証人にお尋ねしますが、この日銀の地下のダイヤモンド、貴金属がしまわれてあつた金庫に対して、昭和二十六年六月から入られました大蔵省の職員について表が出ているわけですが、この表を見てみると、鈴木という人——この人は審査係長ですが、七月にこれが四十五回入つている。それからその次に大久保という職員、これは会計係長、それから吉永という職員、これは会計係ですが、こうやつて一覧表を見ますと、鈴木審査係長が担当の責任者であつたように思うのですが、そうでございますか。
証人にお尋ねしますが、この日銀の地下のダイヤモンド、貴金属がしまわれてあつた金庫に対して、昭和二十六年六月から入られました大蔵省の職員について表が出ているわけですが、この表を見てみると、鈴木という人——この人は審査係長ですが、七月にこれが四十五回入つている。それからその次に大久保という職員、これは会計係長、それから吉永という職員、これは会計係ですが、こうやつて一覧表を見ますと、鈴木審査係長が担当の責任者であつたように思うのですが、そうでございますか。
証人は直接の責任者であつたろうと思うのですが、昭和二十七年の五月まで、この点については一ぺんも立ち会つていないわけですな。資料を見ると、昭和二十七年の五月に、あなたは初めて日銀の地下へ行つたようになつているのですが、そうするとこの点は、二十六年の六月の幾日かに司令部の方から保管を委託されたけれども、あなた自身は直接にはこの当時一ぺんも見たことがない。出された資料を見るとそういうことになるのですが、それでさしつかえございませんでしようか。
そうしますと、私もう一ぺんお聞きしたいのですが、鈴木という方は当時審査係長で、現在もそうかもしれませんが、七月に入つた回数が四十五回です。そうすると日曜日を除くと一月二十五日間くらいですから、四十五回というと、おそらくこの人だけは午前と午後と二回くらいずつ入つているのではないかと思うので、回数から見ると、あなたはこの人に責任者として仕事をまかせておつたのではないかと思いますが、その点はどうですか。
そうすると、証人にお尋ねしますが、そういう職員について、ああせい、こうせいということは、当面の責任者である横山という管理課長に一任したのだ、こういうわけでございますか。
私は証人にお尋ねしますが、あなた自身司令部の方から保管の委託をされた場合に、やはりこれは重大な責任であるというふうにお感じになつただろうと思います。それが昭和二十七年の五月というと、ちようどまる一年間あなたは部下の者にまかせきりであつたということになれば、当然あなたは当面の責任者として、こういうようにひん。ぴんとして調査をしている下僚から、一々本日の調査の内容はこういうものであるというように、もちろん口頭で言わなければ、役所のしきたりとしては復命書か何かおとりになるとかして、あなたの方で、司令部から委託されたものについてどういうふうに進捗しているかということについて、大体一月に一ぺんか二月に一ぺん、やはり自分で責任を感じていれば、お
そうすると、今の証人のお話では、昭和二十七年の十月再鑑定するまでは、ダイヤモンドの入つているところについては全然手をつけなかつた。今あなたはそういうふうにお話なさいましたが、それで間違いございませんか。 ————— ただ私どもがお聞きしておりますのは、やはり私どもとしては、あなたの方で連合軍から引渡しを受けた明細書十一冊に基いてやるということになれば、それらについては、せめて箱とか袋とかいうものについてやつたのではないかと思いますが、今あなたのお話では、ダイヤモンドについてはかぎをかけたまま全然出しもしなかつた、こういうふうにあなたはお話しておりますが、それでさしつかえございませんか。
今あなたのお話で、あなたはそれで十分調査したことになる。向うの箱からこちらの方の箱に移しかえる場合に、その封筒にある個数と明細書にある個数とを比較したということは、やはり重要な調査だと私は思う。その調査をあなたはおやりになつている。今あなたはそういうふうにお話になつたのだから、その日にちも相当はつきりしておりましよう。
そのときの責任者はだれですか、実際に立ち会つてやつたのは。
今証人が話をしています昭和二十七年九月の中旬ごろと思われるときに、ダイヤの入箱のれかえをして、その個数と帳簿と照し合せてやつたということは、私はやはり重要だと思う。そのときの責任者については、今記憶がないそうですから、調べてあとで出すというので、従つてこれは書面で出していただいて、必要によつては、あとで証人として喚問していただきたいと思います。
