ちょっとそこも、これは語り言葉でございますから、インタビュアーが話をして、そうそうと言ったからそれは一々了承しましたという意味のことばかりでもないんですよ。これ、話ですからね。
ちょっとそこも、これは語り言葉でございますから、インタビュアーが話をして、そうそうと言ったからそれは一々了承しましたという意味のことばかりでもないんですよ。これ、話ですからね。
いや、話です。そこらは話ということで、論文じゃないですからね。もう少しゆとりを持って判断してもらいたい。 それから、この程度の国民がという問題は、要するに国民と政治というものは一種の不可分というか、一つの政府というものは一つの国民のレべルを代表するというみたいな言葉でもいいし、この程度の国民はこの程度の政府というのは端的に言えばそうなるんだけれども、エドムンド・バークの言った、フランス革命の終わりのころじゃなくてまだ始まりのころの啓蒙思想から出発した、彼が議会主義というものを、要するに普通の、普通のというか、政府と国民との相互作用みたいな関係で、政府がよくなれば国民もよくなり、国民が余りよくなきゃ政府もよくないというような、そう
これもやっぱり私は一部マスコミ批判があったんですけれども、テレビなんかよく見ていると、とにかく何といいますか、ターミナルその他でマイク持っていってやめろやめろと、こうやっているわけです。それは私はそういう意見もあるかもしらぬけれども、本来やめろという問題は少数者のための立法なんだ、この憲法、法律は。それは大政党というものは少数者を圧倒するんです、ときどき。この間も中曽根さんが言っておったでしょう、おたくの委員長の話を。ああいうときに大政党がやめちまえというようなことを言う可能性はないではない。歴史の教訓です。少数政党も将来大政党になる可能性があるからそれを大事にしなきゃいかぬというのはデモクラシーの思想ですよ。だから、そういうことで
私はテレビを見てつくづく思ったのです。わいわいわいわい、あれはお調子者だなとこう思っただけです。そう思ったんだからしようがない。それからいま一つ国民主権ということ、まさに国民主権、主権在民なんです。だから獄中におっても立候補して当選するということもあるでしょう。法律に違反して逮捕されて監獄に入っていても、確定判決のないままに立候補して当選することあるでしょう。これはいいことですか悪いことですか。私は主権在民のすさまじい姿だと思っている。これでいいと思っている。おまえが逮捕された、何されたからやめろという必要はない。主権在民とはそういうすさまじい姿を認めることによって初めて成り立つと私は思うのですよ。
いまのは国会の問題で、私はそのことに触れちゃいませんよ、国会の中のことには。議会の理法みたいなことをちょっと言いましたのは政治哲学として。具体的に国会で請願書が出たり、いろいろ議案をどうしていくとかという問題には触れてないのですよ。それから騒いでいる連中というのは、判決直前の状況でごらんになっていると思うが、言うならば芸能番組化したんですよ。それでやめろやめろというような街頭の運動になってきたのに私はああいう言葉を使った、私はそう感じたから。そこまでやっぱり下げてやることはどうかなと。
いや、国会ということになれば私のどうのこうのと関係ないでしょう、国会だから。いま私は政府の一員だから。
事件そのものについてあんまり触れるということは適当でないと……
事件そのものについて、そういう発想があるんですよ、頭の中に。裁判にかかって現に係属中だし、そういう頭があるからわざと触れないんですよ。
要するにやめるやめないは私はどっちでも本人の自由だというのが結論なんですよ。私はどっちにせいとか言うような資格もないし、立場でもない、こういうわけです。
喜んだか喜ばないか、これもまた私の知ったことでないでしょう。何か私も新聞でちょっと見ましたよ。
いや、もう全然そんな気ないですよ、全然。
いまここへ持ってきておりませんけれども、たしか世界名著全集か何かだと思うんです。
多分そうだと思います。
この対談で、物質的幸福が一番大事だみたいなことは私は言ってないつもりです。政治の目的というものは、さしあたって国家の問題と国際社会の問題である。これが経済的な幸福の手段だけでないことは当然だと思うんです。 それからいま一つは、結果倫理という問題を私は短兵急に言い過ぎているかもしらぬけれども、それをちょっと言いたかったんですよ。政治というものは本当に国を危うくする、あるいは平和が戦争に巻き込まれる、そういう事態になったら大変なんだ、どんなにりっぱなことを言ってもだめだぞというみたいなことをちょっと言いたかった、それが結果倫理的なものでございます。 それから、背景の問題で、先生がおっしゃるように確かにヨーロッパで、これはマックス
さっき申し上げたように、背景も違うし、事情が全く違うんですけれども、日本ではマキアベリの評価は非常に低いですね、正直言って。学者の中でもマキアベリを言う人っていうのはむしろほとんどいないと言っていいかもしらぬと思うのですけれども、私はあえてそのことを承知なんだけれども、ただ、これからの国際社会に生きる場合に、INF交渉一つ見たところで大変な戦略、戦術が要る。これは人間力の極致みたいな、手練手管みたいなことも要るんだなということを考えながら、ちょぼっと出しただけなんです。おっしゃるように、日本人の体質にも合いませんしね、正直言って。ただあのころのルネッサンスのずっと歴史の中で、評価する人もあるんですよね。私は日本では余り評価を受けてい
私も共産党から問責決議案が出ていまして、この文章を見ましたから、おっしゃる趣旨はここにあるだろうと、こういう前提でお答えをしたいと思います。 私は、田中判決には一指も触れていない、触れるべきではない、これがまず第一の前提であります。 それから、これを読みますと、「この程度の国民なら、この程度の政治」とか、それから「徳目を求めるのは、八百屋に魚をくれ」とか、その他二、三ありますけれども、全部前後の文章の脈絡を断って、言葉というものは、これはインタビューですから話し言葉ですよ、私が文章を書いたわけじゃないのだけれども、話し言葉だから多少粗いところがあるかもしれませんけれども、都合のいいところだけ、悪く取られるような部分だけを抜き
いまおっしゃったから言うのですよ。私がしゃべったことだから、総理にばかり聞かれたのじゃ困る。 それで、「徳目を求めるのは、八日屋で魚をくれ」といまおっしゃったでしょう。この前にあるのですよ。古典的な道徳の徳目からいってもと、ここが大事なんです。古典的道徳というのは、言うならば子供に言って聞かせてもいいような道徳観だ、こういう意味なんです。そういう意味からいうとそれは無理だと、こう言っているわけです。なぜ無理かというたら、たとえばわれわれの政治というものは、ここでいろいろありますけれども……
いや、質問があったから答えているのです。
簡潔にやります。 それから、これは総理も言っていただきましたけれども、罷免をする資格がないということを申したのは事実です。しかしなぜかといいますと、あれは少数党の保護なんだ。少数党というのは未来多数になる可能性があるから少数意見も大事でしょう。そのための、保護のための規定なんだから、そんなやめるやめると言うのはこれはおかしいのです。自殺行為じゃないかというふうに私は思っているわけです。それが一つ。 それから、いま一つおっしゃったのは……
だけれども、私の文章だもの、無理だよ、それは。