柳
柳川正一
下甘田村農地委員長
1949-06-29
衆議院・考査特別委員会
そのときちようどその委員会を、ただそれだけの問題で開くのはどうかと思つて延ばしていたのであります。その間小作調定官の方へ書類を出したのです。
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そのときちようどその委員会を、ただそれだけの問題で開くのはどうかと思つて延ばしていたのであります。その間小作調定官の方へ書類を出したのです。
はい。つきました。
ことしは池田さんが耕作しておられます。
はい。
藤田甚太郎の抗爭は聞いておりませんですが……。
知つております。
知つております。
そんな問題は聞きません。それは近ごろでなく、農地調整法のできた当時の取上げ去々のときではありませんか。
最近の話ではないのでしよう。
それなら聞いておりません。私は二十三年から一回もそんな話は持ちかけられたことはありません。
最近ずつと聞いておりません。一番初め農地調整法のできたときに、藤田から高見幸平が田圃をとつた。それであとからとりもどされたのですが、それは二十一年かそこらの話です。その後問題があるということは聞いておりません。
藤田さんは元は俸給生活をしておつたお方で、そんな田圃をつくつておるような方ではないと記憶しております。
はい知りません。
それは聞いております。何か上棚と中山部落の境の山の谷らしいのででが、そこをつくつておる、つくつておらぬという問題があつたということを開いております。
星澤さんは今年の春に鹿島路村の農地委員会の金丸の区長とともにだれそれがつくつておるという書類を私のところに持つて参りました。それから農地委員の書記に渡して一筆調査の戸帳のけつを直して置けと申しておきました。
その点は私は知りません。
それはそういうわけです。それはつけてくれと書記に話をしておきました。
その後のことは知りません。その供米のことについては……
はい。
それは二十年も前から私の部落には小作團体がありました。それの名前がかわつて農民組合とかわつたものと思います。