そこで問題が出てきはしますまいか。たんすの中にしまつておいて、発見せられればよし、発見せられないで、死んだあとで発見せられたという場合は法律行為はどうですか。
そこで問題が出てきはしますまいか。たんすの中にしまつておいて、発見せられればよし、発見せられないで、死んだあとで発見せられたという場合は法律行為はどうですか。
そこで、これをだれかに意思表示をして、この法案の所期するところの目的を達せしむるためには、別な方法を考えられなかつたのでありますか。ただ意思表示をやつて書面をととのえればいいのですか。普通はたれかが預るか、むすこにというか、その相続人に言つておくかもしれませんけれども、しかし数の中には相手方なく、ただ書面だけこしらえたという場合は、そういうことであつては法規を殺してしまうことにもなるのであります。せつかくこしらえても意味をなさないことになりはしないか。そうしてこれは書きつぱなしにしていいということですか。
そこで法律行為でありますからして、これは委任できますか、代理による行使……。
今度は取消し行為ですが、取消しの相手方は……。
それでは取消しの場合、必ず書面による意思表示が必要でありますか。
そこで作成せられました書面をどうして保存するかということの規定はできませんかということです。民法の遺言という制度と、指定という農業資産相続に関する指定とどこが違つておりますか。遺言の一種の形式というか、遺言とは言わないが、遺言類似の形式で、そうしてその足らなかつたところは遺言の規定が類推準用せられるべきものということになるのでありましようか。
そこでこの指定の場合、民法の八百九十一條、これは欠格條項ですが、この適用は必要はないのですか。
そこで今度は農政局長さんにお伺いしますが、この指定権の行使能力ですね。子供でもこの指定権は行使できますか。まああとで指定を受ける者の能力もまた問題になるかも知れませんが、指定を受ける者の能力規定がございませんから、農業をむすこがやるのだということになれば、やれることになりましようが、その場合子供が受けておつたとすれば、子供でもやれるかということ、つまり指定能力であります。指定権行使の能力であります。
それでは民法九百六十一條の遺言能力がこれは適用されるのだと、こう理解してようございますか。
そこでこの指定権でありますが、先ほど了解しかねたが、指定権は二反歩以上の耕作を営む農民に限る。それは自己の所有しておつた一定財産を、自己の欲する、しかしそれは農業を営む者という限界があるが、その範囲で指定するところの権利を持つておる。その地位において権利を持つておるということが、憲法にいうところの法律上平等ということに違反するものでないという点を、ひとつ國民に明らかに知らしておいていただきたい。そこで法律上平等であるということの條章、この十四條をお読みになつて、これにはちつとも違反しないのだ。これをこしらえますときには、特定の権利者が、特定の階級から出て來ないということの理想を持つておつたのだ。もつともそうばかりは言われない場合もむ
触れましたから申し上げますが、憲法によつて財産処分の自由が許されておる。その点において、指定する方が、だれだれにこの財産をやるという自由を持つておるのだから、必ずしもこの法案に指定権を発生させることは平等の原則を破らない。今度は指定を受ける方の側に立つと、十二條かの規定の求償権があるのだからと、こうおつしやるのですが、求償権自体が、九條かに價額云々という問題がございまして、あとに配分すべき價額というものが現われて來るのですが、それは公平に行つておらなかつたら不当なることであります。公平に行つておらないけれども、かくかくのために、認めることが憲法に違反しないのだという議論がありましたら、ひとつお伺いしたい。
それから胎兒、からだの中の子供に被指定者たり得る能力がごいましようか。
胎兒が共同相続人になることはよろしゆうございます。これは当然ですから。ただ農業資産の特別相続の被指定者たることはできるかというのです。それは第一條の農業の安定、こういうところから見て來なければなりません。農業経営の安定ということとどう違つて來るのか。
裁判所がそれを選択するよりも先に、農業安定、それから農業生産の維持増進ということに相なるならば、胎兒に指定を受け得る能力を持たせるということは、一体法のあれからいつて適当でしようか。 もう一つ。もしも胎兒もできるというようなことにしておきますと、すでにこわされてしまつたところの旧來の家族制度、家督相続制度というものが、ずつと入つて來ることを予定しなければなりません。一方においては、國家がそれをこわさなければならぬという政策をとつておる。一方においては、そういかなければならないといつてもよいような道を開くということはどうですか。これは農業安定、農産物の増進、こういうことが大切なためにこの法律を出すと承つておる。相続そのものを認める
現実に働かなければ農業ができぬのでありますから、その安定、増産という点から一体胎兒を被指定人として認めることは、法律案の立案の趣旨はそうでなく、子供でもやれるということで、これは家督相続になりはしませんか。それは農林省でお考えになつておることはどうでございましようか。
今胎兒を問題といたしましたのは、民法も胎兒について相続を問題にしておるのでありますから、問題にせざるを得ないのであります。そのような場合には妻を相続人として指定しておつたらよいじやないか、胎兒をむりにここに持つて來てやらなければならぬという相続の概念をどうして出されるのですか、実際のところお考えはどうですか。
ただ農業ということで農家一家を持つて行きたい。一定の資産で農業を増産させて安定させたいということであれば、その点から胎兒まで拡張して行くということがどうかというのです。そういう法の目的から考えて、農業のために必要なんだ、みなが食うために必要だとおつしやるから、それなら胎兒まで持つて行くのはこの法の趣旨からどうかと言うのです。それをどうしても胎兒まで持つて來るのははなはだ失礼ですが、皆さんがやはり一家というものを円満に持つて行こうという御趣旨だろうと思う。その趣旨はわからないことはないけれども、それは破らなければならぬ。ただ一に農業自体の経営を考えての法案だと見ておるのでありますから、私どもはお聞きしたい。
ところが指定する人の自由、こう言いますけれども、法律がある一定の目的に向つてできた以上、しかも特例でありますから、その法律の目的に向つて指定権というものは制限しなければならぬと思うのであります。それを胎兒まで拡張する。どうしてもその御説を通し拔かれるならば、これは質問でありますから別に申しません。けれどもそこにはごむりはございませんか。われわれに原案を示した御趣旨に対してごむりはございませんか。私はこれだけにしてこの質問はやめましよう。けれどもこれはごむりではないかということを、はなはだ失礼でありますが、申し上げなければなりません。
もう少し述べさせていただきます。第六條、ここで今度は共同相続人の選定権というのがあります。だれか一人を選定する場合であります。この選定はやはり権利であろうと思いますが、この選定権の行使は代理人によつてもできますか。
この選定することは明らかなことと思いますが、多数決でありますか。この点をお伺いします。