防衛庁でやっているのは、総理、防衛庁内の中央指揮所でございまして、私はこの点について総理大臣がどうするかというところが一番知りたいのです。
防衛庁でやっているのは、総理、防衛庁内の中央指揮所でございまして、私はこの点について総理大臣がどうするかというところが一番知りたいのです。
私は、安全保障の一つの重要な点に、いまわれわれは平時の政治はあなたに全権をゆだねておりますが、たとえこれが不測のときにおける有事に転換しても、国民の安全を守るために鈴木内閣は全が投球をしておるのだ、こういうことの御準備はぜひしていただきたい。そうでなければ、戸惑うてパニックが来たりしてえらいことになるわけでございまして、戦争の準備をするのではない、国民に安心をさせるために内閣の姿勢を明らかにする、その意味で御質問申し上げたわけであります。 終わります。
国会の役割りというのは、日本国民がつくる経済童の中で、どの程度防衛力にそれを使えばわれわれの安全が保たれると国民が判断するか、このことを判断することが重要な仕事だと私は思うのです。だが、これはいまのところ残念ながらどの程度かよくわからない。 そこで、先ほどの猪木先生のお話で、基盤的防衛力ということが考えられたのはその当時では意味があったと言うわけでありまして、「その当時では」と言われたのに私はきわめて意味があると思うのですが、その点に関してまず猪木先生に聞きたいと思うのです。 その基盤的防衛力というのに基づきまして「防衛計画の大綱」ができたのですが、それによりますと、防衛力を保有しているのは、一つには侵略を未然に防止すること
いま猪木先生から、拒否力というのは排除力なんだということで、結構でございまして、そのように後輩によく教えていただきたい。あっちこっちで拒否能力とは防止力であるというような、違うことを書いておるものですからわからなくなりまして、わけのわからぬことに基づいてわが国政府が「防衛計画の大綱」などを決めますと、国民はわけがわからぬですよ。わからぬと世論が一致しない、国民合意が生まれない、こういうことになりますので、よろしくお願いいたします。 関先生にお願いしたいのですが、先ほど新しい国際秩序の形成に努力をする、その場合、国連を中心とするとおっしゃいました。 そこで、このごろいろいろ国連のことが問題になるのですが、わが国が国連の安全保障
猪木先生は防衛大学校の校長をやっておられましたので、自衛隊の幹部の気持ちも十分御存じだろうと思います。 いま、われわれの国会で公務員の定年六十歳でというような法案が現実に出ているのですが、自衛隊の幹部職員、これはその下の曹の隊員も同じでございますけれども、停年が早いのですね。二佐で五十一歳とか、一佐で五十四歳とか五歳とかです。人生このごろは平均余命年齢が多くなりましたが、五十歳の初めでこれは停年で首になってしまう。なるほど「真っ先駆けて突進し」というのはできぬかもしれませんけれども、普通の世の中ではまだ壮年でございますわね。 〔委員長退席、三原委員長代理着席〕 その人たちが自衛隊をやめていく。しかも、やめていった者が
一言ですが、停年を延ばせと言っているのではない。精強な指揮官というのはよぼよぼしておったらあきませんから、やめていいのですが、やめた後をちゃんとやれと言っているのです。
衆議院の歴史上初めて安全保障特別委員会が開会されまして、わが国の安全保障につき自衛権の行使、保有すべき自衛力の質ないし量等について国民の前で論議ができるということは、民社党といたしまして非常にうれしいことであります。われわれは十五年前以来、国会に防衛に関する委員会を設置せよと主張してまいりましたが、やっと実現した。われわれの国を取り巻くいろいろな情勢もございましょうが、この委員会として実のある成果を生まねばならぬと思います。 そこで、委員長、ひとつ最初にあなたの御決意を伺っておきたいのでございます。この委員会ではなるほど条約、法律等の解釈、いまも自衛権や武力の行使といったものはどっちだというような議論がいろいろございましたけれど
現在の防衛庁は五十一年の十月につくられました「防衛計画の大綱」に従ってその仕事をやっているようでございまして、五十四年七月には中期業務見積もりをつくりましたが、これは五十五年から五十九年、五カ年にわたる防衛庁の仕事をこの「防衛計画の大綱」に基づいてやるんだ、しかしこの中期業務見積もりによりましても、この見積りどおりやってみてもまだ大綱が示している線には到達しない、こういう認識のもとにやっているようでございまして、これは国民の立場からいたしますと、何か「防衛計画の大綱」ができましたときには、ある分量を国民に示して、ふと振り返れば、自分の自衛隊の所有している力は大体これにかなっておるというようなことを国民に申して、それからすでに五年たち
