失礼いたしました。 ソ連側との間におきましては、本人は亡命の意思を表明するとともに、ソ連側とは会いたくないということを明確に申し述べ、その書き物も書いております。しかしながら、わが方としては、日ソ関係をも考え、総理の御指示もありまして、出国に先立って本人とソ連側の大使館員との面接をアレンジいたしました。その際、本人は、自分の意思というものは自分が書いた書き物でもはっきりしておるということを申し述べております。
失礼いたしました。 ソ連側との間におきましては、本人は亡命の意思を表明するとともに、ソ連側とは会いたくないということを明確に申し述べ、その書き物も書いております。しかしながら、わが方としては、日ソ関係をも考え、総理の御指示もありまして、出国に先立って本人とソ連側の大使館員との面接をアレンジいたしました。その際、本人は、自分の意思というものは自分が書いた書き物でもはっきりしておるということを申し述べております。
ただいま防衛庁の方でも具体的な返還の方法についての技術的な詰めを考えておりますので、そういうものを基礎にしてソ連側と打ち合わせをし、わが方としての考えをまず伝えてその上で細かいところを打ち合わせをするという予定になっております。
小坂外務大臣がグロムイコ外務大臣とニューヨークで会談されました際にも、具体的な返還の時期あるいは返還の方法等、技術的な点につきましては追って外交ルートを通じて連絡をするということを伝えてあります。東京においても、同様の趣旨を在京ソ連大使に伝えてございます。したがいまして、先ほど防衛庁の方からもお話ございましたような技術的な点を詰めて、そういう具体的な細目の話というものを始める考えでおります。まだその段階でございます。
ベレンコ中尉は、函館におきましてすでに全く自発的に自分が米国へ亡命したいのであるということを言い、かつ、そういう声明書をみずからの手で書きました。この声明書につきましては、外務省において在京のソ連の大使にもこれを提示してございます。 それからさらに、ただいま総理からお話ございましたように、九月九日に日本を出ますその前に、ソ連の大使館員とも面会いたしまして、これは実は、本人はソ連の大使館員等には会いたくないとかねて言っておったのでございますが、総理からの御指示もあり、日ソ関係も考えまして、ソ連の大使館員と面接する機会を本人を説得して設けました。その際にもベレンコ中尉は、自分の気持ちはあの声明書に書いてあるとおりということをソ連の大
過去におきまして、ソ連から他の第三国への亡命を求めて日本に亡命の形で来たケースもございます。あるいはヨーロッパその他においてソ連の軍人その他の者が亡命を求めてきたケースは、幾つか、相当の数ございますが、ソ連政府はその多くの場合において、それが亡命であるということを正面から認めたことはまずない、常に亡命ではないという立場をいかなるケースでもなかなか変えてはいないというのが実態でございます。
ただいま法務省の方からお話がございましたような手続の問題もございます。そういうものの完了した後での措置の問題になると思います。
そうしました手続が終わりました後での措置でございますので、手続の完了を待って本人の身の振り方が決まるということでございます。
本日午後二時からポリャンスキー駐日大使が外務省の有田審議官と会談をいたしました。私、その席におりませんでしたので詳細には存じませんが、本人につきましては、先方は本国への送還、それから本人への面会希望という点を申し述べておりました。
本人につきましては、今回の事件についての事情の聴取、あるいは国内の、先ほども出ましたような手続という問題が現在あります。本人は米国への亡命を希望しております。本人の意思を尊重する、特に第三国へ亡命を希望している場合、その意思を尊重して処置をするというのが日本政府としての基本的な考えでございますという点、それから、本人との面会につきましては、ソ連側の希望もございますので、日ソの条約等の関係にもかんがみて、日本側としては面会を少なくとも一度は認めるという方向で考えておりますということを先方に申し述べてあります。
本人につきましての事情の聴取、それから必要な手続というものが完了いたしましたならば、なるべく近い機会に本人の希望に沿って、本人の希望しておる米国へ赴かせたいと考えております。
従来、北方四島への墓参につきましては、ただいま御指摘のように、国後、択捉というものはなかなか、特に国後については認められないという状況でございました。本年度につきましても、四島への墓参について、去る三月にソ連に対して四島への墓参ということで許可を求めました。その結果、まあ五月になりましてソ連の方から歯舞群島の中の多楽島と志発島、それから色丹島、これへの墓参は許可しますという回答が参りました。しかしながら、私どもといたしましては国後島、択捉島、これへの墓参という要望も非常にかねてからの問題でございますし、今回も強いので、ソ連側に再度これら二島についての墓参をぜひ認めるようにということで、押し返して要請を重ねておる状況でございますが、た
