最終まで東方貿易行が契約の相手と私は承知しております。
最終まで東方貿易行が契約の相手と私は承知しております。
この問題は、私当時は知らなかったのでありますが、あとで承知したことによりますと、すでに昭和二十九年の秋ごろから話があったわけです。そのころ通商局の事務当局といたしましても、まず現金決済ができるかどうか、物についても台湾産物資の物がないかどうかということで、いろいろな物資を検討したわけであります。そのとき台湾糖の話も出たと思いますが、結局その物資が不適当あるいは不可能ということでありまして、申請が出たときにはすでにキューバ糖を無為替輸入するということになって申請が出ております。
その点につきましては、私は詳細に記憶しておりませんが、おそらくすぐその場で金を払うということではなくて、すでに東方貿易行が関係しておった商社が、もうすでに手持ちのキューバ糖を東南アジアのどこかで——私は当時はシーガポールにあると聞いておりましたが、そういう砂糖はすでに手当済みのものであると了承しておりました。
私が最後まで契約の相手方と信じておりますと申しますのは、その後御承知のように延長の申請がありまして、再延長の許可を通産省としては認めませんでした。その前後に立川研究所から通産省に対しまして、本件についてはもう断念をしたということを申してきました。そこまでを最後的にと言うのでございまして、それ以後のことにつきましては私自身も全然存じません。ことに周という名前は今度の新聞に出まして初めて知ったことであって、会ったこともないし全然名前も存じておりません。
私が先ほど申し上げましたように、立川研究所から、断念して契約はもうやめたということを申してきたときに、すべて問題は終ったと私は理解しております。それで技術輸出の点は残念ながらだめになったと了解しております。その後のことにつきましては、実は通産省の知らぬことでございまするが、御指摘の通りと思います。
そういうことは今まであまりありませんし、できるだけ通産省としてはそういう例は避けたいわけであります。しかし先ほど申しましたように、これは異例のケースということにいたしまして、日本の技術輸出の対価として砂糖を受け取る手段として、特例としてこの立川研究所に貨物で代金を受け取るということを許可した次第でございます。お話しのように立川研究所は砂糖を研究することも研究所自体輸入することもできませんから、輸入の代行商社を通産省の指示によってきめまして、それが輸入できた場合には立川研究所の技術の輸出の代価である三億六千万円だけ受け取らす、こういう措置をとった次第でございます。
私ども当初許可をいたします際には、先ほど申しましたように、通産局の行政能力の許す範囲内において最善の慎重な検討をいたした次第でございますが、御指摘のように、技術輸出が出ればいい、それから見返りの砂糖が入っても入らなくても国のために大して損にはならぬというような非常に安易な気持でやったわけではございません。当時としましては、慎重な検討を経て許可をいたした次第でございますが、結果から見ますと、ごたごたな状態が出たことにつきましては、私当時を顧みまして、確かに本件無為替許可に当りまして、もう少し慎重にやるべきであったと考えて責任を感じておりますし、今後の通産行政のあり方につきまして、やはり深い反省を加える必要があろうというふうに、ただいま
いわゆる無為替輸入につきましての基準というべきものは、先ほど申しましたように定型的なものに限るべきであり、現在におきましてもその方針で通産行政が行われておると思います。従ってその他のものにつきましては全然認めないというのが基準だろうと思います。しかしながら絶対にそれ以外の例は認めないということで、果していけるか、非常に特殊な事例も出るのじゃないか。この技術輸出の点なども一つの例と思いますが、その場合に、初めから全然これを認めないという方針でいくか、あるいはほんとうにそういう特殊なものが出た場合には、それにつきまして一応検討をするということはあり得るのではないかというふうに考えます。
私はたまたまこのドミニカ糖が期限が切れた後に入りましたころは、アルゼンチンに出張しておりましたので、その間の事情は承知しておらないのでありますが、その後帰りまして次長から報告を受けました。通産省といたしましてはもう期限が切れたあとの砂糖だから、技術輸出とは全然関係のない、普通の、ときどき起ります見越し輸入の砂糖がたまたま横浜にあったということで処置しておりまして、私の在任中はその報告は変っておりません。
