それでは、察するところ、将官收容所におきましては、昔ながらの日本の軍隊のような、そうぜいたくなわけには参りませんけれども、大体今まで三十人という使役を使つて、別に生産的な仕事をやるでもなし、自分の自活のためにおやりになるということであります。これは使役といつては惡いですが、そういう形で生活をしておつた、こう考えてさしつかえないですか。
それでは、察するところ、将官收容所におきましては、昔ながらの日本の軍隊のような、そうぜいたくなわけには参りませんけれども、大体今まで三十人という使役を使つて、別に生産的な仕事をやるでもなし、自分の自活のためにおやりになるということであります。これは使役といつては惡いですが、そういう形で生活をしておつた、こう考えてさしつかえないですか。
そういう状態のときに、いわゆる日本の兵隊で捕虜になつた人は——私たちもいろいろな方面からお話を伺つておるのですが、ソ連の建設的な仕事をやつておられる。しかしそこはやはり元の将官としての一応の待遇というか、不足かもしれませんが使役をつけて、そういう生活をしておつたということについては、これは当然だ、あるいは不足だとお考えになりますか。
もう一つ違う方面でお伺いいたしたいのでありますが、たとえば、この三十名、あるいは将官の人たちに対して、いろいろな民主運動といつたことが起つておりますか。
そうすると、将官は別でありますけれども、別に強制して民主運動をやらなくちやならぬというようなことはなかつたんですね。
それからひとつ中村さんにお伺いいたしたいのでございますけれども、先ほど大体一日三十円ないし四十円の日当で働いた、こうおつしやつておつたのでございますが、これは食費は一体幾らぐらいかかりますか。
そうすると三十円、四十円というのは、非常に安いように聞えるのですが、大体生活費というのは二十円ないし三十円ということになつて、三箇月ほど働いて一千円ほどお残しになつたと先ほどおつしやつたのですが、働いておれば生活はできるのですね、また貯金もできるということになるわけですね。
日高さんにひとつお伺いしたいのでございますが、先ほどどなたかの質問のときに、カラカンダにいるときに、日本共産党の書記長の徳田氏から、反動の者は帰すなというようなことを、木村隊かどつかから聞いたと言つておられますが、これは菅という通訳からお聞きになつたのですか、直接お聞きになつたのですか。
いろいろ聞いておりますと、私たちも帰られた人からも聞いて——ここではないのですが、いろいろ聞いたところによりますと、どうも少し両方に食い違いがあるように聞えるのです。たとえば将校の方から言わせると、非常にひどいのだ、こういうふうに言つておられますが、兵卒の方から言わせると、またよいのだという人もあるのです。こういう点について日高さんは、入ソされてから向うにおいて働く間に、あなた方将校としては、やはり指揮権を持つて一番初めはやられた、それから民主運動が起つてから、将校としてのいわゆる指揮者としての地位が、だんだん違うようになつて来たというような径路はありませんか。
ちよつとはつきり聞きたいのですが、大体その民主運動なんかやる人も、全部が全部ロシヤ語を知つておる人はないと思う。そういたしますと、そのソ連の袖に隠れるということは、通訳を通じて隠れるのだと私は思うので。そうすると大体通訳できるような人は、結局においては学校を出た人でないと、なかなかわれわれ労働者や農民では、ちよつとロシヤ語はあやつれないと思うのです。そういう通訳を通じてやられたところに、間違いなんかがあつたとお考えになつたことはありませんか。
私はそういう議論をしているのではない、聞き違えておられるので、一点だけを聞いているのです。つまり民主運動が隊内に盛んに起つた。先ほどあなたの体験をお話になりましたように、自分が一生懸命にやつて皆から拍手を受けている、民主グループの人は拍手を受けなかつた、それで自分は中隊長をやめさせられて、どこそこへやられた。こういうことは、先ほどあなたがおつしやつたように、その民主グループの責任者なるものが、これは私は間違つていると思うのです。その間違つた人が、あなたに中隊長をやめさすことができ得るというのは、その人がソ連語がうまいのか、あるいは通訳を通じてあなたのことを惡く言つたので、あなたが左遷させられたと思うのですが、そういう場合に、そういう
