先ほど委員長の質問に答えた通り、地崎君から種々口頭で報告を受けました。口頭で相当詳細に報告を受けたことは記憶しております。
先ほど委員長の質問に答えた通り、地崎君から種々口頭で報告を受けました。口頭で相当詳細に報告を受けたことは記憶しております。
ただいま質問されたような具体的の事実を地崎君が報告したかどうか私は記憶しておりません。
私はどうもそうはつきり百何万とか、土建業者の友人があと二百万円とかいつたように数字を地崎君があのときに言つたかどうか、おそらくそういう具体的のことは話をしなかつたように記憶しております。
むろん私ははいつたものは皆んな届出るのだというふうに、初めから考えておりました。
そうなると非常にむつかしい法律論になるように思いますが、民主党創立以來の慣習で大体創立当時の最高委員の首席が齋藤君であつた結果、齋藤君がそういう問題についての責任者として届出をしておられたが、私が幹事長になつても、おそらくそういう慣習で齋藤君が判を押しておられたのであろうと了解しております。
だれか党の相当の地位におる者が責任をとれば、それで間違いはないと心得えておつたわけであります。
私は菅原氏とは十数年來の知合いですから、非常に懇意にはしております。しかし私は党の資金等について、私の手を経て出し入れをしたことは一切ありません。從つてもし地崎君がそういうことを言つておるのならばそれはそうだろうと思いますが、私はそういうことは何も聞いておりません。
そういう立ち入つた話を聽いた覚えはありません。
先ほどお答えした通り、菅原氏と私は、冠婚葬祭のごく微々たるやりとりはしております。しかしそれ以外に党の資産を菅原君から私に渡した事実は一度もありません。
お答えいたします。私は脱党と同時に、新聞に声明書を出しております。その声明書は今日でも殘つております。それをお調べくださればすぐわかります。
声明の全文章を後刻委員会に提出いたします。
必要な部分を書類で出しますから、どうか記録にお載せください。
出すことは私はちつとも厭いません。ただ間違いのないように、私の家に帰れば声明書全文があるのです。それをここに提出する、こういう意味でお答えしておるのです。
脱党したときは私一人であります。
なし。
齋藤君が拒絶したということは、どういうことを意味されるかわかりませんが、いろいろいきさつがあつて、いよいよ新党樹立をやろうかやるまいかというような話をしたことはあります。そのことだろうと思います。
齋藤君とは始終会いましたが、いつごろそういうことを言つたかというふうな、たしかな記憶はありません。
結成大会で最高委員を七名選びました。私はその七名の中の一人であります。
齋藤君、幣原さん、それから河合良成君、一松定吉君、木村小左衞門君もそうだつたかと思います。しかしこれはちよつと調べてみないと一人二人違つているかも知れませんが、そういう顏触れであります。
それは先ほどの質問に答えた通り、四月十二日に東京に帰つてきて、翌々日から毎日遊説に出歩いて、投票日の前の晩に帰つてきたのでありますから、私が幹事長の職務を受継いだときには、そういう事務はほとんど終了した後で、從つてそういう事務については、何も相談に與かつておりません。