内閣を組閣するに当たりまして、私なりに、省庁にどうしたテーマがあり、どういう政策を進めていかなきゃならぬか、そういう意味で、我が党の中、また、今は連立を組ませていただいていますので、当然保守党そしてまた公明党からの御推薦もございますが、少なくとも我が党に関しましては、私の判断で選考をさせていただきました。別に野中議員から直接的に指示があるというようなことはございません。
内閣を組閣するに当たりまして、私なりに、省庁にどうしたテーマがあり、どういう政策を進めていかなきゃならぬか、そういう意味で、我が党の中、また、今は連立を組ませていただいていますので、当然保守党そしてまた公明党からの御推薦もございますが、少なくとも我が党に関しましては、私の判断で選考をさせていただきました。別に野中議員から直接的に指示があるというようなことはございません。
村上議員が議員としてこれまで御活躍されたことを私一番よく承知していますし、いろいろなテーマにつきましても、若干私どもと信条が違う点もございましたけれども、非常にまじめに政策にも取り組んでおられたという点で、私は議員が辞職されたことはとても残念だというのは率直な気持ちです。 大変残念に、そしてまた遺憾に思っておりますということは、我が党にとりまして立場が重い方であればあるほど、それだけに我が党にとっても大きな打撃であるということを私は深刻に受けとめているわけです。
辻元さんは新聞を読みながらでございまして、かなり、今お読みになった点と違う点がたくさんございます。
それも、私はそんなふうには聞いておりません。 そもそも間違っているのは、私は青木さんにも当時お聞きしましたが、青木さんが村上さんのところへパジャマ姿で飛んでいったというのは本当ですかと聞いたら、そんなことはないとおっしゃっていました。 それから、あの日は何で集まったのかということを、時間をとって悪いんですけれども、きちんと申し上げておかなければいけませんが、一緒に連立を組ませていただきました自由党が離脱をされた。そして、そのことで小渕さんが大変心労されたんでしょうね、その日の夜、お倒れになるわけです。私どもは、自由党さんが連立を離れたものですから、これから後の連立、国会運営等をどういうふうにしようかということで、実は、翌日が
私が、一国民として、私の了解といいましょうか、知らないうちに党員登録されているということであれば、その党を支持するかどうか自分の信条とも相談をして、そしてやはりそうでないという考え方をするならば、これは自分が求めて入ったわけではないわけですから、当然、党に対して党員でないということを申し上げる手続をするということになるのだろうと思いますね。
我が党に対して御心配をいただいて、本当に恐縮に存じております。 たびたび申し上げておりますが、KSD豊明会がどのような形で党員を取りまとめていたかというのは、我々としては知り得る立場ではないわけです。党としては、所定の手続を経て党員登録がなされている以上は正規の党員として認めるというほかはないわけでありまして、原則として、手続を経なければ党員資格を剥脱するということも、これはできない仕組みになっております。 しかし、今御指摘がありましたようなことで、そうした事態がもし起きているとすれば、御心配をいただきましたように大変大事な問題だと思いますので、今その調査をいたしておりますが、これまで、党から、党の機関紙でありますとか党総裁
今総理大臣としてよくないとおっしゃいましたから、私はおわびを申し上げたわけでありますが、これは友人がそういう好意を持って、いつでも使えるようにしてあげますよということでございましたから、その御好意を受けたのです。何も総理大臣のときではありません。今から十六年前の話でございます。 ただ、それを放置しておいたということは、これは大変適切ではなかったと思いますから、今その手続をいたしております。ただ私は、性格上そういうものを自分のものにしてはいかぬし、そういう疑いがかかってはいかぬと思いましたから、税理士とも相談をいたしました。したがって、この会員権は、私にその好意を示してくれた会社のものであるということの資産の登録をきちっとしてもら