それではもう一つお聞きしたいのですが、たとえばあなたが指揮官であられたときに、いろいろ向うから割り当てられたノルマ作業をやる場合において、あなたも一緒におやりになつたのですか、それをひとつ伺いたい。
もう一点だけお伺いいたしたいのですが、もちろんあなたの方では、そういうふうにりつばに現場でおやりになつた。そうして先ほどからお伺いいたしますと、たとえば、今残つておる者を帰すという場合におきましては、いわゆる戰犯の水準、これが基本になると、どなたもおつしやつたのでございます。そういう今日の状態に至つておるときに、一応あなたは、初めからおつしやる通りに、いろいろ各收容所をまわり、そうして民主運動に参加しなくて、前歴が将校であつたというので、いろいろ苦労されたということをおつしやつておるのでございますが、そうして向うから疑いの目をもつて見られておつた、こうおつしやつておる人、そのあなたが今日お帰りになつておる事実こそ、現場において一生懸
私は、共産党に入らなければ民主主義者でないとは、考えてないので、誤解のないようにお願いいたします。私はそのことであなたと議論しているのではなくて、実際引揚げの問題をどうするかという問題で、お聞きしたいと思うのです。その点はつきりしておきたいと思います。なお、もう一つお聞きしたいのは、そうすると先ほどから問題になつておりますところの、残つておる人は、戰犯の水準が引下げられなければ、戰犯として扱われる人たちだというようなことをお聞きしたのですが、それは戰犯としての水準がかえられなければ、やはり戰犯として扱われるのではないかという人だけが残つておると思われますか。
四人のうち、どなたか知つておられたら、お教え願いたいのですが、終戰当時満洲におつた関東軍のうちで、終戰直前に南方に転出した部隊が相当ある。しかしそれが通信その他の関係で、満洲におつたことになつておるという部面もあるのでありますが、このことについてお知りになつていたらお答え願いたいと思います。
それではもう一点だけお聞きしたいのですが、これは一昨年だつたと思いますが、その六月か七月ごろに、向うの幣制改革が行われました。その以前とあととの生活状態の相違、それについて知つておられたら伺いたい。
あなた方の捕虜としての生活がかわらなかつたか、あるいはかわつたかということです。
ちよつとお尋ねいたしたいのですが、二十四年度と二十五年度の農業所得に差があるとこういうふうにおつしやつたんですが、大体二十四年度と二十五年度と比較してどれだけ差があるか。もつとはつきり申しますと、二十五年度の農業所得税としてどれだけお見込みになつておりますか。
それから固定資産税は大体二十四年度は五十五億だと思いますが、二十五年度は幾らになりますか。
私は農民に対する二十五年度分は、大体二百億だと思つておるんですが、一応お調べ願つてお知らせ願いたい。そうして今度は住民税の分は、農村部門における農業者におきましては二十五年度は大体幾らですか。これも一つお知らせ願いたい。
それをお知らせ願つてから最後にお尋ねしたいと思います。しかしそのうち一つお尋ねしておきたいのは、肥料の価格補給金が大体廃止されて、この間農林大臣に聞きますと、大体八月から七割値上げするということであるが、これが二百三十七億円になるのであります。しかし今度のパリティーで行きますと、大体米価が五割ぐらいしか上らないだろうと考えるのですが、そういたしますと、あなたの午前中からのお話を聞いておりますと、大体農家の所得もあまりかわらない、こういうふうな御見解のようでございます。しかし農家も所得が二十四年と二十五年、また二十三年に比べて、私たちは減つて行くという見解に達しておるのでございますけれども、それはどう考えられますか伺いたい。