そうすると、政府のほうは加工賃について百九十一円と計算しているのですが、かりに百九十一円で上がらないで、実際に原料イモに二百七十六円かかるとしても、それをしわ寄せするということは妥当でない。だから、どこまでも原料イモの購入価格は政府の支持価格で取引する、その証明がなければ買い上げない、こういうように理解してよろしいわけですか。
そうすると、政府のほうは加工賃について百九十一円と計算しているのですが、かりに百九十一円で上がらないで、実際に原料イモに二百七十六円かかるとしても、それをしわ寄せするということは妥当でない。だから、どこまでも原料イモの購入価格は政府の支持価格で取引する、その証明がなければ買い上げない、こういうように理解してよろしいわけですか。
次に、昨日、バレイショの生産費コスト計算の中で、労働賃金の問題が芳賀委員の質問によって出されました。それに私の聞き間違いがあるかどうか、再確認いたしますが、十アール当たり五百九十四円、これだけ労働賃がかかっておる。そうすると、一時間当たり九十二円三十銭、こうなるわけですが、これは数字に間違いございませんか。
そうすると、十アール当たり労働賃が五百九十四円、一時間当たり九十二円三十銭とすると、全作業を六時間余で仕上げなければこの賃金にならないわけでしょう。六時間でまきつけから除草、消毒、土寄せ、そうして収穫、こういうものが上がるのかどうか。六時間で全作業を仕上げるという根拠をひとつ示していただきたい。
これは私のなにでした。 次に、これも歩どまりの問題ですが、歩どまりの基準をきめるというのは、どういう意味できめておるのか、これを伺います。
その最低の基準をきめるということはわかりますが、一六%より上の、たとえば一七%があった、一八%があったという場合でも、それは切り捨てだ、上のほうはかまわないのだ、最低だけはきめるのだ、こういう考えですか。そういう一つの効果として歩どまりの基準をきめておる、こういうふうに理解してよろしいのですか。
そうすると、たとえばバレイショなりカンショのでん粉原料としてのイモの取引というのは、商品価値はでん粉にあるわけで、イモの目方にあるわけではない。内容としてのでん粉が商品取引の価値として取引されている場合、下限だけはきめて、下限以下の場合は差し引く、それ以上の場合はこれはおれのほうは知らないのだし、そういうものは価値がないのだ、こういうふうに切り捨てるという取引慣行、取引ルールというものが、普通の常識であり、損得なしの正常な取引とお考えでありますかどうか。実際の取り扱いは別として、一八%の含でんのイモを一六%で切り捨てて取引した場合、だれが得し、だれが損をするのか、そういうお考えがありましたらひとつ示してほしい。その損益がないのだとい
私の聞いているのは、そういうことではないのです。一六%基準で取引の価格が決定されておる場合に、一六%を下がった場合は生産者に〇・五%で格下げがされる。一八%あったときはそのままだ。こういう取引はだれが損をし、だれが得をするのか、あるいは損得がないのか、その点を聞いているのです。
場合とかなんとか——もう明確じゃないですか。そういうことばや答弁で——何も責任を追及しているわけではないのです。実際の取引でだれが得をし、だれが損するのか。損をするのをそのままにほおかぶりしておくというのは、妥当な行政でない。価値判断はその次に出るのです。損か得かということの事実の認定だけを求めている。それは生産農民が損をして、もうかるのはメーカーだ、こういうことはお認めになりますね。
下がった場合だけ格差をつけて、上がった場合は格差をつけないという、そういう行政、そういう指導というものは、公正であるべき行政として妥当であると考えますか、妥当でないと考えますか。
農安法でないのです。取引として聞いているのです。農安法は運用なんだから。法律なんというものは、何も上のほうを見ていかないなんてきめていないのだから。
それからバレイショでん粉の含でん率を一六%基準、こういうふうに決定いたしましたのは、どういう手続を経て決定されたのか、これを明確にしていただきたい。
その決定の手続はどういうふうにしたか。農林省の食糧庁で一六%と、こう独裁的にきめたのか、あるいはそういう実情を調査し、何かの機関の諮問を経て一六%ときめたのか、あるいはこれは取引上のいろいろな利害に関係する問題ですから、一方的ではなくて、生産者の意見も聞いてきめたという関係にあるのか。その一六%と決定しました手続、方法、それからきめた趣旨、そういうものを聞いているのです。
農林省が一方的にきめた、こういうことですか。
