の差であろうと私は考えております。決して内地の従来のような治安の問題ではなくして、恐らく大擾乱というものが起る可能性があるのじやないかと思います。その場合にバズーカ砲も必要でありましよう。或いは機関銃も必要であるかもわかりません。その
繰返して申すようでありますが、いわゆる戰力とは、近代戰を有効適切に遂行し得る編成と裝備を持つたものであります。(笑声)今の警察予備隊はさようなものではないのであります。内地の治安、これは我々は軽々に考えてはいけないと考えております。或いは外国の侵略者そのものに対してのみ考えるべきものではない、これと相呼応して内地の治安を乱し、これを擾乱に持つて行かれるような形勢がなきにあらずと私は考えています。その場合における準備といたしましてバズーカ砲や難関銃を持つことは私当然の條理であろうと考えております。必ずしもそれを持つたからといつて第九條に選法の戰力に該当すべきものとは必ずしも言えないと思います。私は絶対に言えない、こう考えております。
御承知の通り日本の憲法には国際紛争解決の手段として武力を放棄する、又武力による威嚇はこれを放棄する、これは明白なんです。日本がさような行動に将来出ないという目的のために戰力を放棄しておることは明かであります。そこで駐留軍の目的は、一にかかつて日本が裸になつた場合に、突然の侵略がありましたような場合にどうするか、その安全を保障するために置かれるのでありまして、武力を持つて威嚇するとか、或いは国際紛争の解決手段にするとかいう目的のために使うべきものじやないと考えております。或いは又国際法上の戰争をするというような目的でないことも明白であります。決して日本に駐屯するごとそれ自体が憲法の規定に違反するものでないと、こう考えております。
繰返して申すようでありまするが、この憲法第九條の問題というものは、日本が果して戰力を持つかどうかであります。持つていいかどうかという問題であります。戰力を持たせないという建前であるのでありまして、これはアメリカの駐留軍の問題ではないと私は考えております。そうしてアメリカ駐留軍は或いは、勿論それ自体の指揮権は持ち、それにその一部は参加するかも知れませんが、戰力問題として法律的に考えますれば、決して日本の戰力とは私は言えないと考えております。
これは日本を守るためのアメリカの戰力と考えております。(笑声)
繰返すようでありまするが、私はこれは日本の戰力ではない、こう考えております。これはどこまでも日本を守ることは当然でありまするが、それ自体はアメリカの戰力であつて、日本の戰力ではない、こう考えております。
戰力を持たせないということであります。戰力に至らないものは持つていいという結論は出るのでありまするから、我々この新憲法を堅持する建前から申しますると、少くとも外国と戰争するような力を持つ戰力というものは持たないという方針で行くべきであると、こう考えております。
自衛のためでも、戰力に相当すべきものは私は持つてはよくない、こう考えております。然らばその戰力というものは何かと申しますると、これは繰返して申しますように、戰争を有効適切に遂行し得る裝備と編成を持つ力であります。それじやその程度に至らざる兵力を持つていいかということでありまするが、これは私は結論といたしまして、そういうような考えに近付くような戰力というものはやはり持つことを控えるべきであるということを考えております。ただ日本の治安確保のためにこの一種の力は持つてよろしい。併し戰力に近付くべきようなものは成るべく日本は差控えるべきものであろうと考えております。ただ純法律論といたしますれば、戰力に至らざる程度のものであれば何でもいいじや
純法律論から申しますれば差支えないということが言えましよう。純法律論から言えば戰力を持つことは禁止されております。
御承知の通り憲法の第九條第一項の武力、あれは積極的な動的な方面から見たものと私は解釈しております。武力と戰力と相違があるか、こういうことになりますれば、別段その間の私は区別はないと考えております。武力であつても或る種の段階に至りますれば無論これは戰力と言つてよかろう。ただ憲法の建前からすれば、第九條第一項は動的に見たものと私は考えております。つまり武力による威嚇又は武力の行使はこれを禁止している。永久に放棄している。これは積極に見た面であります。従つて武力と戰力との区別というものは、言葉のあやでありまして、少くとも私の言うような編成、裝備を持つた武力であれば、これは戰力になるべきものであると考えております。
御承知の通り戰力の解釈でありまするが、これは必ずしも一定しているわけじやありません。その時代と環境、これは非常に影響するのであります。それで太平洋戰争のようなあのときの兵力、これを基準にして私は考えるべきものじやない。現在の情勢なりすべてのものを総合して観察すべきものであると考えております。
勿論戰力にあらざる実力は持つても私はよかろうと思つております。(笑声)これは憲法の規定に反するものでないと思います。
これは兵員にして幾ら、裝備にして幾らということは、具体的には私はお答え申上げることはできんと思うのであります。それはいわゆるいろいろの観点からこれを総合して判断すべきものであろうと、こう考えております。併し少くとも今の段階においての警察予備隊というものはです、戰力でないということだけは申上げることはできます。(笑声)
憲法の解釈につきましては、いろいろの方面から論議されるでありましようが、政府は政府として、これは一つの解釈を持ち、又国会は国会としてこれは一つの解釈を持つ場合があるかと、こう考えております。それだから政府で独断的にそれを解釈するというような嫌いのないように、政府は慎重にこの憲法については独自に解釈すべきものと、こう考えております。