最初にスタートするときは、そういうことの事態が起きていないときですから、スタートするときにはそういう努力目標をして、勝つとか負けるとかということの話し合いはあっておかしくないじゃないですか。そうでしょう。 ただ、結果として、終わった後だからそういうことはあり得ないと言っているのです。
いやいや、確認をしたから答えておかなければいけない。 ですから、スタートするときには相手が、例えば私がこの間一緒にした方はシングルといいますか、ほとんどハンディのない人です。だから、そういうハンディのない人に自分がどれだけ挑戦できるかということを、やはり技術としてそれを試そうと思うのは当然なことじゃないですか。かけたとかそんなことじゃないのです。
きょうは集中質問で私が予算委員会に招かれておりますので、きょうまた、各党議員からの御質問に対してもその都度お答えをしてまいりたいと思いますが、冒頭に、まず、今回のえひめ丸沈没事件に対しまして、行方不明になっております方々の御家族を初め今回の事故に遭われた方々、関係者の皆様に心からお見舞いを申し上げますとともに、皆さんの御心痛はいかばかりかと御拝察を申し上げております。引き続き、政府といたしましても万全の対策を今講じているところでございます。 この事案への私の対応をめぐりましても、国民から強い御批判のあることも十分承知をいたしておりまして、謙虚に受けとめさせていただきたいと思っております。その関連において、今、亀井委員から御指摘が
率直に、最近は夢を見るようなそういう睡眠状況ではないということをまず申し上げられると思います。 しかし、今亀井委員の御指摘になったのは、国民の皆さんに、やはり将来の大きな夢、ビジョンを持って、そして努力をする、政府がそれに対してこたえていくようにということの御示唆であろうというふうに受けとめて、お話を申し上げたいと思います。 近年、こうした激しい経済社会の変化の中では、戦後の日本のいわゆる発展を示してきたシステムあるいは物の考え方というのは、時代にはもう適合しなくなってきているというふうに考えられます。国民が将来に対するさまざまな不安や漠然とした閉塞感を持っておりますことも今御指摘のとおりでございまして、明るい夢や目標のよう
昨年十一月にAPECブルネイ会合、その機会にプーチン大統領と会談をいたしました。そこで、次回の首脳会談を年内にもイルクーツクで行うということで一致をいたしました。 これを受けまして、十二月に、私の親書を携行いたしまして鈴木議員が訪ロをいたしまして、首脳会談を二月に行うということになったわけであります。そのことをフォローしていくために、一月十六日に外務大臣会談で日程を確定するということになりました。外相会談におきましては、首脳会談を二月二十五、二十六日に行うという方向になったわけでありますが、外務大臣がモスクワを離れられましてから四時間半後に、ロシア側から三月二十五日との再提案があったわけであります。 首脳会談の日程調整をめぐ
今回の事故は、米国領海で発生をいたしました。我が国としては、直接の現場対処活動を必要とする事案ではなかったわけでありまして、むしろアメリカ政府との折衝が中心となる、そういう事案であるということは御承知のとおりであります。 このため、私といたしましては、当初から、人命救助と情報収集、これにつきまして米国政府との間に最大限の協力を確保すべし、そういう指示を外務大臣にいたしております。もちろん、その他の関係大臣にもそのように申し上げております。 したがって、事故発生直後の初動対応の後は、外務省の対策本部を体制を強化いたしまして、桜田外務大臣政務官、次いで衛藤外務副大臣をアメリカに派遣いたしますなど、外務省が中心になって対応いたして
政府といたしましては、これまでアメリカ側に対して、引き揚げについても、あらゆる手だてを尽くすように申し入れてきております。 まず最初に、十日に事故が起きましたとき、そのときはまだ情報収集等いろいろ進めていたときでありますが、その日の午後、官邸にアメリカ大使館の公使がお見えになった。その際も、官房長官から強く、当時はまだ確定的なものじゃございませんでしたが、沈んだとするならば常識的に考えられるのはそういう事態だろうと思うので、当然、捜索とそして引き揚げを万全にやるようにそのときから既に官房長官から強く公使に申し入れております。また、その日の夜もフォーリー大使が官邸にお見えになりまして、私からそのことも強く申し上げてございますし、十
