創立費はこの創立準備に約半ヶ年を要しまして、その間の経費でありますが、これは金額としては決して大きくありませんけれども、指定者持株会社が対象になつておる会社にすべて負担させるのが公平妥当ではないかと考えたわけであります。その指定者持株会社が何社になるかということは、先程申上げました昨年の二月二十二日にならないと……
創立費はこの創立準備に約半ヶ年を要しまして、その間の経費でありますが、これは金額としては決して大きくありませんけれども、指定者持株会社が対象になつておる会社にすべて負担させるのが公平妥当ではないかと考えたわけであります。その指定者持株会社が何社になるかということは、先程申上げました昨年の二月二十二日にならないと……
いや、前期の場合、まだ指定という仕事の経過途中にありましたので、それから後に指定されるのが全部かたまつたところで創立費をみなに振りかけたわけです。
それは仮拂いで整理しておつたわけです。
最後の公租公課の方を先に申上げます。公租公課は課けられないのでありますが、印紙税とか都民税、自動車税、そういつた程度のものであります。仕事自体には税は課せられておりません。それから株式の方のお話は、ちよつと何か或いは誤解がおありじやないかと思いますが、持株会社、指定者から株を讓受けるときには、拂込済の金額を渡すわけじやないのです。受領証書というものを渡すことになる。それで金を拂わないで讓受ける。そうしてその相手方には受領証書を渡しておる。それでこの帳簿で整理するのは、時價等はなかなか分らない場合がありますし、便宜拂込額面で整理しておるわけです。拂込額の数字が先程から申上げておる数字になるわけです。それから原則としまして、未拂込株券は
さようであります。名義は委員会の名義に書換えろということで、はつきり名義も書換えておりますけれども、実質的からいうと、保管しておるというふうにお考え下さればいいかと思います。 それから担保の抵当に入つております場合は、銀行の抵当に入つておるものも相当ありました。これはやはり銀行に話しまして、それも讓受けております。銀行へ受領証書の質権を設定したものを銀行に渡しております。そういつたものが処分された場合は、成るべく銀行の方へその金が入るように、会社又は個人から債務返済に充てる資金として請求さして、それを委員会としては差支のない限り渡すようにしておるわけであります。
それは委員会の建前から言つて本來は一切言えないことになつております。併しこれは実際問題としてはさつき申上げたように、財産の没收というようなことは財閥解体ということにはないのでありまするし、その結果は結局元の所有者の利益に非常に関係がありますので、処分する場合は名義も変つておりますが、元の持主の希望價格いうものは運用として聞くようにしております。そうしてなるべくそれを尊重するようにいたしております。元の所有者の意思に反して、非常に安く処分されるといつたようなことはないわけであります。
これはあの証券処理調整協議会を通じて出さなければならないことに法律でなつておるわけですが、この普通の株、それから閉鎖機関の株と、ほぼほぼ同じ銘柄の株を持つておりますし、これはやはりあの法律に示されておりますように、証券処理調整協議会を通じて、あそこで統一して、そうして一般の市場情勢と睨合せながらやつて行く方が、証券界のためにもその方が無用の混乱を來たさないでよいのではないかと、かように考えております。
本日昭和二十一事業年度の経費收入計算書並びに讓受財産に関する財産目録及び收支計算書を御審議たまわります際に、ごあいさつ申し上げることは、非常に光栄に存ずる次第であります。ただいま委員長から御指名のありました私、笹山忠夫でございます。何とぞよろしくお願い申し上げます。 衆議院で、私の方の委員会の決算書類をお目通しを願いますのは、本日が初めてでございます。ただいまの御命令に基きまして、すでに御承知かとは存じまするが、持株会社整理委員会の大体の内容につきまして、簡單に御説明申し上げたいと存じます。 持株整理委員会が設立せられましたのは、昭和二十一年の八月二十二日でございます。その基く法令は、同年四月に公布せられました勅令第二百三十