ゆっくり御答弁いただいたらいいのですが……。 一九七三年の中東戦争のときに、ソ連はエジプト、シリアへ向けて相当な戦争用機材を空輸をいたしました。また、エチオピア・ソマリア紛争におきましては、一九七七年、条約を結びました直後、短期間にエチオピアへ向けて送りました。さらにまた、今回アフガニスタンの紛争のときに、これもきわめて短期間にアフガニスタンに向けて人員、機材を送りました。その一番集中せられた期間、たとえば二日とか三日とか、一番山場にはどのくらい送る空輸能力をソ連は持っておりますか。
エチオピアのはわかりませんか。
世界は、このエチオピア紛争のときに、ソ連が相当遠い距離であるにかかわらず、空輸によって人員、機材をエチオピアに急速に導入をいたしたという事実に驚いたわけでございまして、その遠距離空輸ができるということは、それを援護する能力ができるということであり、それはもう一つは、ソ連の艦隊を上空で支援する能力があるということもまた示す一つの材料であると私どもは考えます。そういうことが、もう一九七〇年代の終わりに当たってきわめて顕著にあらわれてきておる。それが「防衛計画の大綱」がつくられた時点とははっきりと違った事象であると私は思いますが、防衛庁はどう思いますか。
その空輸能力はきわめて大きく保有せられておる。その時点に、わが国の北方領土に、最初は国後、択捉、次いで色丹島、ここに防衛庁の算定では一個師団程度の軍事力がおると、こういう判定をいたしましたら、この二つのものが結びついたら、一体どういうことが考えられますか。
そういう徴候があらわれてから、たとえば北海道で何かしましたか。
ある人は、極東ソ連軍は、きわめて短時間、たとえば数日間に四個師団ぐらいの兵力を空、海を使って輸送能力があると言う人もあります、真偽はわかりませんが。 さて、いまのお話は、北海道で第七師団をどうかしたとか話がございますが、たとえば国後、択捉、色丹に近い北海道の東について、いままでの兵力は約五千と承知をいたしておりますが、それらの保有する兵器やあるいはまた数について何か考えたこと、あるいは実施したことがありますか。
ソ連の戦の仕方につきましては、いろいろな人々が評価をしておりますが、要するに奇襲、火砲の集中、そして一正面を突破して奥へ突っ走っていくというのが特徴であるという評価をしている人がたくさんある。いまのあなたの話を聞いておりますと、火砲を若干と、若干で対抗できるようになるかどうか私は知りませんが、大来外務大臣は、アメリカの来援を頼むんじゃということをさっきごあいさつで申されました。このアメリカの来援というものを具体的に国民は知らない。それで、そこの委員長席におられます坂田さんが防衛庁長官のとき以来、アメリカとの間のいろいろな相談事が始まったわけでございまして、民社党はそれはいいことだと思っております。しかし問題は、われわれは、隣の韓国に
いま、限定かつ小規模な侵略に対しては原則として独力で排除するのだということでございますが、第四次中東戦争の経験に徴しましても、戦が始まりますと、きわめて兵器の減耗率は多い、消耗率は多いわけでございまして、たとえば、大分前の戦争でございますけれども、飛行機などは一時間について一機消耗していく。戦車なども十五分に一台破壊されていく。イスラエルの第九旅団のごときは三分間に八十五両破壊されておる、これが現実の姿です。 そういうことを頭に置いて考えた場合に、われわれのこの五十一年に策定したような数量、そういうものが、こういうことをちゃんと織り込み済みで考えているのだろうか、毎年の予算書に出てくる弾薬の備蓄量を見ますと、カーブは下がっておる
先ほどこの委員会はもっと調査せいというような声がございましたが、先ほどの箕輪議員の質問を聞いてその答弁を聞いておりましたら、わが国の自衛艦で、四十数隻あるが、四杯しか自力対空戦闘能力はないとか、これは、しかしながら中期業務見積もりにおきまして全部やるようなことを言っている。本当なら、一体わが方の護衛艦が全部自力で対空戦闘できるような計画ありますか。完全に皆持ちますか。何年かかりますか。
何年計画です。
先ほどの来援と関係あるのでございますが、独力で排除が困難な場合に、あらゆる方法によって強靱な抵抗を継続する、こう読みますと、ちゃんとやるように読めますわね。問題は、そのどこかに、その「防衛計画の大綱」に、あらゆる方法とは何と何かと書いてあるか、これは一字も書いてない。防衛庁長官、あらゆる方法というのは何ですか。
われわれの方が五十一年度に立てた見込みでこれをあと五年かかって充足していこうというわけでございますが、相手方も動いておる。先ほどから御説明を受けておると、相手方のスピードはきわめて速い。われわれは五十一年度に考えたスピードであと五年やっていくスピードと考えました場合に、防衛庁長官は、相拮抗していくと思いますか、それとも、すでに抜かれているか、どんどん抜かれると思いますか。