五月にソ連の方から、先ほど申し上げました島についての墓参の許可が参りまして、それにすぐ、関係方面とも協議の上、折り返してソ連側に重ねて択捉、国後についての要望をいたしております。その後もすでに二、三度回答の促進を促しております。
ソ連につきましては、戦後早くの時期から相当の未確認の方々がおられるので、ソ連側とたびたび折衝してまいりまして、結局向こう側は、御存じのとおり埋没されている墓地への墓参は認める。ただ、そこの墓地に実際に埋葬されておられる方々を確認するということについては、自分たちとしても非常にむずかしくてできないところがある。ついては、結局そういうことから、毎年なるべくわが方の希望に沿った墓地への墓参を認めるように考慮をしようという立場を先方がとっておりまして、時によって、墓参の認められます墓地につきましては異なる地点あるいは異なるときというような条件がつくことはございますが、なるべくわが方の希望するところへやってくれということを折衝しております。こ
一九七三年に田中前総理が訪ソされまして、直接ブレジネフ書記長と交渉し、その結果、従来ソ連が北方領土問題につきまして解決済みという言葉をしばしば使っておりましたのが、戦後の未解決の諸問題の一つであるということをはっきり確認いたしました。(渡部(一)委員「そんなことを聞いているんじゃないよ」と呼ぶ)それを去る一月、グロムイコがこちらに参りましたときに改めて確認をいたし、かつ平和条約の交渉を継続するということを確認いたしております。したがいまして、この平和条約の交渉はさらに継続して行うんだということがソ連側においてもはっきり共同声明の上で重ねて確認された次第でございます。 ブレジネフ書記長等、ソ連の首脳の訪日につきましても、田中前総理
ソ連の首脳の訪日の問題につきましては、三首脳ということが明確に話の過程にも出ておりまして、先般グロムイコ外務大臣が日本に参りました際にも、グロムイコ外務大臣がモスコーを出発する直前に、ブレジネフ書記長から伝言を依頼されて、三木さんに伝えてくれというお話がありました。それは、二十五回党大会開催前ではその後の日程も決まらないから、その後で追って検討したい、こういう趣旨のあれでございます。したかいまして、先方の首脳、特にブレジネフ書記長が日本に行くという問題を強く意識していることは事実であると考えます。さらに、その際にも、三木総理からブレジネフ書記長の訪日を強くまた要請された経緯があります。 なお、旧日本国籍の人で樺太等に所在している
もし記憶に間違いがなければ、当委員会の当初、外務大臣の方から、北方領土問題についてのその後の交渉について御報告があったと考えます。(渡部(一)委員「総括的、抽象的に述べられたのにすぎない」と呼ぶ) それから、昨年の十二月までに訪日することになっておりましたのはグロムイコ外務大臣でございます。三首脳の件につきましては、訪日の時期について、具体的に何らの合意もまだございません。昨年じゅうに訪日すべきであったグロムイコ外務大臣が、先方の都合により一月に訪日が延びて、そして一月に実現したという経緯がございます。そうした経緯はございますが、北方領土問題を含めて、対ソ関係の種々の問題については、全力を尽くして今後とも交渉を強力に進めていく考
ハンガリーとのこの条約の交渉は、六六年に最初に口火が切られましたが、その後、双方の貿易制度その他の法制も検討する段階に入り、六九年ごろから交渉が具体化した次第でございます。ただ、そのときに実質的な問題としては、ガット優先条項についてハンガリー側が難色を示したために交渉が停滞いたしました。その後、一九七三年に至りまして、ハンガリーがガットに加盟いたしました。したがいまして、ハンガリー側における要因もなくなりました。その結果、その後の交渉が進捗いたしまして、今回妥結の運びとなった次第でございます。
ハンガリーはIMFに加盟しておりません。しかし、ガットについての問題が解消した際に、同様の性質を持っているこうした多国間協定についてハンガリーとしては異議がないという立場をとり、その考えでわが方の考え方に同調し、妥結をしたものと考えております。
私ども存じます限り、特別の理由は見当たりません。確かに二、三年前まで非常にわが方のハンガリー訪問者もふえ続けてまいったわけでございますが、むしろその後における景気全体の動向から、わが国の海外旅行者が全体として減っておる、恐らくその一環としてハンガリーへの来訪者も減少しているものというふうに推測しております。特別の理由は見当たりません。
ハンガリーと日本との貿易関係はずっと一昨年までまさに伸長の一途を遂げ、数年間に十倍というような貿易量にもふえましたのですが、昨年の貿易が、特にわが方のハンガリーからの輸入が減っておる、これが貿易関係をやや停滞させている事象になっております。結局、ハンガリー側は日本の機械機材等に対する需要が非常に強い、これは今後も引き続きあると思います。ただ、ハンガリーの日本に対する輸出が伸び悩みということでございまして、これはハンガリー側の輸出品目それから輸出努力が一方にあり、他方わが方の経済活動全体、景気の動向、これが回復するにつれて、おのずとわが方のハンガリーからの輸入というのもふえていく、そうした基本的な関係があると思いますので、そういう意味