楽器は、私的所有かと聞いているのです。自衛隊のものでしょう。
楽器は、私的所有かと聞いているのです。自衛隊のものでしょう。
公的なものじゃないですか。これは公的なもの、いわゆる軍楽隊——音楽隊ではないけれども、自衛隊の中の公的なものとして、自衛隊の援助の中でやっているのじゃないですか。
そうしますと、これは全く私的な行為であるというふうに考えておられるようにもとれるのですが、自衛隊員が、そういう私的な行為として、神式の行事に十九名の者が一つの団体で参加するのは、これは問題ないというお考えのようです。だから、そこへ参加をして、お金をもらってもよろしい、こういうことになっておるわけですね。——金をもらっていますね。
何を言っていますか。護国神社側では、交通費を出したとはっきり言っております。どうですか。
これは、全く私的な行為で、それで私的に実費弁償をもらっておる、それは防衛庁としては、全く関与しないことである、特定宗教のそういう活動に参加しても、これは防衛庁として関与しないことである、こういう見解だというふうにお聞きしてよろしいですか。
村の祭りというのは、宗教法人がやるわけじゃないでしょう。特定の宗教儀式をやっているわけでもないでしょう。そんなことを、いま言っているのじゃないのです。いま言っているのは、宗教法人護国神社、それが、その神社の祭壇のところで、そこの神式の様式に従って参加をしているということについて言っておるわけで、いまは例祭、それから少飛会主催だからいいということを先ほどは言われた。今度は例祭だけれども、任意だから、命令で行っておるのでないからいいのだ、こういうケースになったわけです。 もう一つあるのです。弘前市の護国神社の大祭の場合は——これは大祭です。この四月二十九日にあった。それで私たちは、慰霊祭そのものに何か文句を言っておるのじゃないんです
これは、命令で行っていますね。
これは、要請があって行ったのじゃなくて、むしろ自衛隊のほうから申し入れて、護国神社側が受け入れるという形で行くことになった、そういう経過ではございませんか。
遺族連合会から要請があって、護国神社の例大祭に命令で参加をした、神社側からいえば、自分たちのほうから来ていただきたいという要請をしたのではない、こういう経過であります。 そこで、長官、先ほど静岡の例で申し上げているときに、少飛会だということと、そこから要請を受けて行ったことだから、そういう前提であのケースについては言われたわけであります。しかし、いまの弘前の場合は、神社からの要請でないということは、いま言われたとおりでありますし、そして神社の大祭に参加をしておる。しかもその大祭という神社の行事、儀式に参加をしておる。それに参拝したというようなものじゃなくて、部隊の命令で行っている、こういうことになると、これは、ここへ参加する人は
これは、護国神社の例大祭ですよ。護国神社の例大祭で遺族会が主催しているわけです。それはそうですよ、主催はどこかありますよ。しかし、例大祭であることは間違いない。
護国神社から要請をしたのではなく、来てくれと言ったのではなくて、自衛隊のほうから護国神社のほうへ、そういうふうに軍楽隊として参加をするということを言ってきたから、それじゃ来てもらいましょうということになったのですと、こういうことですよ。そういうふうになるに至った経過は、主催者である遺族会が自衛隊に要請したという経過はあるでしょう、しかし神社との関係からいえば、神社に対しては、自衛隊のほうから言われて、神社のほうは来てもらうことになった、こういう経過です。 それで、護国神社の大祭に焼香もやったというわけですか。そういうことですか。
津市の地鎮祭の判決、御承知だと思いますが、名古屋高裁の判決があります。これを主催をしたのは津市です。そういう行事を催したのは津市で、その地鎮祭という式を神式で主宰したのは、要するに式を進めた人は神主さんです。それについて名古屋高裁の判決では、「当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか」、「当該行為の順序作法(式次第)が宗教界で定められたものかどうか」、「当該行為が一般人に違和感なく受け容れられる程度に普遍性を有するものかどうか」ということ、この三点から見て、違う宗派の人、違う宗教を持っている人から見たら、そういうやり方には賛成できないというふうに考える人がたとえ少数でもあれば、それは違和感なく受け入れられる程度に普遍性を持っているもの
自衛隊は、特定の宗教の方式によってはやらない、ところが、自衛隊が命令で特定の宗教の宗教儀式に参加をしているという場合が、いま命令で行ったというのが二カ所出てきているわけですね、式次第に参加しているのですから。そういうことについて、自衛隊自体として考えておることと、個々の宗教法人の宗教活動に関与するということとは、明らかに私は矛盾しているように思うわけです。 八月十五日の総理なんかの、あれば追悼式——追悼ということを、はっきり言っていますね。これは戦没者をしのぶというのですか、いたむというのですか。要するに慰霊とは言ってないですね。戦没者の慰霊とは言っていないのです。明白に区別をしています。私、「追悼」と「慰霊」とどう違うのかと思
それともう一点、先ほど言った、自衛隊員に宗教上の行為、儀式に参加することを、命令で強制することはできない、それはしないということでございますね。その点、もうちょっと……。
私が最後に言うたのは、憲法二十条との関係で、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」、自衛隊員も空教上の行為、祝典、儀式、行事に参加することは強制されない。したがって、命令で行事への参加ということは、これは国家機関としてではなくて、自衛隊員として強制されないという意味で命令されない、命令というのは強制することですから。そういうふうに、さっき官房長は命令を出さぬようにしておる、こう言われておったわけですけれども、命令を出さない、強制しないということだというふうにお聞きしてよいのかどうか。
くどいようですけれども、隊として参加するように隊員に命令をすれば、それは強制になる。命令というのは、命令に反したら自衛隊法違反で、行政上あるいはその他の処分がされるわけですから、そういう意味では、そういう命令は出せないということですねということを、確認をしておいていただきたい。
だから、命令はしないということですか。
だから、宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加する命令は出せないということでございますね。
それで、結論的に申し上げておきたいのですが、護国神社の式に参加をする、要するに大祭であれ主催者がどこであれ、その儀式自身が宗教上の儀式であるという場合には、あるいは宗教上の行事であるという場合には、それは何人も、それに参加することを強制されないというのが、憲法の命ずるところでありますから、自衛隊も当然、そういうことはできないということになるわけですね。
神社が呼んだら断わる、しかし自衛隊が、主催者から言われて、そして神社が儀式を主宰するんですからね。その神社の主宰する宗教的儀式です。この主催しているほうの遺族会は、宗教上の儀式を主宰しないわけです。そういう儀式をやることの全体を催すわけですね。その宗教上の行為、儀式あるいは行事を、実際に動かしていくのは——これは護国神社が空教上の儀式としてやるわけです。地鎮祭の場合を考えたら、非常によくわかるわけでしょう。津市がやっても、津市が神主さんを頼んできて、そして特定の場所へ来て、神社じゃないわけですが、そこでおはらいをやったり、何かいろいろ儀式をやったわけですね。それは主催者は津だけれども——地鎮祭の儀式は、いろいろやり方があります。宗教