以上で終わります。
以上で終わります。
まず、総理にお尋ねをしたいと思います。 湾岸戦争が始まって停戦までの間、国連が十分に機能していたと思われますか、どうでしょうか。
私どもの多少の意見を申し上げたいと思います。質問も行います。 安保理が六七八を決議するまでは一定の機能をしたと思います。問題はこの後、停戦へ向けてはこの安保理の決議だけがひとり歩きをして、必ずしも有効に停戦への機能をしなかった、そして日本政府もそれに十分に対応しなかったのではないかと考えています。 その一つの例として、地上戦開始の前後にソ連のゴルバチョフから協力要請があったわけですが、これは停戦へ向けての協力要請だと理解していますが、それで間違いございませんか。
直後じゃないです、直前です。
ソ連のゴルバチョフ大統領からの和平協力提案といいますか、協力要請の中身は、安保理の開催について、和平提案のための安保理開催の要請はなかったのでございますか。
安保理の開催について協力していただきたいという、そういう要請ではなかったわけですか。
そのときの日本の役割というのが私は大事だと思います。いわゆるブッシュとゴルバチョフの間では話ができるわけです。日本に協力要請があった中身について、打返しだけの話ではなかったと思うわけでございますが、今の話を聞いていると、ブッシュかフセインにどっらかに戻すような話で、日本外交がここで自律的に機能しなかったというふうに私どもは思っているわけですが、いかがですか。
私は、フランス、多国籍軍に参加をしておりますが、あるいはソビエトの和平のための提案は、結果においてはかなり無力であった側面は否定し切れないと思います。 この際、日本の政府といいますか、海部さんが国連中心の平和外交を主張するならば、ここで何かの役割を果たすべきではなかったかどうか、このことについてお尋ねをしたいと思います。
六七八号に対して、それに基づくいろんな武力行使が行われて、地上戦が開始をしたときも、総理は確固たる支持を言ったことはこれは事実ですね。
そのことについては後でまた触れますが、安全保障理事会の六七八号というのはある意味では突出した決議だと私は思っています。安全保障理事会と国連全体の総意はかなり違うのではないかというふうに思います。これはさまざまなマスメディアを通じましていろんなところで報道されていますから、世界の中で憂慮をする意見がいろいろあったりすることがあるわけでございますから、安保理の六七八号を支持するということとこの後のことでは多少違うんではないかと思います。国連中心主義というのは国連全体の総意というものを反映することが正しいのではないかと思いますが、いかがですか。
今回の国連安保理の六七八号の決議というのは、全世界が文字どおり認知をしているのかというと多少いろいろ意見があると私は思うんです。例えば中国が棄権をしている。あるいはほかの国でも結果的にやむを得ないということを、あるいは六七八号に関する各国の発言というものを私どもも知っておるわけでございますが、これに対して中国が棄権をした理由について、外務省はどういうふうに把握をしておられますか。
安保理の中で圧倒的多数でといいますか、特に拒否権を持った国がそれに同意をした、しかし中国は棄権だと。反対もあったわけでございますから、私は、国際法に基づいてイラクのフセインの侵略唯対して全世界が批判をしたことは正しいと思います。しかし、そこに、あらゆる手段をもってやることについて全世界がそれを認めてこなかったというのは、多国籍軍がたしか三十七とか八とか言われていますが、参加の状況を見ても、この辺はこれからの問題として押さえておかなければならないと思っています。とりわけアメリカのといいますか、ブッシュのこのようなやり方についてはこれからの戦後処理の問題の中でも大きな問題になるかと思いますので、私どもの意見も申し添えておきたいと思います
先ほどから何回も申し上げておるわけでございますが、国連中心ということと今回の六七八の決議に基づいて行動したことの中には、さまざまな国の中でさまざまな思いが動いておると思うわけでございます。したがって、いずれにしても、この問題についてはこれから日本の戦後復興に対する協力のあり方などで大きな問題が出てくるかと思いますので、後でまたこのことで時間がございましたら質問をしたいと思います。 その上で、九十億ドルの問題について多少私の方からお聞きを申し上げたいと思います。 海部総理は一度も戦争という言葉を使ってないわけでございますが、今回の九十億ドルが多国籍軍の武力行使にかかる費用の一部に充当されているということはお考えですか、どうです
そうしますと、具体的にお尋ねをしますが、例えば多国籍軍兵士の人たちの食糧のうちの一部に、この日本から拠出した九十億ドルのお金が使われているのですか、使われていないのですか。
これからでございますが、九十億ドルのお金がそういう部分に使われるということがはっきりしました。 それで、武力行使というのは戦争という言葉に置きかえてみますと、これは明らかに戦費の一部だというふうに思います。そういうものを私どもは認めるというわけにまいりません。このことに関連をしまして、いわゆる財政の立場から多少お聞きをしたいと思います。 まず、大蔵省にお尋ねをしたいんですが、これは財政法の二十九条のどちらに該当していくのか。ちょっとその文章も読んでください。
この間の政府答弁は、外国と約束したものではない、自主的に決めたということですが、自主的という言葉の中に緊要性という言葉の意味が入るわけでございますか、入らないわけですか。これは大蔵大臣にお尋ねしたいと思います。
財政法二十九条の精神というのは、災害など他律的に各年度の本予算で見込めなかったことが生じたときにつくられる予算だというふうに私どもは理解をしています。 今回の九十億ドルが、例えば国際協定を結んでその結果として出たというのでしたら、これはまあ義務的な経費として当然理解できます。しかし、自主的な拠出金だと、そういうふうに言われますと、財政民主主義の立場から見ても多少疑念が残るのではないか、こういうふうに考えますので、再度その質問の意味を答弁願いたいと思います。
これは、過去の補正予算のあり方をめぐっても、政策経費のどこまで認めるかということと関係もするわけですが、今回の場合はもうこれ以上論議をする必要もないかと思いますが、これは国際的な約束なのかと言ったら、政府が答弁をするのには自主的に決定をしたと言う。自主的決定がその緊要性という意味で、確かに戦争が今停戦をしておるわけでございますから、後処理としての緊要性というのはどの程度の意味を持つかということについて多少意見の違いがあるということは、ここで明確に申し上げておきたいと思います。 この際ですからお尋ねをしますが、外国への拠出を本予算ではなく補正で行って、しかも臨時とはいえ増税までやってやるというケースは今回が初めてではないかと思いま
以上のようなケースを考えますと、今後の戦後処理の中で、いわゆる戦後復興の問題が幾つか出てくると思います。これも当然補正ということで出されるのかどうかということについてお尋ねをしたいと思います。
補正でいくのかどうか。