砂糖のリンク制につきましては、そもそもはプラント類の輸出振興という目的からやったのでございますが、何と申しましても当時砂糖の輸入量が非常に少かったため、価格も非常な問題を生じましたために、私が通産省の通商局長に就任いたしましたころから、輸出振興の問題もありますけれども、できるだけ早くこういう制度はやめるべきであるという方針を私立てまして、いかにして経過期間を経ながらこれをやめていくかという方向に移りました。ただいま御指摘のように、多少の経過期間を置きまして二十九年末にはこれを廃止するに至ったような次第でございます。
ただいま申し上げましたように、砂糖につきましては非常に輸入数量が少いために、価格が非常に動揺し、また砂糖を輸入する者は超過利潤があるのだというような状況でございますので、通産省といたしましては、ただいま農林省からもお話がございましたように、何とかして価格の安定措置をとるということを考えたわけでございます。通産省といたしましては、一番いい解決策はやはり砂糖の輸入をうんとふやすことだという考えを持っておりましたけれども、これについてはお説の通り一つは外貨の面におきまして、一つは農産物との関連におきまして、これを無制限に許すわけにはいかない。どうしてもある程度の輸入量にしぼらざるを得ない。そうしますと、どうしても多少の超過利潤が出るという
ただいま申し上げましたように法案が国会で審議未了になりましたので、法的措置はとりませんでしたが、しかしそのままの現状で放置するわけにも参りませんので、通産省といたしましては閣議決定を経まして、何らか価格安定のために行政措置をやろうではないかという考えに立ちまして、精糖業者その他につきまして寄付金の形でこの差益を徴収するという措置を引き続きとりまして、三十億円ばかりの寄付金を徴収いたしました。
まず第一に技術輸出につきまして、立川博士自身が東南アジア方面には出したくないという意向の表明の話があったということは、実はただいま伺って初耳でございます。私のところに最初は藤岡さんが参られたのでありますが、続いて立川博士も参られましたが、そういう話は全然ございませんでした。やはり台湾との話し合いがついたからぜひ出したいというお話であったので、われわれといたしましてはそれを前例といたしまして、技術輸出の虎木綿技術の信憑性について調査を開始した次第であります。 それから今の砂糖の点につきましては、申請が出る前におきまして、すでに通産省の当局との間でいろいろ立川研究所の代理の方と話があったものと思いますが、その際先ほど申しましたように
台湾から当時十六万トンの輸入計画をしておりましたのは、日本側の内部の輸入計画でございますから、台湾側に対しては別に協定上の義務はございません。従いまして当時の情勢としましては、外貨事情からいいまして、ドルを払ってキューバ糖を買うということはできるだけ制限する方向でございました。台湾の方でオープン・アカウントで買えるものをできるだけ買おうという方針でありました。従って今の台湾の十六万トンの中に入れましても、ドルで払うのなら問題でございますけれども、無為替輸入ということで日本政府としては処理し得るのではないかということでやったわけであります。
その点は実は私、立川博士にお目にかかったときも藤岡さんにお目にかかったときにも疑問があったものですから、なぜ日本でおやりにならないかということをお聞きしました。藤岡さんの御説明では、日本でやりたいんだがどうしても資金の手当がつかない、立川博士は学者はだの人で人とのつき合いもよくないし、繊維業界ともあまりわたりがつかない。事業家的手腕があまりないので、まだ日本では企業化するまでの段取りに至っていないんだという話があったことを記憶いたしております。
私は当時よく存じておりませんでした。立川博士の代理ということでおいでになってお目にかかった次第であります。
その点は遺憾ながら私記憶いたしておりません。
当時立川博士の話もありましたし、ベルギーへ輸出したということ、それ以外に先ほど申しましたように日本における科学技術審査委員会の審査報告から、技術そのものは優秀であるという確認をいたした次第でございます。
私は全然そういう方面の技術的知識はございませんので、どの点が優秀か、判断の能力は全然なかったわけでありますが、科学技術審査委員会の内田俊一博士の報告等によりまして、これはりっぱなものであるということを当時の通産省の繊維局なり私の通商局の部下からも報告がありまして、それを信じた次第でございます。
先ほど申し上げましたように、一応の調査はしておるのでありまして、その当時少し小さい会社であるということもわかっておりましたが、東南アジアにはよくそういう会社で大きなことをやりますものもありますのと、それから、そこまで立ち入ってこういう相手方とやるのはいかぬというところまで行政権で干渉する必要もないと感じましたために、許可をいたした次第でございますが、確かに御趣旨の通り特にこういう異例なケースを許可するに当りましてはもう少し慎重であるべきであったということにつきましては、私今当時を顧みまして深く感じておる次第でございます。