お答えいたします。それは当然連絡があります。
お答えいたします。それは当然連絡があります。
どういう連絡でございますか。
私は九州におきまして、本部からだれか偉い人が来るとかいうような本部の連絡を受けるという立場にはございません。それぞれ九州地方委員会には九州地方委員会の常任委員会というものがありまして、事務局があるわけであります。それで、たとえば徳田球一氏が九州をまわつて演説会をやるというような場合には、各地方委員会なり、演説会を開催するような場所にある県委員会、それから地区委員会に通知があるだろうと思います。
そういうことは新聞にも出ますし……。
お答えいたします。九州には何といいますか、ときどき来られるというのではなくて、しばらくおられたと思います。
椎野氏と会つたことはございます。けれども格別懇意ということはございません。
私が九州で椎野氏と会つたということは確認できます。
そういうことはございません。
そうです。
椎野氏が九州地方委員会に来られたときは、九州の地方委員会というのは福岡の博多にございます。従つて私が椎野氏と多く会つたのは博多でございます。
先ほど申しましたように、一回ははつきり記憶がございます。
ございます。
それは大体国鉄の若松機関区にちよつと問題が起つたことがあります。
その少し前です。
二十三年の……。
そうです。
江川君とはしよつちゆう会つております。
お答えいたします。北海道へ江川君が行つてから、一度九州へ手紙をもらつております。一度だけ手紙が来ております。その以後のことは私承知しておりません。
お答えいたします。江川君は若松の地区の常任をしておりましたときに、からだが悪くなりました。江川君は国が北海道の後志の壽都であります。たまたまそのとき江川君と同じ国の田谷君というのがおりまして、そうして江川君がからだが悪くなつたので、しばらく療養した方がいいということでもつて、国へ帰つてそうして養生するように勧めました。江川君は療養するために帰つたわけであります。もつともからだがよくなつたら北海道地方委員会へ行つて、それぞれ地方委員会の指示のもとに活動するようにという意味合いで、私がたしか広谷君に江川君の紹介状を書いて渡した記憶がございます。そういうことがございまして、江川君は、あのときは病気の療養のために帰つたのであります。
北海道庁立小樽中学校を四年でやめております。