公正妥当という基準は、これは主観的にあなたが考えたって、ドン・キホーテはどんなことだって正しいと思ってやるし、客観的に見て公正妥当という基準がなければ、公正妥当とは言えないわけです。ですから、独裁的に一方的にこれはきめたものである、こういうふうに認めてよろしいわけですね。そうすると、この一六%というのがだんだん改良されて、通常かりに一七%になった、こういうことになると、最低だけをきめる、上のほうはきめないという政府の趣旨ですから、そうすると、そういう条件が出てきたら、やがては一七%を基準歩どまりと、こういうふうに上置きしてきめるということも、一方的に可能なわけですね。その点はどうですか。
調査した、調査したと言うけれども、全国の何をどんな基準でどういうふうに調査するのですか。何か抜き取り検査でしょう。その方法だって公開して、こういうふうな方法できめるのだ——取引の相手方である農民に全然何もわからせないで、そして一方的にきめてやるというやり方がまずふらちなのと、これをきめるということは、下に下がった場合はどんどん削るわけですから、だからやがて一七%というようなことに底上げしないとは限らないのですが、そういう考えはあるのですか、ないのですか。そういう場合は……。
上のほうはほったらかして、下をだんだん底上げしていったら、不利益を招くのは農民だけでしょう。こんなルールが世の中にありますか。農産物検査だって、一等検、二等検、三等検、検査する以上は、検査によって格差を取引上認めるのはあたりまえだし、それから歩どまりがある以上は、下に下がったら削る、上に上がったらそれだけ上置きする、これが取引のルールじゃありませんか。それをきのうから聞いておりましても、何かここに理屈があって、公正、妥当にわれわれがやっているんだ、それにいろいろ質問したりなんかするのは、おまえの質問するほうが間違っているというような、小理屈を並べてなにするなんて、まだこの段階でつべこべ答弁するというのは、良心的な問題だ。こんなばかで
私は、主計官の抱負経綸を個人的な立場で聞こうというのではなくて、大蔵省として価格対策に取っ組んでおる農産物及びその中におけるバレイショ、カンショのでん粉価格、こういう点についての大蔵省の基準を聞いておるわけでありまして、抱負経綸を聞いておるわけじゃないのです。 そこで、いまお話のあった、むずかしい問題がいろいろあるという問題のファクターは、一体項目的にあげてどういうことなのか、それを示していただきたい。
ただいまのお話では、甘味資源の関係で甘味資源の自給度を高めるという観点から、いまの甘味資源のいろいろな条件も考える、それから需給から考える、こういうお話で、農政上の立場から寒地農業の確立の中におけるバレイショのウエート、そうして適地適作という基本的な国の農業政策、そういうものの立場から農安法という法律ができて、その中で価格の問題が論議される、ここが重点になって、そうして従として甘味の問題も、需給の関係も、それからいろいろな物価対策その他の関係も、こういうふうにお考えになるのが、現在、個人的な主観ではなくて、国の政策としてとっておる総合的な施策から出てくる基本態度ではないかと思うのですが、先ほど来むずかしい問題としては、農政上の問題は
先ほど来、豊凶、豊作であるか凶作であるかということも考えなければならぬと言うが、それは一応の考えでありましょうが、農業の場合は、農作の場合は値下がりする、凶作の場合は値上がりする。まじめな農業経営に対する農民の努力というものが、そういう関係で豊作の場合はどこかへ持っていかれてしまう。そのしわ寄せは全部くる。だから、悪くたって国で共済制度その他においてそれを認めてもらいたい。ところが、いままでは悪いときは悪いときで泣き寝入り、いいときもそのいい条件というものはみんなよそへ持っていかれてしまう。そうすると、凶作の年や何かに備える備蓄というものは農家に蓄積されない。こういうふうな関係にあるので、農作というものは、単に天候だけではなくて、消
もう時間がありませんから、最後に、いま主計官から、農民にしわ寄せしているという前提で話すのは間違いだと考えると言いますが、この議場では、でん粉という問題のワクの中で、先ほど来いかに農民にしわ寄せされているかということを、具体的に事例をあげて示してきたわけです。たとえば農安法の第二条に、「生産者団体の意見を聞き、」と、こうしてあるにもかかわらず、何ら生産者団体の意見を聞いておらない。あるいはイモのでん粉含有量を決定するための基準をきめる、一六%あるいは二三・五%というような基準をきめるについても、これは一方的に政府がきめて、生産者の農民をこれの決定に参加させるということは全然しておらない。それから歩どまりの問題についても、一定の基準の