電話の件の秘書というのは、いま私がお聞きしているのは、あなたの秘書か、渡辺専務の秘書か、どちらでしょうか。
電話の件の秘書というのは、いま私がお聞きしているのは、あなたの秘書か、渡辺専務の秘書か、どちらでしょうか。
松田常務に三井との関係についていろいろ話をしてきたと言われましたが、オプションという言葉を使って松田常務と話をされましたか。
そうしますと、オプションという言葉を使われておれば、当然その言葉が社内でも流れておったと私も思いますが、さて、あなたはいつオプションというものを全日空の社長としてやったとお考えですか。すなわち、四十四年の七月二十九日か、それとも四十五年の三月なのか、いずれの記憶であなたはそうお考えでしょうか。
最終的と最初と言いますけれども、大体つばをつけるということが、あなたの言う意味の軽い意味でのオプションだといたしますと、四十四年の七月にあなたはオプションした、こういうことで自後松田常務とも話をしておられたと見てよろしいですね。
機数は別として、オプション行為に入ったのは四十四年の七月二十九日、これでよろしいですね。
三月一日の証言では、三井物産は、あなたとダグラス社との関係において正式に仲に入ってはいなかったと思うと証言をされました。正式に仲に入っておったとは思わない、こういう証言をされておるのです。通訳の仕事等であったという証言をされております。しかし、いまの、きょうはどう思われますか。やはり正式に入っておったと思われますか。
このオプション行為は、最初はあなたはダグラス社との関係でやったような表現をとられましたので、私の方の河村委員から三井物産との関係についてあなたにお伺いいたしました。そのときに河村委員の質問は、「三井物産はこの場合には、通訳としては入っていても、正式には間には入っていなかったわけですか。」と伺ったところ、あなたは、「入っていなかったと思います。私とダグラスとの間に取り交わしたのでありまして、通訳として立ち会っておったと思います。」こういう御証言でございました。しかし、その後本日のこの段階では、この御証言どおりだと思われておりますか、いかがですか。
したがって、このくだりのあなたの証言は、その最後のマクゴーウェン氏と灘波氏とがあなたのところへメモを持ってこられてサインしたか否かのくだりである、こういうことですか。
それでは、その他の間には、やはり三井物産が正式にいわゆるあなたの言うオプション行為に介入しておったということをお認めになりますね。
あなたは昭和四十五年五月、総会の開かれる前に、松尾さんとパレスホテルで会われたときに、社長辞任の決意を第一段階として固めたと御証言されました。松尾さんはあなたを責められたそうですが、どういう理由であなたを責められたんでしょう。
その松尾さんと会われた結果、あなたが辞任の決意をまず固められたというのは、松尾さんがどういうことを言われたんです。
それは大庭社長が社長としてDC10の導入に努力をしてこられたこと、そのことを松尾さんとしてはもうバックアップする余力はない、こういう意味でしたでしょうか。
あなたはそのときに、松尾さんの話いろいろ伺われながら、あなたの進められてきたDC10も松尾さんと同様にこれで邪魔されたなという印象をお持ちになりましたか。
終わります。
あなたの方が会社側に全然この融資問題の報告をしておられませんのに、どうして四十四年の十月二十三日には会社側から運輸省へこの融資問題の報告が行ったんでしょう。
全然理由はわかりませんか。
では、社長とあなたしか知らないこと相手側は知っていますね。会社側というものが知り得ることがあるとしますと、相手側から会社側が知った、こういうことになりますね。
念書等、申込書等の回収が終わったにかかわらず、昭和四十五年になりまして、この融資問題が大庭社長の命取りになるということを心配されてあなたが退任の決意をされた。なぜ全部回収されているのに命取りになると判断されたのですか。
融資問題そのものではなくて、これに絡んで松尾さんから大庭さんに対する信任が失われたので、あなたは大庭さんにかわって全責任を松尾さんにとる、こういう形で退任を決意されたのですか。
そのように松尾、大庭間において、あなたはいろいろな事情を詳しいようですが、日航がDC10について昭和四十四年の夏断念をされたいきさつは御存じでしたね。