警察庁に伺いますが、五十七年の三月、リクルートは住都公団に対しまして、当時の公団所有地にホテルつき研修センターを建てたい、こういう立地希望を出したわけでございます。五十八年の六月にはリクルートから進出断念の連絡が市にあった、このように言われております。その後この土地には、公共事業の代替地を求める東芝と政府系の金融機関A社、A社というのはこれは商工中金と言われておりますけれども、このA社の進出希望がありましたけれども、五十九年の七月にA社から進出断念の連絡が市にあったそうでございます。そうしますと即座に、当時川崎市の企画調整局長でありました小松前助役が電話で、リクルート社に進出意向の有無について打診を行った。そしてその翌月の八月には、
