そうじゃない証券会社はたくさんあると言うけど、当時はそんなになかったわけでございます。 もう一つは、当時は、ファンドもつくってもらったということもありますし、この会社をいい会社にしていこうという、私も証券会社上がりですからできるという自信がありました。だから投資しました。
そうじゃない証券会社はたくさんあると言うけど、当時はそんなになかったわけでございます。 もう一つは、当時は、ファンドもつくってもらったということもありますし、この会社をいい会社にしていこうという、私も証券会社上がりですからできるという自信がありました。だから投資しました。
当初、一億五千万最初やったときは余り詳しく調べていませんでした、一億五千万で十分足りるということで。その後に、九月に入れた後十一月に、かなりこの二か月間の間かなり調べて、当時いた、アイティーエム証券で株の売買やっていた方がお客さんを、昔で言ってどうなるか、何という言葉が正しいか分かりませんが、損したまんま逃げちゃったというお客様が大分いて、その後、それで損失が出たというふうに話聞いているわけでございます。
個人の名前は余り出したくないんですが、当時は、だから、アイティーエムの本来の仕事をやっていただけじゃもうからないというんでブローカー業務をやっていて、それは、名前を言えというなら、私は倉橋という人間ではないかと思います。はい。
同じ会社にいたということですね。同僚というより、同じ会社にいた。はい。
当時、私と倉橋とはペインウェバーのときには同じ営業畑にいましたから、付き合いはあったかと言われれば、全くないという答えにはならないと思う。ただ、仕事上はほとんど付き合っていないということでございます。
それは、仕手グループかどうかというのは私は分かりません。
その質問は私にすべき問題じゃないと思いますね。私は、それについては、憶測で物を言うことになりますから、これは新聞記事と同じになりますから、私が答えるべきではないと思っております。
それは、大分投資した後で、後で、裁判ざたに、裁判になりましたから、それで分かってきたわけでございます。だから、その当時から知っていたかというと、当時は知っていないんですよ。だから、それは後から、いろいろとお客さんの中の、いろんなお客さんがいたから、そのお客さんとのやり取りの中でのことだと思う。これは、私が決して何か指導したわけではありませんし、当時は私はアイティーエム証券に投資する側でございましたから。 あとは、これはもう証券会社の方に聞いていただいた方がよろしいかと思います。
だから、当時は、そのスタートしたときは四億円ぐらいだと思う、一億五千万入れていますから、あと二、三億円。ですから、自己資本比率では何とかなっていたんだろうなと思うし、前回の衆院の予算委員会で西村氏の発言を聞いていると、十億円も要らなかったと逆に言われたような状況ですから、十分資本としては間に合ったのかなと。ただ、私が、結果として資本金として十五億になっていますから、十億円ぐらいの金額を投資事業組合及びほかのお客様から買っていただいたんだろうなと、今はですが、想像しているわけでございます。
それは、金額的に三億円入れた後、個人も入れて、あとストックオプションも当時入れた段階である程度分かってきたという状況ですね。はい。
当時は、一番最初このファンドを買ったのは二〇〇二年の五月、これは当時、もう今はないですが、これ名前出したくないんですけどね、出さなきゃいけないですか。(発言する者あり)熊本の県信連さんでございます。これが私の熊本時代のお客様で、それがスタートで一番最初にやってもらったと思います。約十億近いと思いますけどね。そこから後いろいろお客様含めてファンドを集めていったんで、次の二〇〇三年の五月までの年金さんが初めて入るまではそういったお客さんが中心で入っていたと思います。
ええと、これちょっと彼ね、勘違いしているんだと思いますね。だから、当時やったのは熊本県信連さんですよね。で、その後、神戸、これは余り名前出すとね……(発言する者あり)神戸松蔭さんなんですね、神戸松蔭女学院。だから、これ女子大学ではありません。彼の言っているのは間違いだと思います。 で、それは、そこは、あと余資の運用ということで一部やっていただいたと、このファンドは大分後になりますけど、いうことでやっていただいているということでございます。
あとは、その後いろいろファンド買って、まあ、だからそういう、どこだと限定できないです、投資事業組合については。あと別に投資事業組合として独自に立ち上げているものもありますから、だから、その二つというわけではございません。 ですから、もろもろいっぱいという、今誰だと言い切れないぐらい分かんないんですね、今ね。はい。
穴埋めという考え方は私はよく分かりませんが、資本として投資しただけでございますから、その後、この会社としてはきっちり成り立っているわけなんで、で、結果としてストックオプションを入れて、最初に三万株入れて、ストックオプション入れて行使されていったと、こういうことですから、それを救うためというよりも、いい会社にしていけるというふうに思っていたわけでございます。
今これ、振り返ってみたらいつだったかなって実は思ってて、千九百、で、山一証券潰れた後に誰かの紹介で会ったのがきっかけかなという。それでその後に、彼が別会社か何かつくって社長をやっているということを聞いただけで、いつごろと言われても、二〇〇〇年の前だと思います、私。はい。二〇〇〇年の前、九七、八年か九年ぐらいじゃなかったかなと思いますね。はい。
一切かかわっておりません。
この基準価格という意味がちょっと、ちょっと私分かんないんですが、四半期報告とかそういうことで出す基準価格でございますかね。要するに、基準価格というのを四半期報告で出したのか、私ども出したのは四半期報告しか出してませんから、だから、ちょっとその質問のちょっと意図が、ちょっと申し訳ありません、分かりません。はい。
これは私どもがNAVに基づいて、それで私どもの企画部が作って各運用機関に渡すと、こういうことだと思います。ですから、金融機関がそれに基づいて基金さんに渡していると、こういう流れだと思います。
大変な金額を預かって、結局損をしてしまった、また、そういう形で、結果、今そういう形で終わってしまっていると、通過点としてではなくて終わってしまったということに対して、受益者の皆さんに対して本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいでございます。
これは、証券等監視委員会の検査のときに、どうだ、どうだと言われて、虚偽という言葉にはすごい私には抵抗感あったわけです。私は、虚偽に基づいてどうのこうのするというつもりはなかったんで、そうやって申し上げたということでございます。