御指摘のとおり、第一報が十時五十分に参りましたときには、三十五人の乗船があったえひめ丸が沈没したようだ、原潜に触れた、そして二十五名でしたか二十六名でしたか、大体引き揚げた、残りを今救命、捜索中であります、こういうことでございました。したがって、極めてこれは大事だから、とりあえず外務省に対してすぐ情報をとるように、また外務省として対策本部をとるように、それから、これは官邸としてどのような措置をとるべきか、これも直ちに危機管理監を呼び、それへの対応をすぐとるように、同時にまた、学校関係であるということであれば文部省も大事な対応をとらなければならぬだろう、それをすぐ指示をしてほしいということで、次の連絡を待とうという判断をいたしました。
いつもこういうところで誤解を受けるんですが、これはぶら下がりといいましょうか、正式に立ちどまって話し合うという、そういうやりとりではございません。 私が申し上げたのは、ゴルフ場のクラブというのは、これはクラブによっていろいろな仕組みがあるのでしょうけれども、私は、ここがプライベートな場所ですよという意味のことを申し上げたのです。 私のプライベートだと言っているのではないんですよ。ゴルフ場のそこに入ってくることが、普通はみんな入り口で全部とめられますよ、ホテルでもそうですよ。ですから、そこへ入ってこられたから、ここはプライベートな場所ですよ、こう申し上げたのです。
ちょっと長くなって恐縮ですが、大事なところですから申し上げます。 昭和六十年三月ですから、十五、六年前の話でありますが、戸塚カントリー倶楽部の会員権をたまたま会社として二口所有しておりました私の長年の友人がおりまして、そして、ちょうど私は五十二年ごろから腰痛でしばしば支障を来しておりまして、そういう話をいたしておりましたときに、医師から、できるだけ運動するように、週に一、二度はゴルフぐらいした方がいいですよと、そういう指摘は受けておりました。 私は、まだそのときにはなかなかそういう状況ではございませんでした。友人たちが心配をして、なかなかウイークデーにできるわけでもないだろうから、土日にできるだけ近いところでできるようにした
思いを話したいのですが、三分しかございません。町村大臣の分も余計残さなきゃならぬと思っております。 先般、国会の予算委員会の中でも、私はテレビを拝見しておりました。町村さんから、たしか結果の平等ということをおっしゃったと思いますね。最近ではやはり、結果平等であればいいんだということがどうも前面に出過ぎたのではないかな。だから、走るところまでは一緒で、ゴールに入るときは一緒だ、こうなるんですね。 単にスポーツだけではなくて、例えば学芸会というのも、最近どういうふうに行われているのか。乙姫様になりたい人がたくさんいて、浦島太郎と乙姫様になるのは二人しかいないわけで、どうしてうちの子はタイやヒラメなんだろうか、そういう苦情が出るの
たびたび本会議等でもまた当予算委員会でも申し上げてきたと思いますが、いろいろそうした疑惑がかけられたということであれば、できる限りそのことについて自分でその疑いを晴らすための努力をするということは重要だ、私はこう指摘をしてまいりました。 今御指摘がありました証人喚問につきましては、これは議会運営上の問題でございますから、議運で今まさにそのことについて御協議をされておる、そのように承知をいたしておりますので、どうぞひとつ議会の中で結論を適切に出していただきたい、このように思います。
野呂田議員の発言につきましては、直接伺ったわけではありませんし、今、新聞のコピーなども拝見をいたしておりますが、現時点でこのコメントは差し控えたいと思っております。 政府といたしましては、これは一九九五年八月十五日の村山内閣総理大臣談話を基本といたしておりまして、我が国が過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配や侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたとの認識であるということで、政府は一貫してこの考え方でおります。