委員は全部で九名でございます。これは現在の定款で九名ということに相なつております。当初発足当時は九名全部顔がそろいませんでしたが、現在は九名全部そろつております。なおそれ以外に連合軍最高司令官の方で、必要があると認めて指名せられるようなことがありますれば、その指名せられた方を何どきでも委員に任命していただかなければならないことに相なつております。しかし今日までそういつた特例は実行せられておりません。九名の者が全部委員の辞令をいただいておりますが、さらにそのうち私が委員長の辞令をいただいております。ほかに四名の人が常務委員の辞令をいただいております。ただいま常務委員といたしましては野田岩次郎君、加嶋五郎君、車谷馬太郎君、市川通之君、こ
発令されましたのは、最初六名だけは二十一年の八月八日で、その後やや遅れて加島委員が任命されました。さらにかれこれ一年遅れて金正、市川両委員が任命されたわけでございます。これは内閣総理大臣からの任命でございます。日本政府で人選をせられまして、そうして司令部の方の選考を経た上で発令されておる次第であります。
持株整理委員会の笹山忠夫であります。この席に伺いまして、集中排除法の実施の現状を御説明申し上げる機会を得ましたことを、大変栄に存じます。少し仕事に追われて用意なしに伺いましたので、筋道立つた御説明ができかねるかと思いますが、あと具体的なことをいろいろ御質問で伺いした方がよくないかと思つておりますが、極くあらましの状態を最初に一應御説明申し上げたいと思います。 本年の二月に二回に亘つて三百二十五社の指定をいたしたわけでありますが、その後その三百二十五社から提出して頂きました資料に基いて着々準備を進めた次第でありあして、その結果、その三百二十五社の中五十社は過度の経済力の集中に該当しないという結論に到達いたしまして、五月四日五十社を集中
十分はつきりしたこともちよつとまだ申上げかねるのでありますが、併し六月までの期間があつたら、大体の我々の今の見通しとしては、それまでには全部完了することができるのじやないかと思つております。是非それまでくらいには全部集中排除法の問題は解決してしまいたいと思つております。
またじかに感じておりません。余り大きい変化はないのじやかないと思います。まが具体的には最近のアメリカ本國における変化の影響といつたものは感じておりません。
独禁法の関係の方は我々直接当つていないものですから、公正取引委員会でやつております。様子は時々聽くようにいたしておりますけれども、最近の様子はちよつとまだ聽いておりません。
栗栖君、二宮君は興業銀行時代の同僚であります。末廣さんは私が興銀に入りましたころは興銀におられませんでした。たしか沖繩製糖に行つておられたと思いますが、興銀にはおられませんでした。それから私が興銀をやめました後にまた興銀に帰られて副総裁に任命されたのですから、興銀時代は興銀の先輩であり、それから興銀の関係しておる会社の担当者であるということで、個人的に懇意には願つておりました。それから迫水さんは私興銀におりますころちようど迫水さんが大藏省におられて、金融関係等の仕事に当つておられましたので、仕事の関係等でしばしばお眼にかかることはありました。重政さんは、私は名前は存じあげておりますが、まだ一度もお眼にかかつたことはございません。
そういつたことは私存じません。
さようであります。
さようであります。
私が興業銀行の理事を依願退職いたしましたのは昭和二十一年の三月二十五日であつたかと思います。その後間もなく当時の大藏大臣澁澤さんに大藏省へ招かれまして、ちようど持株会社整理委員会の創立準備時代でありましたが、常務委員に予定されておつた金融関係の方が、支障があつて就任できなくなつたので、ちようど私興業銀行を退職して、からだのすいたときだつたものですから、お前ひとつその方の仕事を加勢しろというお話がありました。一週間ばかり考えさせていただいた後、当時の情勢でこれはお引受けしなければなるまいと思いましたので、お引受けしたわけであります。それで四月二十六日附だつたと思いますが、創立準備委員の辞令をいただきました。その後創立準備委員長でありま
全然そうではございません。最初は中根貞彦さんが委員長に予定せられておりました。それはその前年の二十年十二月ごろからそういうことに日本政府とGHQとの了解でなつておられたようであります。そうしてずいぶんたくさんの人を政府並びにGHQで選考した。二十名以上の人を選考したように聞いておりますが、結局私なり先にきまつておりましたのが、本日証人に呼ばれております同僚の野田岩次郎氏、それから平委員の諸井さん、脇村さん、美濃部さん、それからただいまは常務委員でありますが、当時監査委員の候補者として車谷馬太郎さん、なくなられましたが大森洪太さん、金融関係として正金銀行に元おられた岡田重吉さん、飯島幡司さん、これだけの方が予定されておつたようでありま