あなたの方で横山、藤本、小野、小松、鈴木、大久保、吉永、大熊、野田、宮城、上坂、これらの人人が立ち会つたことになつているわけですが、これらの職員は今もあなたの理財局に勤務しておりますか。
あと吉永、大熊、野田、宮城、上坂。
この出入した立会者の中で、その後いわゆるあなたの方から他に転出というばかりでなしに、本人の都合か何かでやめたものはおりませんか。
それからもう一つ、あなたは二十六年の六月に司令部の方から保管を委託された場合には、数量その他について明細な受取書というか、そういうものをあなたは預かつたわけですな。
証人にもう一度お尋ねいたしますが、昭和二十八年一月二十八日付で、日本銀行の出納局長から行政監察特別委員会の委員長あてに資料が出ておるわけです。その資料に基いて私先ほどお尋ねしたわけです。あなたも、これはごらんになつていなければ、あとで見ていただきたいのですが、まず先ほど私が申し上げました横山、藤本、小野、小松、鈴木、大久保、吉永、大熊、野田、宮城、上坂、こういう人々の中で、あなたは他に転出した——理財局から管財の方へ行つたというのでなくて、他に転出した者は一名もないということでしたが、重ねてお尋ねいたしますが、転出した者がなかつたかどうかという点が一つ。それからこの点はわかりませんから私が聞くわけですが、篠原弘、北村二郎、加藤耕一、
そうです。
それはひとつ証人の方で調べて出していただきたい。やはり出された資料を見ると、どうも責任者といいますか、初めは鈴木という方がほとんど責任者のようです。二十六年の七月に四十五回を行つておるのです。ところが今度は二十七年の一月ごろになると、吉永という人が二十四回も行つており、二十七年一月、二月、三月、四月というころは、この吉永という人がほとんど差者のようなかつこ出うになつておる。それから今お話の上坂という人はどうなつておるかわからぬというお話ですが、この人は二十七年の一月、二月、三月しか行つていないで、あとは全然行つてないということであります。他に転出した者があるかないか、もしもあればいつ転出してどこへ行つたか、その場合に本人の方から願い
関連して。私、証人にお尋ねしますが、そうすると、昭和二十六年六月司令部から管理を委託されてから管財の方に移るまでの最高責任者はあなたですか。このダイヤモンドその他に関する保管の大蔵省における最高の責任者はあなたですか。この点をひとつ……。
先ほど私が名前を読み上げました中で転出した者が入つていないというあなたのお話でした。私どもの方では転出した者がいる、こういうように調べてあるわけですが、その転出した者が、もしも転出した後においても、引続き何べんかの機会において行つたようなことがかりに出ておつたとすれば、あなたは、今署名したから、あなたが責任者だというから、それはあなたの方で日銀に対して、本人は他に転出したんだから前の通りの権限はないということを通知してなかつたあなたの落度になつて、そういうために何かそこに不正行為が起きれば、一切の責任はあなたが負うわけですね。
先ほど私が要求しました通り、あそこにあげました人名で、あとお調べをして出していただきたい。 もう一つ私はあなたにお尋ねしたいのですが、あなたは署名したんだから、形式上はおれの責任だろうというようなことをよく言いますが、あなたは、その当時連合軍の司令部から、お前にこれは引渡す、保管を命ずるぞ、こう言つておられたはずで、そういう意味でこれはあなたはどう思うか知らないけれども、あなたは、昭和二十七年五月まで、あなたの部下にまかせ切りで、一ぺんもこれに立ち会つていない。しかも二十六年九月中旬ごろに、司令部から預かつておる箱を返すために、中のダイヤモンドを全部出して、台帳に合わして、あたの方でつくられた箱に納められたという点についても、あ
あなたは司令部からその保管の委託を命ぜられた。そうすると自分の責任から言つて、二十七年の五月をまたないで、二十六年の七月に、少くともあなたは、第一回目に局長として、課長に、こういうようにやれ、課長補佐にやれ、係長にやれと命ずる前に、まずあなた自身は、二十六年七月に一番最初あけてみるときに、見られるくらいの責任をあなたは感ぜられてもよかつたのじやないでしようか。もちろん、あなたは局長でお忙しいでしようから、毎日行つて立ち会うということはできないでしよう。しかし二十七年五月まで全然触れておらない。もしもあなたがそういうようにお考えになるのであれば、二十六年七月第一回にあけられたとき、あるいはその月に一ぺんくらいはあなたも見得られたわけで